第四話『団欒』―1
神奈川県某所。
それなりに発展した街の郊外に、その家はあった。
坪数にして、ざっと五百。塀に囲まれた、だだっ広い日本家屋だ。
これでも、先代が管理していた時にかなり縮小されたらしいのだが――今、この家に住んでいる人数を考えると、かなり広い。
表門を開け、三人が中へ入る。
翔、光、拓人だ。
庭を抜け、翔が玄関の扉に手をかけた。
「ただいま」
引き戸を開けると、奥から「お帰りなさい」と、声がした。
「少し遅かったですか? 何かありました?」
二十代前半であろう青年が、心配そうに寄ってきた。
深い群青色の髪と瞳で、長身。
着ている服には、踊っている、手足の長いウサギ――ピスミが印刷されている。
《P×P》の服だ。
このブランド、三十代以下からの人気が高いらしい。
翔の学校でも愛好者が数人いる。
「嵐山が学校へ来て……すぐ帰ったけど」
翔が、話しながら靴を脱ぐ。
「康成は、何も変わったことは無い?」
翔の問いに、康成が頷いた。
「ええ。変わりないですよ」
康成は基本的に、いつもニコニコ笑っている。
現に、今も微笑んでいる。
彼は十数年前に、この天馬家に引き取られてきた孤児だ。
戸籍上では翔の兄になる。
といっても、別の家に引き取られていった実弟もいる。
その実弟は今は翔たちと同じ高校に通っているので、この家にもしょっちゅう来ている。
康成は家事全般が得意で、ご近所付き合いにも余念がない。
古き良き、理想のお母さん像を具現化したような存在だ。
服の好みだけはよく『理解できない』と冷めた目で見られているが。
この天馬家の家計の一切を握っているのも彼だ。
「あ、倫さんは夕飯の買い出しに行っていますよ」
『倫』とは、孤児でストリート・チルドレンをしていたところを、翔の父である深叉冴に引き取られてきた。
翔のもうひとりの兄である。
血が繋がっていない、この家の次男だ。
「わかった。俺は部屋に上がるから」
「はい。光さんも拓人君も、夕飯の準備が出来たらお呼びしますね」
光も拓人も、各々返事をして部屋へと散った。
康成は、先ほど来た方へと足を向けた。
と、同時に玄関の扉越しに、人影が映った。
なので、足を玄関へ向け直す。
倫だ。
「帰りましたー」
作務衣を身に纏い、両手にエコバッグ――という、一見ミスマッチなビジュアルで登場した。
否、へんてこな面を装着している時点で、マッチする現場にはそう遭遇することはないだろう。
身長はあまり高い方ではない。
髪は少し緑掛かった黒。
目の色は確認できない。述べたとおり、奇妙な面が顔をすっぽり覆っているからだ。
おたふくとひょっとこを足して二で割ったような。
そんなふざけた……いや、ユニークな面だ。
倫は玄関の上り口に買い物袋を下ろすと、自分も腰を下ろした。
面を顔から外し、頭の斜め後ろへ回す。
歳の割に、幼い顔が現れた。
足元に並ぶ靴を見やって、もう一度息を吐く。
「はぁー、お待たせしました。夕方のタイムセール、お客さんが多くて勢い負けしそうになりましたよ。翔さんたちに先を越されちゃいましたね」
笑う頬は赤い。赤面症だ。
家の中では外すのだが、外では面を被って生活している。
元々は、対人恐怖症から来る症状だった。
とはいえ、今となっては面を着ければ普通に話せるし、本人も気にしていないので、あまり深刻な症状でもない。
面を着けるのは、倫にとって癖のようなものだ。
警察に職務質問されようが、知ったことではない。
そういった点においては、倫はなかなか、図太い神経を持っている。
もうひとつ。閉ざされた右目に、縦に大きく傷があった。
左目は、黒い瞳を見せている。
面は、この傷を隠す役目も負っていた。
「お疲れ様です。僕は夕飯を作るので、倫さんはお風呂の準備をして来てください」
買い物袋ふたつを軽々持ち上げる。
康成は背中で倫の返事を聞きながら、台所へ向かった。
二階。
翔は教科書の入った鞄を机に置き、大きな溜息を吐いた。
当主は確かに自分だが、康成の事も倫の事も、正真正銘兄として慕っているし、仲も良いと思っている。
思いたい。
だが、何度指摘してもふたりは敬語を止めないし、やたら自分に気を使う。
それが、翔にとって煩わしく思えていた。
そして、そんな思いは、日に日に募る。
翔は自室のベッドに座り、天井を見上げ、独りごちる。
「俺って、ふたりからどう思われてるのかな」
『お前はまたそんな事言ってんのかよ』
頭上から声がした。
通常の人間では、話し声としては認識されないであろうその声。
翔にしか向けられていない。
そもそも、この場には翔しか居ないのだ。
人間は。
翔は更に天を煽って、声の主に目を向けた。
「だってさ、他人行儀だと思わない?」
翔の視線の先には、一羽の小さな鳥がいた。
人間の耳に聞こえる声はこうだ。
高めの声で「チキチキ」やら「チチチ」やら。
『おれぁ人間の兄弟ってのがよく分からねぇから、何とも言えねぇな』
「寒太はいつもそう言うね」
自分の頭に止まる話し相手に、嘆息する。
寒太は百舌だ。
十二月のとても寒い日に生まれたので、こんな名前にしたのだと、父から聞いたことがある。
通常、百舌など小鳥の寿命は数年程度だが、寒太とはかれこれ十年以上の付き合いになる。
何故こうも長寿なのかは、はっきりとは解明されていない。
と言われている。
『わからねぇなりに、意見はあるぞ』
「なに?」
『あいつら、お前の言うことには滅多に逆らわねぇから、それを利用してやれよ』
羽根を広げて言う友人――“人”ではないが――の言葉に、翔は口を噤んだ。
左目の包帯に手を添える。痛みはない。
少し、窪んでいた。元あった眼球は取り除いている。
今は、眼球の再生待ちだ。
学校には、ものもらいだと伝えている。
眼帯ではなく包帯なので少し不審がられたが、言及はされなかった。
翔は唸ると、ベッドに寝転んだ。




