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後編

『もしもし、遥ー?おーい。』


受話器から、そんな万智佳の呼び掛けが聞こえる。

…それ以外には音は無いはずだ。

少なくとも、私にとってはそれしか聞こえない。

それなのに、彼女は何故“会話のような声”と言ったのだろう。


「………。」


私は、自分の体が震えていることを知った。

どうすれば良いのか解らない。

振り替えるべきか、このまま動かずにいるべきか。


『…?まあ、そんな急ぎの用事でも無いからさ。また後で連絡するね。』


「えっ、あっ、万智…!」


待って、と言う前に彼女は電話を切ってしまった。

そして、訪れる無音。

私は相変わらず動くことが出来ない。

そのまま何十分とそこにいただろうか?

暑い廊下にいる為汗が流れ、体から落ちていく。


「………。」


私は意を決した。

このままでいても仕方ない。

脱水症状を起こして倒れる、なんて笑えない事もあり得る。

自分の出来る限りに素早く、勢いをつけて。

私は───


「──ッ!」


半ば目を閉じながら、振り返る。

そこには──何もいなかった。


「はぇ……?」


拍子抜けな事に、私は情けない声を漏らす。

何も無いのに自分は恐怖し、時間を無駄にしていたのか。


「何だよ、もぉ…。」


汗で顔に貼り付いた髪を剥がしつつ、私は溜め息を吐いた。

居間の扉を開けると凍えそうなくらいに冷たい風が顔に当たり、テーブルの上には食べかけの食事と、点けっぱなしのテレビがあった


(もしかして、テレビの音だったのかな?)


万智佳の聞いた会話のような声。

自分は気付かなかったが、もしかしたらテレビ番組の音声だったのかもしれない。


「うん…そうだよ。きっとそう。」


そうでなければ、万智佳の気のせい、もしくは悪戯。

不可解な事に理由をつけて安心したくて、私はそう結論付けた。

その後は、極度の疲れからそのまま居間で寝てしまっていた。

起きるともうお母さんもお父さんも帰って来ていて…いつもの夜だった。

三人で卓を囲み夕御飯を食べ、お風呂に入り、歯を磨いて自分の部屋に戻る。

その前に少しお父さんの部屋を覗いてみると、ゴルフクラブのケースが倒れていた。

あの音はこれが原因だったのだろう、と立て直しながら私は思った。

部屋に戻ってからは特にすることもなく。

まだ夏休みも初めの方だから、宿題をやろうという気も起こらない。

パソコンを点け、目的もなく弄りながら時間を潰していく。

気付けば日が変わり、もう1時になろうとしていた。


(あ、もうこんな時間…。)


そんな事を思うが、かといって眠くはない。

昼に結構な時間を寝てしまったためだ。

明日も休みだし、無理に寝る必要はないだろう。


(とりあえず、トイレ行こう…。)



もうお父さんもお母さんも寝たらしく、私の部屋を除いて電気は消えていた。

灯りを点しつつ、私は二階の奥まった所にあるトイレへ入る。

そしてそこで用を足し、隣の洗面所で手を洗っていた。

洗面所には昔ながらの白熱電球が一つしかなく、ぼんやりとした、頼りない光しかなかった。

しかも変えたのも大分前である故に、たまに点滅をするようになっていた。

そして、この時も──。


「……?」


瞬くように、辺りが2、3回ほど暗くなる。

見上げると、件の白熱電球が先程より弱々しい光を苦しそうに放っていた。


「ちょっと、こんな時に…。」


深夜で、水場。

こんな所で暗闇になられたら、不気味に感じない筈がない。

早く手を拭って洗面所から出ようとすると、カチン、と音をたててまた一瞬暗闇になる。

そして再び灯りは点るが、洗面所は闇に近い、という程度の明るさになっていた。


(…これなら、見えない分暗闇の方がマシな気がする。)


