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前編

“開かずの何某(なにがし)”、というのは怪談などでは良く聞く言葉だ。

中に何があるか分からないから、人々の恐怖心を一層煽るのだろう。

それと同時に、好奇心を煽るものでもある。

何があるか分からない。

だからこそ、知りたくなる。

怖いもの見たさ、とは良く言ったものだ。

そして私の学校にも、それに似たものがあった。

町から少し離れ、山のすぐ側にあるこの学校。

その校舎の傍らにぽつんと小さな小屋が建てられている。

それだけなら、別段おかしくも珍しくもない話。

何らかの用具を入れるためだとか、部室だとか幾らでも用途はあるだろう。

──ただ、それにはおかしなところがある。

その小屋の扉は見るからに頑丈そうな南京錠で固定されていて、まず中には入れないのだ。

窓もないから、中は見えない。

正方形に近い形のその建物には、その正面に扉がついているだけ。

この学校に何年も勤めている先生でさえ、中に何があるのか知らず、開いているところを見たことがないと言う。

こんな格好の謎の建物に、噂が立たない筈がない。

中には井戸があり、随分前の校長が人を殺して投げ入れたため、見つからないよう小屋を建てたとか。

そういうオカルト話でなくとも、埋蔵金がその下に埋まっているとか。

そんな根も葉もない話が幾つも蔓延り、更に尾ひれが付いて語り継がれていく。

そんな有り様であるから、最早把握しきれ無い程に多くの噂がその建物には付きまとっていた。

それ故、


「なあ、“開かずの小屋”の謎、俺たちで確かめてみないか?」


なんて言い出す人が出るだろうくらいのことは予想の範囲内だった。

…ただ、それが私の友人であることまでは、想像できなかったが。


「何だ、孝晴。明日から夏休みだからって、肝試しでもしたいのか。」


私の友人、島前孝晴(とうまえ たかはる)の発言に答えたのは灘井浩(なだい ひろし)だ。

これに私、清入江遥(すがりえ はるか)を加えて、いつもの三人組となる。

幼稚園からこの高校まで、ずっと一緒だった筋金入りの腐れ縁だ。


「いや、まあ夏休みだからって訳でもないんだけどさ。俺たちもう今年で高校生活ともおさらばじゃん?」


「ああ、まあねー。受験もあるし嫌になるよね。」


「流石に大学まで一緒になれるって訳は無いだろうしさ。三人いられる内に、もっと思い出作っておきたいのよ。」


確かに、この三人には決定的な違いがある。

それは、頭の出来、だ。

浩はかなり頭が良い。

私はまあ、中間くらい。

そして孝晴は……下の下一歩手前。

三人はおろか、二人一緒すら厳しそうなのだ。


「別に大学で離れ離れになるからと言って、もう会えなくなるという訳ではないだろう。大型連休にでも集まれば良いじゃないか。」


この点、浩は現実主義だった。

そういう思い出に残るようなお遊びより、勉強に時間を費やして目の前の受験に勝とうとしている。

頭が良いとは言え、彼の第一志望は難関の国立大だ。

だから、孝晴の提案には難色気味だった。


「つれないこというなよ。勉強なんてさ、どうせ夏休み中に補講でさせられるんだからさ。一日くらい、そういう風に使ったって良いだろ?」


「そういう考えをしたら駄目だ。一日々々をいかに無駄にしないか、ということが受験には重要で…。」


浩のスイッチが入ってしまったのか、勉強論について熱く語り始めた。

こうなってしまうと、孝晴には少しも勝ち目はない。

それは彼自身も承知しているようで、助けを求めるかのように此方をちらちらと見てくる。

どちらかと言えば勉強の出来ない者同士、ここは同盟を結ぶべきか。


「でもさ、根の詰めすぎも良くないじゃない?特に浩なんて平日休日問わず勉強してるからさ、たまには休まないと。ほら、目の下に隈が出来てる。」


