第二十九話『もうひとつの高校』―4
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活麗園は、パニック状態だった。
敷地内にある小学校、中学校にも情報が広がり、教師も児童、生徒も走り回っている。
《自化会》に所縁のある教師も複数人在籍しているので、《自化会》の会員と、その教師が中心となって避難誘導をしている状況だ。
掃除屋と連絡がとれたので、後の記憶操作はあるものとし、《自化会》のメンバーは普段通り動いている。階級は関係なく、高校生が一般生徒を誘導、護衛しながら、合成生物を倒す形となっている。
それ以外の会員は、一般人の振りをして避難。その先で合成生物が現れた場合に、動く手筈となっている。
「小、中学生は避難完了だって」
「んだよ。高校生が集合遅ぇとか、下に示しがつかねーな」
威からの伝令に、浩司は舌打ちした。高等学校の校舎内を走りつつ、逃げ遅れが居ないか見て回りながら。
「仕方がないよ。模擬店会場が一番に襲撃されて、怪我人が多かったし」
「怪我人が多いからこそ、迅速な対応がだな――っと、左に居んぞ!」
T字になっている廊下の左を目掛けて、威の式神である、サボテン形態のミドリが針を飛ばす。割り箸程の大きさの針が身体中に突き刺さり、角の奥に居たキメラは断末魔を吼えている。茶色いキメラだ。
更に、浩司の竹槍――屋外用箒の柄を斜めに削いだもの――が突いた。
「マジ気持ち悪い! 腹から脚六本生えてんのに、人間の腕もあるとかヤベーだろ!」
「これ、ゴキブリかなぁ? 触覚長いなぁ」
威はしゃがみ込むと、心臓をひと突きされて息絶えた茶色いキメラの触覚を摘まんで見た。合成生物は人の形をしている。
頭からは二本の長い触覚が伸びていて、背中には翅がある。浩司の言った通り、腹から昆虫の脚が六本出ているが、人間の腕も存在している。首には、首輪のようなものが巻かれていた。
「それより、浩司は凄いな。見えてないのに、よくこいつが居るって分かったね」
「気配の感じ方は、拓人さんに教えて貰ったんだ。俺はまだ訓練不足だけどな」
黄みがかった液体の着いた竹槍を引き抜いた浩司は、マジかよ……、と顔を歪めた。人間の姿がベースとなっているものだから、血が付着しているものだとばかり思っていたためだ。
まさか、血液ではなく虫の体液が体内を循環しているとは、予想していなかった。
浩司は遠心力を使って竹槍の体液を飛ばすと、屋上を目指して走り出す。
角を曲がった所で、威が盛大に転んだ。更に廊下を転がる。
後方を走っていた浩司が、何やってんだよ、と呆れて声を掛けたのだが、角を曲がった瞬間、息を飲んで立ち止まった。
苦痛の呻きが廊下じゅうに転がっている。生徒も教師もだ。
威はというと――
「痛ぁー。って、ああ! 蹴飛ばしてすみません!」
倒れている数学教師に躓いて転んだだけのようだ。しゃがみ込み、自分が蹴り飛ばした教師に頭を下げている。
その教師だが、体に細い裁縫針のような物が刺さっていた。一本や二本ではない。そして、皮膚にただれと炎症が見られる。
「毒? でも何だこの武器……金属よりは植物に近いような……」
眉を潜める威に、浩司が「避けろ!」と怒鳴った。
「へ?」
何とも間抜けな声だけ発し、威は動かなかった。否、動けなかった。威の頭に浮かんだのは「避けろって、どっちに?」という疑問のみで、自分に迫る危機を察知するには至らなかった。
威は、反応速度が絶望的に遅いのだ。
「式神に頼ってばかりいるから、そうなる」
風鈴のように涼しい声が、前方から届いた。
朱莉だ。
バッ、っと広げられた黒い布が威の周りを覆う。教室にある、遮光カーテンのようだ。それに、無数の針が突き刺さる。
「その針に触ると、激しい痛みと麻痺の症状が表れるみたいだから気を付けて」
注意を促す朱莉の後ろでは、両手にナイフを持った金髪の人形が何かを刺している。赤ん坊ほどの大きさをしたソレは、刺されると一度大きく仰け反り、ビチビチと暴れた。が、人形はソレを刺したまま動かない。結局、ソレはすぐに動かなくなった。
針を飛ばした本体は何かと、威と浩司が駆け寄る。
二人とも、見る見る内に顔が強張っていく。
赤ん坊ほどの大きさをしたソレは、鮮やかな黄緑色の毛虫だった。丸っこい体に、針のような毛が生えている。頭部に四本、尻側に二本の、赤と黄色の角のような物も突き出ている。それも、刺々しい。
「人間とのキメラだとは思えない。多分、ナシイラガと人間のキメラから生まれたもの」
威は、こいつナシイラガっていうのか……、と一人で感心している。
そんな威は無視し、浩司は朱莉に顔を向けた。
「嵯峨は、どこを見て回ったんだ?」
「小学校全棟、中学校全棟、高校の北棟、体育館」
「えっ!? 朱莉ちゃん、すごいね。オレたち、まだ南棟の三階しか見てないよ」
能天気な声は、再び無視された。いや、“まだそれだけしか見ていないのか”という意味の込められた視線を一瞬だけ向けられたので、完全な無視ではない。
金髪の人形とは別の、一回り小さい人形たちが遮光カーテンをたたみ、廊下の手摺に並んだ。
「私は、幼虫を三体しか殺してない。本来こいつらは、二、三十個の卵から生まれるのに」
「他にも居るって事か?」
「分からない。キメラの産卵数が、昆虫のそれと同じなのか、元々少ないのか……あと、成虫の姿も見えない。まぁ、成虫は無毒だから、あまり気にしなくてもいいのかもしれないけど」
朱莉と浩司が難しい顔をしている中、威はサボテンの姿をしたミドリに向かって、怖いねー、と緊張感のない声を掛けた。同時に、ミドリの上部に何かが落ちてきた。
「何だこれ……どこから……」
威が持ち上げると、卵形の物体の中で何かが動いた。
「なぁ、それ、繭じゃね?」
「繭? って事は、蛹?――っ痛!」
威の放り投げた繭を見やると、表面に針が突き出していた。
「ちょっと待って! 痛いんだけど! 何々!? 痺れてきたよ!? 肌も赤紫色になってきたんだけどぉお! っばびッ!?」
騒がしい威を平手で黙らせると、朱莉は人形を使って繭を突き刺した。
「おかしい。ナシイラガは、幼虫以外は無害なはず……」
「別の虫って可能性は?」
「あんな気持ち悪い見た目の幼虫、間違えない」
「…………」
目を開いたまま固まった浩司に、何? と朱莉は眉を寄せる。
「いや、お前でも何かを気持ち悪いとか思うんだな」
無言で睨まれ、浩司は口を閉ざした。
「ねぇ、ちょっとお! 痛いんだけど! オレ死んじゃうの!? ねえ!」
「ちょ! それより上見ろよ!」
威の悲痛な訴えを退け、浩司は廊下の天井を指差した。
そこには、先ほど金髪人形のナイフに滅多刺しにされた繭と同じものがみっしりと貼り付いている。
そしてその内のいくつかは、大きく脈打っていた。
 