とにかく速く部屋に戻ろう。

そうすれば、明るい世界がある。

そう思って、視線を天井から下ろした。


「……。」


けれども、そこから動かなかった。

目の前の鏡に、それは釘付けになる。

そこには、自分がいた。

そして、その右隣。

いや、左隣にも。

後にも。

いや、洗面所の至るところに、所狭しと何かがいた。

人のような、形。

自分より背の高いもの、低いもの、様々な大きさではあったが、その一点だけでは違いはない。


「ひっ……。」


引きつったような声が、喉から出た。

それらは私を取り囲むように存在していて、逃げ出そうにも叶わない。

私は、ここでやっと確信した。

夢では無かった。

気のせいでも無かった。

喫茶店で感じた視線も、家での奇妙な出来事も。

全て、ここにいる彼らが原因だったのだと。

──そして、そこで私の意識は途切れた。





『はあ?幽霊?遥、寝ぼけてんのか?』


受話器の向こうから、私を小馬鹿にしたような声が聞こえてくる。

主は、孝晴だった。

早朝、気づくと自分は洗面所で倒れていた。

あのまま恐怖のあまり失神していたらしい。

転倒時に頭を打ったらしく、おでこにたんこぶも出来ていた。


「ホントに見たんだって!それも一人や二人じゃなくて!絶対あの祠の祟りだよ!」


『夢でも見たんじゃねーのか?俺の方には何にもないぞ。』


曰く、彼も昨日は深夜まで起きていたらしいが、特に変異は起きなかったらしい。

そこはまあ、自分も異議を唱えたい。

そもそも開かずの小屋を開けようと提案したのも、祠を無理矢理開けたのも孝晴の筈だ。

それに乗っかった私に罪がない…とは言わないが、私一人だけこんな目にあう道理はない筈だ。


『浩にはその事言ってみたのか?』


「…まだ。こういう話は、孝晴の方が信じてくれそうだったから…。」


『あいつは実際そういうの見ても幻覚で済ましそうだしな…。』


それでも、孝晴との会話が終わった後、一応浩へも電話を掛ける。

まだ朝早い為か家におり、電話にも直ぐ出てくれた。

そして、私が体験した一連のあらましを、余すことなく伝える。

すると


『…人影を沢山見たのか?』


「う、うん。私を取り囲むような感じで、何人も…。」


その事を聞くと、黙り込む彼。

そのまま暫くの沈黙の後、こう切り出した。


『実はさ、あの後図書館で調べてみたんだ。』


「えっ…何を?」


『この地方の歴史…郷土史か。あの祠、ちょっと気になったからさ。』


浩は図書館から帰る前にそのコーナーへ行き、いくつか本を借りてきたらしい。

そして、それを読んでみたところ、ある事が分かったのだそうだ。


『どうやらこの地方には、特殊な神がいたらしいんだ。』


「特殊な神…?」


『いや、元々は神がいなかった、と言うべきか。神を持たなかった古代のこの地の人々は、それなら作ろう、と考えたらしいんだ。』


「作るって…神様って作れるものなの?」


『人神っていう信仰形態があるらしくてな。えっと…北野天満宮とか、日光東照宮が有名どころだな。』


人神は読んで字の如く人の神だ。

偉大な功績を残した人が祀られたり、祟りを恐れた人々が祀ったりして神となるらしい。

ただ、この地のそれは、少し事情が異なる。

神のいなかったこの地では、人を殺し、そしてその霊魂を神として祀っていたのだという。

そしてそれは一人だけではなく、神としての力を増すという意味合いで一年に一度、同様にして人を殺していたのだそうだ。

要するに、生け贄と言って差し支えない。


『で、あの髪の毛の束…あれはその犠牲者たちのものらしいんだよ。』


「……。」


『髪の毛って幾ら切ってもまた伸びるから、“再生”とか“命”の象徴として神聖視されてたんだってな。だから御神体として、あの祠にも祀られてたんじゃないか?』


あの髪が、神となる為に殺された人々のもの。

その事実を知ると、一層不気味さが増してくる。


「じゃあ私が見た沢山の人影って…。」


『ああ、その人達の霊…いや、“神様”って事になるのかな。この地方で信仰されてたその人神…“須陀吉(すだき)”って名前らしいんだけど、それが集まるの古語、“(すだ)く”から来てるんだってさ。…無関係とは思えないだろ?』


人々の霊が集まり、生まれた神、スダキ。

まだあの祠に祀られていた神がそれだと決まったわけではないが、浩の話とは共通点が多い。

やはり、私の見たものがスダキなのだろうか…?