それを指摘するように指を差すと、浩もつられてそこに指を当てる。

事実、彼の目の下には隈が出来ていた。

夏休み前の試験の出来が思わしくなかったとかで、最近は特に勉強しているのは知っていた。

このままでは倒れるのではないかと、皆心配していたのだ。


「………。」


それでも、彼は容易には首を縦に降らない。

持論を簡単に曲げない頑固さ、意思の強さがある。

だからこそ、ここまで努力できるとも言えるが。


「細かく言えば一日もかかんねって。ちょっと行って小屋の中見るだけだし。早けりゃ一時間も掛からんかもよ?」


畳み掛けるように、孝晴は説得する。

条件を浩が呑みやすい様に言い換え、必死に引き下がった。

すると、やがて浩はやれやれ、という風に首と手を振る。


「ああ、解った解った。そこまで言うなら、その一時間程をそれに割こう。こうして無駄な議論をするよりは、有意義な時間にはなりそうだ。」


浩が折れたことで、私たちは夏休みにその“開かずの小屋”の中を探りに行くことになった。

何も知らない人からみたら、全く無駄な事に思えるだろうその行為。

けれども、その中が数十年以上も謎であり、もしかしたら私たちが初めてそれを知るのではないか、と思うとわくわくとしてくるのだ。

日時は、7月25日。

皆が集まれる様に調整した結果、そう決まった。

その日の朝に学校に集まろう、と示し合わせ、その日は別れる。

早くその日が来ないか、と待ちわびたというと大袈裟だが、それに近い感覚を抱いていたことは事実だ。

…それがどのような結果をもたらすか、何て事までは、考えもしないままに。






そして、その日はやって来る。

7月25日の朝。

正確には、9時頃だ。

私がその時間に学校に向かうと、既に浩が校門の前に立っていた。

何故か鞄を背負っている。

見るからにそれなりに重そうだ。


「おはよー浩。その荷物はどうしたの?」


「ああ、遥か。いやなに、この後図書館に行こうと思ってね。」


「相変わらず勉強熱心だね。ところで孝晴は?」


「孝晴なら何時もの如く、まだ来てないよ。あいつ、自分が言い出しっぺの癖に遅れるなんて良い御身分だよ全く。」


困ったような、呆れたような、何とも微妙な表情で浩は溜め息を吐く。

これはまあ、いつもの事だ。

大体この三人が集まるきっかけは、孝晴が作る。

そして一番遅れてやってくるのも孝晴だった。


「そういえばさ、あの小屋って鍵掛かってるじゃない?」


「ああ、あの厳めしい南京錠だろ?」


「うん、それ。あれを開けないことには中を見れないと思うんだけど、どうするんだろ?」


「さあな…。あいつがあれの鍵を見つけたとも思えないしな。来たら問い質してみるか。」


鍵の在処にも、色々な噂があった。

二度と開けられない様、鍵をかけられると直ぐに捨てられたとか。

校長室の何処かに隠されているとか。

真偽は如何にせよ、簡単に手に入る訳じゃない。

一体孝晴はどうやって唯一にして最大の関門を突破するというのだろうか。

そうこうしている内に、遅れた割りにはのんびりとした風の孝晴がやってくる。


「いやあ、悪い悪い。また遅れちまった。」


「最早遅刻に関しては、何も言う気はないが…。一つだけ聞きたい事がある。孝晴、小屋の南京錠はどうするんだ?」


先程の私の疑問を、浩は孝晴に投げ掛ける。

すると、まるでその質問を待ってましたと言わんばかりに不敵に笑った。


「ふっふっふ、二人ともこれを見たまえ。」


そう言った彼の手には、何本かの針金が握られていた。

細いものや太いものなど、色々な種類がある。


「…まさか、ピッキング?」


「遥、正解!この日の為に、あそこのと似たような南京錠買って練習して来たんだ。」


「…まあ、あの小屋のはかなり古い南京錠みたいだし…構造自体は単純だろうから、いけなくはなさそうだが。」


