第二十七話『正義のヒーロー』―3
あぁ、やっぱり。と尚巳はもう驚きはしなかったが、他のメンバーは少なからず動揺している。
真剣な面持ちで考え込んでいる尚巳に、イツキは案じ顔を向ける。キメラの失敗作を複数見てきたイツキが心配するのも、無理はない。
そして、イツキも他の団員同様、ユウヤに強く発言出来ないようだ。マヒルの手前……という事も、あるかもしれない。
「えっと、何だか……、ごめんね」
イツキに謝罪された尚巳だが、表情は依然として真剣なままだ。イツキは尚巳の、ここまで深刻な顔を初めて見たので、それ以上言葉を掛けられずに居た。
そんな中で尚巳が、口火を切った。
「イツキ様……」
「何だい?」
尚巳の声は、重かった。イツキは不安そうな表情のまま、尚巳を見返す。
「男の猫耳なんて、正直おれは見たくないんですが……アリなんですか?」
数秒間の沈黙。
“しー……ん”という音が聞こえる程静まり返っていたが、イツキは尚巳の質問に答えるべく、息を吸った。
「えっと、うん……そうだね……。僕は、悪くないと思うよ」
「ならいいんですけど。あ、某魔法魔術学校の女の子みたいに、毛むくじゃらの猫人間になったらどうしよう……。ノミとか凄そうですよね。でもまぁ、なってみないと分からないですもんね」
何やら納得した様子で二、三度頷いている尚巳の様子を眺めていたイツキが、「何となく分かってたけど、すごい順能力だなぁ」と苦笑した。
ユウヤが皆を連れてきたのは、音楽室だった。有孔ボードの壁に囲まれた室内には机と椅子が一組だけ残されていて、広々としている。
床には、黒板用の塗料が塗られている。辺りには、折れたものも含めて白のチョーク数本と、黒板消しが転がっている状態だ。
あまり地下に来ないと思ったら、こんな所で生成活動に勤しんでいたのか――と、尚巳は室内を見回した。ペンキのボトルを投げたのかと思う程、壁や天井には赤黒い汚れがこびりついている。
天井付近に掲げられた、名のある音楽家たちの肖像画にも例外なく飛散している。
「ぶっちゃけ、“四天王”なんて、おれには荷が重いと思っていたんで、丁度良かったです」
眼前で、慣れた手付きで描かれていく魔方陣。それを眺めている尚巳の表情は、穏やかだ。それが不思議で仕方がないのか、イツキは信じられない様子で、どうしてそんなに呑気なんだい? と言い溢した。
「“呑気”に見えます? あー、そうかもしれないですね。よく言われます」
尚巳は、うーんと、と考える素振りを見せた後、そーですねー、と続けた。
「おれは、流れに逆らいたくないだけですよ。その中で、自分を必要としてくれている人の力になりたいだけです。組織とか、団体とかはどうでもいいんです」
だから今は、イツキ様が必要としてくれたから、ここに居る感じですね。と尚巳は肩を上げて笑う。
「君、変わってるね」
「よく言われます」
尚巳は息を吐くと、視線を巡らせてみた。
赤、黄、青、ピンクのオーバーオールを着た人物たちが、各々複雑な表情を浮かべている。
赤は「オイはシャコがよかね! いや、ザリガニもカッコ良かけんね! 選べんちね!」とでかい独り言を放っているし、黄色は「空が飛べるのは便利だな」と考え込んでいるし、青は顔面を青くして震えているし、ピンクは「えー? じゃあ、わたしがボスの側近になるのはお預けなわけぇ?」と、ぽってりとした艶やかな下唇を突き出している。
そういえば、まだ名前もろくに知らないな……。赤がアキトで黄色がゴロウで青がシンジで、ピンクがミコトだっけ? と尚巳は脳内で名前を思い出していた。
そうこうしていると、ユウヤお手製の合成生物生成魔方陣が完成したようだ。それと同時に、音楽室の扉が開いた。
入ってきたのは、黒猫――を手に持った、白い兎の着ぐるみだった。
否、着ぐるみに見えるが、毛並みといい、鼻と口の動きといい、生きているようだ。しかも目付きが、とてつもなく、悪い。大きな傷まである。加えて、身に纏っている異様な空気。
つまりこいつは……。
(誰だろ)
ぼんやり考えていた尚巳に、意図せず答えが寄越された。
「先月ぶっ潰したヤクザの頭と、白兎を合成したんだ! かわいいだろ!」
組長は自殺しやがったから、頭に実験台になってもらったんだぜ! とユウヤは豪快に笑いながら、巨大な白兎の背中を叩きまくっている。
すると今まで無言だった白兎が、大きな前歯を見せた。口を開いたらしいのだが、前歯しか見えない。合わせて、ヒゲもひくりと動いた。
「しちゃれっちゅーけん、黒猫ば連れてきちゃったぞ」
「おうおう。よくやった! さっすが、俺の下僕!」
ピクリ、と白兎の眉間が痙攣する。只でさえ険しく鋭い目付きが、更に凶悪なものへと変化した。毛に覆われていて直接は見えないが、顔面は青筋だらけに違いない。
白兎が黒猫を放り投げたので、尚巳はそれをキャッチして両腕の中に収めた。黒猫は野良なのか、少々痩せている。
(やっぱノミとか凄そうだな。っていうか、あの着ぐるみ風っていうパターンもあるのか……)
前歯を剥き出しにして「わしゃあお前の下僕やない!」と怒りを露にしている白兎を目の前にして、尚巳はこっそり自分の心配をしていた。
そんな尚巳を襲う、生暖かい飛沫と固形物。
それが白兎の血液と臓物だと気付くのに、数秒掛かった。べったりとした血に混じり、服に貼り付いている白い毛が、何とも言えない気持ちにさせる。
「ったく。俺に従えねー奴は生きてる価値ねーっつーの」
ユウヤの足元には、四肢が捩られたように引き千切られた、白兎の体が横たわっている。いや、もう兎の形は留めていない。腹部も何回転かしているらしく、ネジのようだ。その裂け目から飛び出したものが、尚巳に直撃したのだ。
尚巳は、バッとイツキを振り返ると――引っ付いていた何かがベチャリと床に落ちた――イツキに視線を飛ばし、心の中で訴えた。
ちょっとぉおおお!? 聞いてない! ユウヤ君がこんな能力持ってるなんて、聞いてないですよぉおお!!
尚巳の心の声をしっかりと受け止めたイツキは、両手を合わせて肩を竦めた。“ごめんね”と口だけパクつかせている。
(いやいやいや! マヒルの様子見てたら、宙に浮ける程度だと思うだろ! 何だよアレ!? どうすんだよ、おれ!)
マヒルに”様“をつけ忘れる程焦りまくっている尚巳に、ユウヤは魔方陣を指差しながら「はいはーい。準備が出来たから、こっちこっちー」と手招いている。
腕の中にいる黒猫は怯えきって震えていた。ブルーの瞳は恐怖に揺らいでいる。
尚巳は軽く深呼吸をすると、黒猫の頭を撫でた。大丈夫だからなー、と猫に声を掛けながら、魔方陣の上へ移動する。
尚巳の両足が魔方陣の中央へ乗った刹那、魔方陣から青白い光りの柱が立ち昇った。合成生物生成の現場を見た事のないメンバーが、どよめく。赤、黄、ピンクは感動すらしている様子だが、青は顔面蒼白のままだ。
尚巳と黒猫は光りの粒子に包まれ、姿が見えなくなった。