『その人身御供みたいな習慣がいつまで続けられてたかはこの本からは解らないけどさ…多分ああやって封印されてたのも、そういう後ろめたい過去があったからなんじゃないかな?』


「…でも、何でそれで私の家に付いてきちゃったの?何で祠の外にいるの?」


『……。』


浩は、また黙り込む。

そんな事を聞かれても、彼だって分からないだろう。

いや、世界中の誰だって分かる訳がない。

それでも、何らかの理由が欲しい。

それらしい、というだけでもいいから、兎に角理由が欲しかった。

私のそんな切なる願いが通じたのか、浩はやがて口を開いた。


『…あの祠、御札貼ってまた閉めただろ?もしかしたら一回開いてスダキが出て来て、その状態で閉めたから、祠に戻れなくなって困ってるんじゃないか?』


助けを求める為に私の方に付いてきた…ということだろうか。

確かに、その理由は納得できる。

御札で外に出ないようになっていたなら、入ることも出来ないだろう。

もしその通りの理由なら、私たちがやるべき事は一つだ。


「じゃあ、じゃあさ。またあそこの小屋に行って祠を開ければ、元に戻ってくれるってこと?」


『………確証はないけどさ。でも何もしないよりは…。』






その日の午後。

ほぼこの前と同じ時刻に、私たちは学校へ集まる。

珍しく今回、孝晴は私より先に来ており、私が最後だった。


「あれ?珍しいじゃん。どうしたの?」


「いや、別に…。」


「何もない、訳は無いよな。俺より早く来ておいて。」


と言うことは真っ先に来た、という訳か。

私たちにとっては、驚くべき事である。


「いや、その…まあ流石に堪えたっつーか…。幽霊が本物かどうかは置いても遥を恐がらせた原因を作ったのは俺な訳だしさ…。」


「責任、感じてるんだ?」


「……。」


孝晴は恥ずかしそうにそっぽを向く。

こういうところが彼の良さというか…何か、憎めなくなってしまう。


「まあ良いじゃねーか。兎に角、早くあの小屋に行ってさ…祠をまた開ければいいんだろ?なら早く済ませようぜ。」


彼は用意よくまた針金を沢山持ってきたらしく、どこからか取り出して握っている。

ああ、またあの無為な時間が始まるのか、と思ったが、今回はすんなりと開けてしまった。

慣れて来たのか、それとも余程気合いを入れたのか。

いずれにせよ、私たちは再びあの祠の前に立つ。

以前と変わらず、その前面の扉には御札が付けられている。



「しかし…結構糊を付けたから剥がしにくくなってるんじゃないか?」


「まあ、そこは慎重にやるよ。こっちの鍵には時間を掛けなきゃな。」


そしてまた解錠を担当するのは、孝晴である。

御札の端を爪で引っ掻きながら起こし、そこを摘まんで慎重に、ゆっくりと剥がして行く。


「…。」


余程神経を使っているのか、孝晴の頬を汗が伝う。

けれども、剥がそうとしているのはいつのものかも分からないくらいに古い紙だ。

それを生半可に強く接着してしまったのがいけなかった。

それは半分くらい剥がれたところで、びり、と音を立てて破れてしまった。


「あっ!あちゃー、やっちまった…。」


「ど、どうするの?セロハンでくっつける?」


孝晴はそのまま何とか引き剥がし、その御札をじっと見つめる。

それは完全に分かれこそしなかったが、半分くらいは切れてしまっていた。


「…まあ、真っ二つにならなかっただけマシと考えとくか。」


「貼り直す時にのりで修復するしかないな。今は兎に角、開けるとしよう。」


過ぎたことをどうすることも出来ないので、私たちは目的である祠を開く。

そしてそこには変わらずに、パサパサに乾ききった髪の毛の束が置かれていた。


「…殺された人達の髪の毛だと思って見ると、一層不気味だな。」


「まあな。そこは可哀想だとは思うけどさ。ってか、いつまで開けとけば良いんだ?」


その問いに答える声は上がらない。

誰も、そこまでは考えてはいなかったのだ。

入ったかどうか、なんて事が分かる筈もないし…。


「…明日また来て閉めるか?」


そんな提案をしたのは孝晴だった。


「今夜一晩このままにしておくってこと?」


「だって閉めてまた入ってなかったら、またどこかしらに出てくるだろ?」


「まあ…確かにな。」


「一晩開けとけばさ、神様も戻ってくれるだろ。」


御札は浩が所持、南京錠はただ引っ掛けておいて、直ぐにまた入れるようにする、という事に決まった。

