第二十五話『芹沢凌』―1
芹沢凌、十七歳は現在、数奇な状況下にあった。
今は亡き父の元同僚と、今は亡き父を殺した張本人――因みにこの二人は父子で、父は死んでいる――そんな二人に挟まれているのだ。
父が死に、母は心を病んで死に、自分は預けられた施設から逃げ出し……、《P・Co》の社長に拾われてから、もう四年になる。
当時焦げ茶色だった髪は、入社前の訓練を受けている時、ストレスにより色素を失った。精神的にも肉体的にも己を追い込み、文字通り血反吐を吐きながら、厳しい訓練に耐えた。
父親の仇を殺す一心で。
なのに、だ。
「ねぇ、凌。これ何て読むの? へん……ざい……てき?」
「『偏在的』物事が片寄って存在している事だな。“偏食”の“へん”と同じ漢字だ。偏食ってのは、食べ物の好き嫌いが激しくて、食べ物が片寄ってる事を言うだろ」
「なるほど」
今現在、凌は殺すべきはずだった相手に、高校二年生で習う現代文を教えている。
「凌はすごいな! 中学以降学校へ行っていないというのに! さすがは敏晴の倅じゃ!」
よいしょ、よいしょと持ち上げられようと、全く嬉しくない。
何で! オレが! 自分の父親を殺したやつに勉強を教えなきゃならねーんだ!
と、胸中で力一杯の喚声を上げた。危うく声に出掛かったが、喉を焦がす思いで耐えている。
凌自身が、学科家庭教師を了解したから。というのもあるが、理由は他にあった。
「潤さんは、緑茶とほうじ茶とコーヒーと紅茶、どれがいいですか?」
「ほうじ茶を頼む。夕飯は翔と俺で作るから、使える材料を教えてくれ。根菜が多いと助かる」
向かいに座りノートパソコンを開いて仕事をしている、凌の先輩の存在が大きい。凌に、勉強の指導にあたるよう言い渡した張本人だ。
翔が康成にオレンジジュースを催促している様子を半眼で眺めながら、凌は小さく溜め息を吐き出した。
「凌君も、何か飲みますか?」
「……じゃあ、先輩と同じものがいいです」
康成は、凌君は本当に潤さんが大好きですねぇ、と微笑んで、注文の了解とした。
事実なので、凌は否定しない。『大好き』と言うと粗雑な感じもするが、総じて言い表すと、間違いではない。
立場上、潤は兄弟子にあたるが、凌は潤の事を師のように敬っている。自分にないものに憧れる心理もあるのだろう。
訓練期に助言を仰ぐ度、適切且つ的確な答えを与えられてきた事も、大きな要因だ。今では盲目的に、潤の一挙手一投足を尊敬の眼差しで見るようになっている。
「凌、次は数学の宿題ー。因数分解教えてー」
「お前、少しは自分で解けよ」
「んー……この、xの右上の“2”って何? 何か、小さいんだけど」
「xの二乗だバカ! お前、それ確か中一で習うだろ!」
「へぇー、“にじょう”って言うんだ。潤の苗字と同じだね」
ところで、何で数学なのにアルファベットが出てきてるの? と難しい顔をしている翔に、凌は米神の血管をヒクつかせた。
何でお前、高校生になれて、あまつ二年生に上がれたんだ? という疑問を口に出さずにはいられなかった。
「高校は作文と面接をしたら入れたよ。あと、出席日数が足りてたら進級出来るよ」
凌は、翔が“因数分解”という言葉を知っているだけでも奇跡的なのではないか、と錯覚をしてしまう程、頭を痛めた。




