第二十八話『骨と負傷とカマキリ再び』―3
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山相学園では、学生たちが部活動の時間を謳歌していた。グラウンドや体育館は勿論、屋内でも文化部や同好会が活動をしている。
太陽は傾いているが、まだまだ明るい。そんな中で、苦痛に悶えるような呻き声が、校舎内に反響していた。
「ああうぅぅ……」
机に突っ伏し、白い紙を相手にシャープペンシルを握りしめている男子生徒。テストで赤点を獲ったため、現在補習中だ。
「界君はまず、教科書を見ようか」
隣で勉強の補助をしている黒髪眼鏡の友人は、固く閉ざされていた数学の教科書を、開いて見せた。
机に突っ伏している黒髪の小柄な少年は、教科書をちらりと見ると両手を突き出して、数字の並んでいるそれを遠退けた。
「おれ、教科書を見ると蕁麻疹が出るんだってー!」
「大丈夫。蕁麻疹は出てないし、界君はやれば出来る子だから。ほら、現代文も英語も、ちゃんと出来たし」
解答欄の埋まった指定プリントを見せながら、もうすぐ夜間の人たちが来ちゃうよ、と行動を促す。
「景、教科書読んでー」
おれはもう、教科書の文字を読む元気もないんだよおおぉ……。と机を涙で濡らす界。景は嘆息すると、開いた教科書を自分の方へ向けた。
「連立方程式だね“連立方程式とは二つの文字を含み、二つの式からなる方程式のこと”。二つの文字っていうのは、“x”や“y”の事だね」
連立方程式――中学二年生で習う計算式だ。
「何で数学でまで、アルファベットを見なきゃいけないの? わけがわかんないよ!」
「界君、前回の補習でも同じ事を言っていたよね……」
落書きだらけの教科書を眺めながら、景は苦笑するしかない。居眠り中に付いたであろう涎によって、パリパリになってしまっているページを捲る。
すると界が、上体を起こして窓に顔を向けた。
「ねぇ、景。何か、外が賑やかだよ」
「そろそろ部活も片付けの時間だからね」
「違うよ。何か、バババって、小刻みに聞こえるんだ」
ヘリコプターかな? と、立ち上がって窓の外を見上げると、黒い影が横切った。
界は黒い影が飛んだ先へ首を捻ったが、影はもう見えない。
「ヘリコプターにしては変な形だったなー。新型なのかな?」
と、また自分の席へ戻り、椅子に座った。
「じゃあ、この4xマイナス3yイコール、マイナス9と――」
補習を再開したと同時に、今度は廊下から悲鳴が上がった。女教師の声だ。
界と景が反射的に悲鳴の方を向くと――女教師の姿は壁に隠れて見えなかったが――窓越しに赤い液体が飛沫を上げていた。
姿を現したのは、人と同じ大きさをした茶色いカマキリだ。細い首には、デジタル時計のような首輪を着けている。
「……ハロウィンにはまだ早い……よね?」
界が顔を引き攣らせて言うと、景は教科書を机へ置いた。
「昨日の福岡で起きたニュースと同じなら、呑気な事を言ってる場合じゃないかもしれないね」
「景、九州はすっごく遠いって言ったじゃん!」
界が勢いよく抗議すると、カマキリが二人の存在に気付いた。教室のドアに、鎌を引っ掻けて開けようとしている。
「わ! ヤバイよヤバイよ! おれ、虫は平気だけどあんな大きいのはムリだよー!!」
と、界が跳び跳ねて景に抱き付いた瞬間、ドアが勢いよく開き、巨大カマキリの全貌が二人の視界に飛び込んできた。
景は口を一文字に結んで、肩を震わせている。
界は大口を開けて、盛大に笑った。カマキリを指差し、腹を抱えて。
巨大カマキリの胴体からは、人間の脚が生えていたのだ。