本当にこれで良いのだろうか、と思わなくもないが、かといって私たちには他にどうすることも出来ない。

現地解散で私たちはそれぞれの家に帰り、その日は終了。

夜中、特におかしな事も起こらなかったから、私はもう事の解決を確信した。

そして、翌日──。


「え…?何…?」


『…だから、孝晴が──。』


早朝に掛かってきた、浩からの電話。

それは、孝晴の死を告げるものだった。


「…は?え?」


寝惚けは吹き飛んだが、代わりにパニックに陥る自分。

だって昨日まで、孝晴は元気に──。


『昨日の…いや、今日か。今日の午前2時くらいに自分の部屋から飛び降りたんだって…。』


「……。」


遺書は見つかっていないが、恐らくは自殺だろう、とのことだった。

私の頭の中に、悲しみより先に恐怖が生まれる。

もしかしてこれは、“スダキ”の仕業なのだろうか?

一晩祠を開けっぱなしにしたのがいけなかったのか。

年来の友人の死を聴いて、涙は出てこない。

自分がこんなに薄情者だったなんて、思わなかった。


『…自分を卑下するなよ。現実味がまだ無いだけだろ。』


浩はそう言って慰めてくれた。

自分だって同じだよ、とも言ってくれた。


『……それでさ、祠の事だけど、どうする?』


「…。」


未だ開けっぱなしの、あの祠。

そして恐らく、孝晴の死の元凶。

本当は直ぐにでも孝晴の家に向かうべきなのかも知れないが、私も浩も、そっちの方が気になってしまう。


「…行こう。兎に角、祠を閉めておかないと。」


『…そうだな。じゃあ、また学校で──。』


重苦しい雰囲気の付きまとった電話を終えると、私は大した仕度もせずに、家を飛び出す。

まだ暑くない空の下を飛ぶように駆け抜ける。

学校へは、私の家の方が近い。

当然ながら到着するもまだ浩は来ておらず、校門の所で私は息を整えつつ彼の到着を待つ。

少し遅れて──それでも彼の家の距離を考えれば速く──浩はやって来た。

彼も走ってきたのだろう、息を切らせている。


「……。」


「……。」


二人の間に、暫く会話は無かった。

ただ浩が持ってきた御札を私に見せ、それに応えて頷いただけだ。

そしてそのまま小屋の方へと向かい、南京錠の掛かっていない扉を開ける。

ぎい、と音をたてて開いたそれを潜ると、目の前にあの祠が現れる。

見た目に変わった様子は無い。

だが、私は嫌な予感をふと感じた。


「じゃあ、御札を貼り直すか…。」


ポケットからスティック糊を取り出し、屈んで丁寧にその裏へ糊を塗り始める浩。

それを背後に、私は祠へ近付いてみる。

間近で見ても、やはり変化は見られない。

私は浩に気付かれないくらいにゆっくりと祠を開け、そしてまた直ぐに閉める。

それは浩が作業を終えるのと同時だった。


「遥、ちょっと退いてくれ。」


「…うん。」


言われた通りに退くと、浩が素早く祠に御札を貼り付ける。

破れが目立たないように、慎重に。

完璧主義な浩らしく、文句の言い様のない修復だった。

事を済ますと、私たちは直ぐに小屋を出て南京錠を固く閉めた。

そしてもう小屋すらも見たくないとばかりに、私たちはそそくさと小屋の前から立ち去る。


「……じゃあ、俺は帰るから。こう言うのも何だけどさ…元気出せよ、遥。」


浩は別れ際、優しくそう言ってくれた。

私はそれに対し、うん、と出来る限りの笑顔で返す。

浩が去ってからも、私はその場に立ち尽くしていた。

──浩は見なかったから気づいてないのだろう。

あの祠の神……“スダキ”は、人の魂からなる神だ。

一年に一人、生け贄を捧げることで力を増していた神。

そして、祠にその犠牲者の髪を祀っていたという。

……私はさっき、見てしまった。

干からびた髪の中に、妙に新しい髪が混ざっていたのを。

それが誰のものであるか、なんて考えるまでもなかった。

恐らくは当面、“スダキ”が私たちの前に現れることは無いだろう。

だが、一年後……また悲劇は始まるかもしれない。

犠牲者は私か、浩か、それとも全く知らない誰かか。

そしてそれはこれからずっと、もしかしたら呪いのようにこの地で続くのでは無いだろうか?

そうしてしまったのは、自分達なのだ。

もう後悔しても、どうすることも出来ない。

──そう。

今はただ、あの破れた御札がまだ生きている事を祈ることしか出来ないのだ。

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