第二十九話『もうひとつの高校』―3
グラウンドでは、二年生と三年生が飲食用テントの設営などをしている。そんな中、絶叫と大きな音が校舎まで届き、生徒がざわついた。
数人が、校庭を見るために窓際へ駆け寄る。その内の女子生徒からも、悲鳴が上がった。男子生徒も固まっている。中には、携帯電話で動画か写真かを撮っている者もいる。
不思議に思った浩司が同じように外を見やると、人と同じ大きさをした蜂が居た。体はスズメバチのようだが、首から上は人間のようだ。
尻から出た巨大な針で、生徒たちを次々と刺して回っている。
「……人面蜂だ……」
一度に様々な感情が湧いて出て、出た言葉がそれだった。
足早に席へ戻ってきた浩司に、珍しく朱莉が話し掛ける。
「……どうしたの?」
小さな問いに、同じく小声で浩司が返す。周りを気にしながら。
「人面蜂が居る。多分、《天神と虎》の造ったヤツだ。結構な人数が刺されてた」
「ヤバいじゃんかぁ! どうしよう!? 学祭の準備なんてしてる場合じゃないよね!?」
頭を抱える威の頬に、うるさい、と朱莉が平手を食らわせた。呆気にとられている威には構わず、朱莉は早口で言葉を紡ぎ出す。
「まずは皆を避難させる。威は他の会員に連絡。ミドリを使って目立たないように、避難した人たちの護衛。怪我人の手当ても。浩司、武器は持ってる?」
「え……いや、学校に銃は持ってきてねーよ」
「なら、掃除屋さんへ連絡と、校内放送で避難の呼び掛けをして。私は他に合成生物が入り込んでないか見て回る」
言うが早いか、朱莉は鞄にぶら下げていたブードゥ人形を外すと、息を吹き掛けて人形を動かし始めた。三体の小さな毛糸人形たちは、それぞれが意思を持っているように、バラバラの方向へ走り去って行く。
朱莉は鞄を開けると、教科書の間から圧縮袋を取り出した。その中からは、布で出来た金髪の人形が、体を膨らませながら出てくる。
人形の髪やスカートを整えながら、朱莉は「行くから」と一言だけ残して、走り去った。
ものの数秒の出来事だった。
ぽかん、と口を開けている間に行ってしまった、朱莉の居なくなった空間を見つめながら、威は呆然と口を動かす。
「オレ、あんなに喋ってる朱莉ちゃん、初めて見た……」
同じく固まっていた浩司だが、頭を振ると威の尻をひと蹴りした。
「呆けてる場合じゃねーよ! 行くぞ!」
朱莉に指示された通り動くのは何となく癪にさ障るな、と思いながらも、浩司は放送室へ走る。足を動かしながら、携帯電話を耳にあてた。
◆◇◆◇
山相学園の近くにある商店街の奥に、”仏々“という名の喫茶店がある。レンガ造りの純喫茶。中では白髭を蓄えたマスターがコーヒーを淹れている。……と、とても画になるのだが、コーヒーを淹れているのは、くるくるとした癖毛が特徴の金髪青年だった。
この“仏々”の店長である。
”イケメン“というより、愛嬌のある、マスコット的な顔付きをしている青年だ。真ん中で割れている前髪の間では、立派なホクロが鎮座している。太めの眉も金色をしているので、金髪は地毛である事が伺える。
ホールスタッフとして女給がにこやかに接客しており、そちらの人気はなかなかのものだった。黒髪でおとなしい出で立ちではあるものの、顔がよい。小さな顔に、大きな目。派手な化粧ではないのだが、存在感のある睫毛。極め付きが、地味なエプロンに隠れている豊乳。更に、控えめながらも優しい性格は、黙っていても滲み出ている。
男性人気は勿論、彼女の淹れるハーブティーは、年齢を問わず女性からの人気も高い。
決して広くない店内。いつもは二、三人の客しか居ないのだが、現在は十人ほどの客で賑わっている。
その中に、翔の婚約者である光も居た。窓際の丸テーブルに、友人と向かい合って座っている。柔らかいプラチナブロンドが、夕陽に照らされ、オレンジ色の光りを散らしていた。
「何だか嫌な予感がするのよねぇ」
レモンをベースに、レモングラスやカルダモンなど、複数のハーブや果物を使って作られたハーブティー”レモン・リフレッシュ“を飲みながら呟いたのは、光の友人だった。輿まで伸びた黒髪は、ビロードのように艶やかだ。
高校二年生にしては大人びた雰囲気を纏っており、映画の主演女優のようにも見える。
「あら。鈴音も?」
「って事は、光もなのね」
何かしら、と二人が声を重ねた時、カウンター裏にある固定電話が鳴った。はいはーい、と金髪の青年が受話器を上げる。
「えっと、あぁ。浩司君? 学校に? それは大変だねー。ちょっと落ち着いて。……うん」
電話に対応しながら金髪青年が目配せすると、ウエイトレスは頷き、カウンター裏へ回って、小さなカードをたくさん持って出てきた。
「申し訳ありません。急な用事が入り、お店を閉めなくはいけなくなってしまいました。こちらの都合ですので、お代は半額で結構です。次回はこれを持ってお越しください。お待ちしております」
客のひとりひとりに、そう言いながらカードを二枚ずつ手渡していく。片面には”コーヒー1杯無料“、もう片面には”ハーブティー1杯無料“と書かれている。使用する際に、どちらかを提示する仕様となっている。
他の客が帰ると、ウエイトレスは奥へ引っ込んだ。金髪の青年が、エプロンを外しながら光たちの座っているテーブルへ近付いてくる。
「ごめんね、ふたりとも。活麗園に合成生物が出たんだってさ」
「活麗園って、一芸入園も受け付けてる変わった学校?」
「そうね。翔の所属している団体の会員さんの殆どはそこに通っているらしいわ」
女子ふたりが顔を見合わせていると、金髪青年も、そーそー、と頷く。
「一般人がたくさん居るのに、止めて欲しいよね。全員の記憶を操作する身にもなってほしいよ」
愚痴を溢すと、光たちの前にも無料カードを二枚ずつ置いた。
「ってなわけだから、行ってくるね。送っていきたいトコだけど、急ぐから。二人も気を付けてね」
女子高生を二人送り出すと、金髪店長も身支度を始めた。
店舗入り口に掛けてある札を“CLOSE”に変えたウエイトレスは、店のブラインドを閉めながら首を傾げる。
「光さんは良いとして、お友だちの記憶操作はよかったんですか?」
「光ちゃんの友だちだよ? 記憶をいじるの怖いよ」
勘も鋭そうだしね、と店長は嘆息混じりだ。“記憶を操作する”。言うのは簡単だが、実際はリスクも伴う。敏感な人間には、通用しない事もある。
中学校を卒業した十五歳で店を引き継ぎ――因みに、オーナーは父親だ――《自化会》専属の“掃除屋”としても活動する彼、藤原竜忌は肩を竦める。
「雪ちゃん、運転宜しく。おれは、記憶操作で刷り込むシナリオ考えるから」
ウエイトレス――雪乃は快く了解すると、竜忌と共にガレージへ走った。




