第三十二話『薬マニアと魔女と黒尽くめの』―3
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居住階では、祝が自室でパソコンへ向かっていた。室内は暗い。目に悪い事この上ないが、指摘する人物も居ない。祝自身も、視力低下に繋がる事は重々承知している。だが、彼は単純に、明るい場所が苦手なのだ。
(この前買い物に出た時も、結構キツかったからなぁ……)
そんな事を考えながら、パソコンのディスプレイを睨む。開いているのは、メールの送信フォルダだ。一通り内容を流し見して、ウインドウを閉じた。
そして始めたのが、削除ファイルの復元だった。
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くつくつと沸騰するビーカー内の薬品を眺めながら、洋介は鼻歌を口遊んでいた。ガスマスク姿なので、全く楽しそうに見えない。くぐもった鼻歌は、何の曲か分からない。民謡のようだが、リズミカルで緩急の激しい曲の様だ。日本的ではない曲調だ、という事しか分からない。
洋介は火を止めると、薬品を別の容器へ移し、棚へ置いた。ガスマスクを外す。鼻歌は健在だった。かなり上機嫌だ。
コンコンコン。ノックの音がしたので、扉を開ける。祝が立っていた。いつもの不機嫌面で。いつものように祝を招き入れると、洋介はいつものように、その辺にある椅子へ座るよう言った。
だが、祝は座ろうとしない。
不思議そうな顔をする洋介に、祝は一枚の紙を突き付けた。
「これ、何か分かるやろ?」
「ん? 何かなぁー」
「すっとぼけるなや!」
バンッ、と紙越しに机を叩く。机の上の物が、カタタッと踊った。
もう一度紙を掴むと、先程よりも洋介の顔へ近付ける。紙には、今週水曜日――一昨日――の送信メールの内容が印刷されていた。
そこには、《自化会》の会員が多く通う学校について、会員の特性や、身辺の情報が箇条書きのように短い文章で書き連ねられている。
一昨日。洋介が、祝に『スムージーが飲みたくなった』と言って、祝に野菜や果物を買いに行かせた日だ。送信時間から、祝が不在の間に送信されている事が分かる。
洋介はいつも通りの笑顔を崩さない。それどころか、声を出して笑い始めた。狂喜――いや、その様子には、狂気すら滲んでいる。
「よく気付いたね。やっぱり凄いなぁ、祝は」
祝の頭上に伸ばされた手は、祝の頭へのる前に振り払われた。無言で睨む祝に、洋介は大きな仕草で両手を上げる。
「何を怒っているんだい? 僕が嘘吐きなの、祝だって知ってるだろ?」
「いつからや……」
洋介は人差し指を顎元へ添えると、首を傾けた。明後日の方向を見ながら、何がだい? と白々しく言う。
それが、祝の怒りを更に高めた。
「いつからおれらを裏切っとったんや言うとるんや!」
洋介は今尚、笑顔だ。
「祝は僕の事を仲間だと思ってくれていたんだ。嬉しいなぁ」
祝の顔が強張る。それを楽しそうに眺めながら、洋介は両手を広げた。
「ごめんね。僕は、一度も仲間だなんて思った事がないんだ」
舞台俳優のように、仰々しい手振りで悲しみと謝罪の念を表現している。口元は緩んだままだ。だが、はたと笑みを引っ込めた。顎を親指と曲げた人差し指で挟むと、洋介は唸った。
「『いつから』っていうのは、難しい質問だなぁ。正直、《自化会》に入ったばかりの時は、ちゃんと《自化会》の会員のつもりだったんだよ? でも、そうだね。少なくとも、千晶と組んでた時にはもう《自化会》の敵だったかなぁ」
祝は頭上に疑問符を乗せ、だが警戒は崩さず話を聞く。今すぐにでも殴り倒したい気持ちを、ぎりぎりのところで抑えて。
「僕の両親さぁ、諜報員だったんだよね。祝も知ってるだろ? 《自化会》と《P・Co》が大きな争いを起こした事」
祝も、勿論知っている。《SS級》以下の会員は知らないだろうが、《自化会》は大層痛手を負わされたと聞いている。お陰で、会員の年長者が殆ど居なくなってしまったのだ。抗争の原因は、記録に残っていないので知らないが、かなり大きな争いだった事は、知っている。
「でね、僕の両親は《P・Co》に殺されたんだ。《P・Co》へ潜入している時に、そこで殺された……って、会長から聞かされた」
それだと、洋介の標的は《P・Co》ではないのか。と祝が理解に苦しんでいると、洋介は「でもね」と言葉を紡ぐ。
「でも、そうじゃなかった。僕の両親は《自化会》の人間じゃなくて、《P・Co》の諜報員だった。何年もの間、《自化会》の会員として生活していたんだけど、例の抗争時に《自化会》から《P・Co》へスパイとして送り込まれたんだ。けど、その過程で《P・Co》の人間だってバレて、会員に殺されたんだ」




