第三話『Peace×Peace』―2
《P×P》の活動は、『徹夜は二夜まで』と決められている。
普段から通常業務を行っている社員の、疲労蓄積防止のために。
因みに、本社から来る『特務』やその準備もあるので、《P×P》の事務所は週休三日制でもある。
定められた休日に、本社の仕事が入ることもあるし、完全に休みの日も、勿論ある。
寧ろ、休みの方が多い。
週に三日も休みがあるので、事務所での給与は決して高くはないが。
住まいは会社からマンションが提供されている。
そのマンションは、本社とも事務所とも隣接しているので、通勤に費用も掛からない。
更に給料日には、給与の他に、その月の社長セレクト米が十キログラム、各々に配られる。
ただし、《P×P》の事務所だけで、本社にその特典はない。
尚巳からメロンを受け取り、潤が肯定の意味で目を合わせた。
「ああ。三時間は寝たし、今夜も徹夜にはならないだろうからな。今日はちゃんと家に帰って寝る」
「潤ちゃんの仕事、今日は半分ワシがやったんじゃで!」
ふんぞり返る泰騎を見る倖魅のタレた目が、みるみる細くなっていく。
「泰ちゃん。普段潤ちゃんがやってる仕事の五割は、泰ちゃんがやらなきゃいけない仕事だからね?」
ピスミを泰騎へ返しながら、倖魅が泰騎の肩を強めに叩いた。
泰騎は、わざとらしく口笛を吹きながら潤の隣へ座る。デスクにピスミを座らせ、遊び始めた。
「潤ちゃん、たまに目ぇ開けたまま仮眠とってて、ボクびっくりするんだよねぇー」
倖魅が、目の前にあるメロンを手に取り、潤の口へ放り込みながら苦笑する。
尚巳も眉を下げて頷いた。
「おれも驚いたことありますよ。蛇って目を開けたまま寝ますもんね」
「蛇は、まぶたが無いから目を開けて寝るんだけどな……」
幸魅と尚巳の会話に、凌がぼそりとツッコむが、誰も聞いてはいない。
潤の体内には、十二天将である騰蛇の遺伝子が組み込まれている。
翔のものとは違い、後天的に施術されたものだ。
十三年ほど前、とある組織の研究被検体だったところを、《P・Co》の社長である雅弥に保護された。
その際、雅弥と一緒に居たのが、泰騎だ。
現在、泰騎と潤は、雅弥の義弟として戸籍を取得している。
騰蛇は、背に黒い羽根を生やした蛇の姿をしている。
翔は鳥の姿をしている朱雀を宿しているので、鳥の言葉が理解できるが、夜は視力が低下する。
それと同様に、潤も蛇と話ができる。
だが、寒さに弱い――などといった、体質的な特徴がある。
ふと、尚巳が泰騎を見た。
泰騎は自分の――“所長”と書かれた――席に座っている。
ピスミを肩に乗せ、ファッション雑誌を眺めていた。
「そういえば、ちょっとした好奇心なんですけど……泰騎先輩と潤先輩って、どっちが強いんですか? 所長は泰騎先輩ですけど、潤先輩って神様が憑いてるんでしょう?」
一瞬、場の空気が止まった。
だが、潤のひと言で打ち消える。
「泰騎だ」
潤が泰騎を一瞥し、尚巳に向き直った。
「もし、社長に『泰騎を殺せ』と言われたら、俺の答えは『イエス』だ。が、何をもって『強い』と定義するかは、また別だからな。泰騎の持っている強さは俺には無いし、俺の持っている強さは泰騎には無い」
疑問符を浮かべる尚巳に、いつの間にか立ち上がっていた泰騎が肩を組んだ。
泰騎の肩に居るピスミの長い手が、尚巳の頬を軽く叩く。
「ワシが所長やっとるんは、単純に『事務所作る!』って言うたのが、ワシじゃからなんよなぁ。でも、尚ちゃんが気にするんも分かるわぁー。ワシも、フツーは潤ちゃんの方が絶対に強い思うもん。なんせワシは式神さんとかは視えるだけで、なーんも使えん、ただの人間じゃからな! 武器も、銃とか飛ぶヤツ使わんし。もしも潤ちゃんが本気出したらワシは一瞬で蒸発するで!」
「それでも蒸発しないのが、泰騎なんだけどな」
倖魅が持ってきた紙とは別の書類を眺めながら、潤が呟いた。
「そっかぁー……尚ちゃんはまだ泰ちゃんと仕事したことないもんねぇ。今度一緒に行ってみたら? 面白いよー? ボクは行きたくないけどねー」
倖魅の言葉に、尚巳の頭上にある疑問符は巨大化した。
控えめに、いつも尚巳と組んで仕事をしている凌が挙手する。
「じゃあ、オレは潤先輩と仕事に行きたい」
「ちょっとぉ! 凌は水属性なんだから火属性の潤先輩の邪魔になるでしょ!?」
間髪入れず、恵未が怒鳴る。
凌がたじろいだ。
「まぁまぁ、恵未ちゃん。そんな怒らなくても……大丈夫だよ。ね? 潤ちゃん」
倖魅が潤に目配せし、潤が頷いた。
「俺は構わない。中国での案件が来ていたから、それを充てるか。……通常業務に穴は開くが、営業成績も安定しているし、当日アポの入っている会社には後輩を送ってくれ」
潤の言葉に、凌が「はい」と返事をし、小さくガッツポーズをとった。
それを見た恵未が、そっぽを向いてむくれてしまった。
それを倖魅がなだめている。
「あ……人数が四人に増えると、報酬の手取りが減るんじゃ……」
尚巳が申し訳なさそうに潤を見た。
潤は、そんな事かと呟いた。
「別に。俺は金が欲しくて仕事をしているわけじゃない」
「潤って、給料の大半を寄付に回すくらい、金に執着ねぇもんなぁ」
ワシには理解できんわー。と、泰騎が自分の椅子を回転させた。
「中国かー。久し振りじゃなぁ。ふたりとも、水と食べ物ちゃんと準備せんとな!」
「お前、インドやイラクへ行っても腹を壊したことないだろ」
潤が半眼で呟いた。
「ワシは現地調達するからええんよ。ワシ、中国の食いもん結構好きじゃし」
「四人抜けるって事は、ここにはボクと恵未ちゃんだけかー……淋しいねー」
言葉とは裏腹に表情が明るい倖魅。
そんな彼からピスミを取り返すと、泰騎はニヤニヤしながらピスミの手を向けた。
口を動かさずに、裏声でピスミに声をあてる。
『倖ちゃん、恵未ちゃんにセクハラせられなよ』
「んなっ!? しないよ! 泰ちゃんのばか!」
倖魅が耳まで赤くして吐き捨てる横で、恵未はブツブツと、日中何を食べるか呟いている。
「まぁ、恵未ちゃんにセクハラなんかしたら、倖ちゃんきっと全身複雑骨折よな!」
笑い飛ばす泰騎の言葉に、倖魅は真っ赤だった顔を、青くする。
「現実的過ぎて笑えないよ、泰ちゃんー」
半泣き状態で、倖魅が悲痛な声を上げた。
「……この部屋で、平気で下着姿になって着替える奴が、そういう事気にするかな……」
ぼそりと呟かれた凌の言葉に、尚巳が大きく頷いた。
「年頃の女子が、スポブラにボクサーパンツってのもドン引きだよな! 色も、黒かグレーだし!」
「尚巳にドン引かれようが、私には関係ないから。こそこそ隠れて着替えるなんて、時間が勿体無いわよ」
クレープを平らげた恵未は、今度はチョコレートがコーティングされたプレッツェルの袋を開けたところだった。
「へぇ。おれはレースとか好きだけどな。かわいくね?」
「ふりふりレースの下着は、見た目は可愛いけど動きにくいのよね。レースもリボンも邪魔なだけ」
「そういうもんなのか」
「年頃の女子が、男に混ざって下着談議とかやめてよー! 尚ちゃんも、なに普通に女の子の下着について語ってんの!?」
倖魅が情けない声を上げた。
「あ、今日のおれのパンツ凄いですよ! 歌川国芳の『宮本武蔵の巨鯨退治』柄なんです! なかなか渋い色合いで、気に入ってるんですよー」
「へぇ、お前、歌川国芳とか知ってんのか……あ、見せてくれなくて良いから」
凌は感心したが、ズボンのベルトを外そうとする尚巳を手で制した。
「どこで買ったのかは気になるんだけど、パンツから離れて!」
倖魅が恵未の前で壁になりながら、必死に訴えた。
視界を守られている恵未はというと、プレッツェルをぽりぽり食べている。
潤が、手を一回叩いた。
「早く今日の分の報告書をまとめないと、七時までに上がれないぞ。あと、中国へ行くのは土日だから、事務所は休みだ」
その言葉に、各々返事をして自分の机へ向かった。
倖魅は落胆しているが、泰騎がピスミの陰で笑っているだけで他の者は気付いていなかった。