しかしやはり、不安は残る。

ピッキング行為自体の違法性云々、というのも勿論だが…やるのが孝晴である、というところが輪を掛けている。

浩も同様らしく、何とも微妙な面持ちをしている。


「大丈夫だって!練習でも何回かは開けられたんだから。針金詰まらせて駄目にしちまった錠もあるけどさ。」


不安を更に募らせる言葉を忘れない辺り、流石である。

ともあれ、面子は揃った。

私たちは目的である、開かずの小屋へと向かう。

件の小屋は、学校の裏側…山際にぽつんと建っている。

木造であり、結構な築年数は経っている外観ではあるが、穴等はない。

小屋の前に立つと、何だか空気が変わったような気がした。

噂では頻繁に聞くし、すぐ近くにあったのだが、こうして間近で見るのは初めてだった。


「…どうだ、孝晴。」


「うーん……、まあいけるだろ多分。」


またもや頼りない言葉を口にしつつ、孝晴は扉の前に陣取り南京錠と格闘をし始める。

新緑の擦れ合う音や蝉の声に混じり、かちゃかちゃ、という金属音が鳴り響く。

特にすることのない私と浩は、炎天下の中をただ突っ立っていた。


「ねえ、孝晴…。どれくらいかかりそう?」


「んーと……練習のときは十分くらいだったけな。」


「十分…。」


まあ、それくらいならいいか。

自分の腕時計を眺めながら、私はそう思っていた。

けれども、それは甘かった。

結局解錠には二十分と少し程が掛かり、孝晴が“開いた!”と叫ぶ頃には、私と浩は暑さにだれきっていた。


「…こんなのだったら、やっぱり来なければ良かったかな。」


「そう言うなよ浩。南京錠が思ったより頑強だったんだ。それに、開いたから良いだろ?」


そう言われればその通りだ。

今私たちの前には、南京錠を失った無防備な“開かずの小屋”がある。

扉を押せば、それだけで中が見えるのだ。


「…じゃあ、開けるぞ。」


珍しく真面目な顔をして、孝晴は扉の取手に手を掛ける。

そして、意を決したかのように、勢いよく開け放った。

まず感じたのは埃っぽいような…古い空気の匂いだ。

ずっと換気されていなかった故か、むせかえりそうになる。

明るい外から眺めているせいか、中はよく見えない。

何だか別世界であるかのように、暗く淀んでいる。

最初に足を踏み入れたのは、やはり孝晴だった。

それに続くように、浩と私がその空間に入る。

小屋の中は、意外と広く感じた。

元々小屋にしてはそれなりに大きい方であったが、中から見ると、殊更それを感じる。


「…ん?」


「どうした、孝晴。」


「何か奥にあるな…。」


その言葉に、私たちの視線も奥へと向かう。

確かに、奥の壁際に何かある。

というか、それ以外に何もない。

実際に見た小屋の中は、どの噂とも違う、殆どただの伽藍堂(がらんどう)だったのだ。

その為、とりあえずその“何か”を目指し、私たちは歩を進める。

歩く度にギシギシと床は軋み、空気の流れが生まれる度に埃が舞う。

それらを吸い込まないように口許を手で多いながら近付いてみると、それは小さな日本家屋のような佇まいだった。

それを見た浩は呟く。


「…祠か?」


言われてみると、確かに祠だ。

ずいぶんと小さいその家は、この小屋と同じように扉しかない。

しかもその扉は御札のようなもので目貼りをされており、その上には変色し、ぼろぼろになった紙垂(しで)がぶらさがっている。


「…何か、気味悪い。」


思わず、そんな言葉を口にしてしまう。

薄暗い中で見たそれは、言いようもなく不気味だった。

けれども、孝晴はそうとは思わないらしく、むしろ喜ばしげに


「良いじゃん、雰囲気があって。封印された祠とか、絶対何か曰くがあるだろ。」


と言ってのける。

まあ確かに夏にはぴったりかも知れないが…。

すると、孝晴は更に祠に近づき、その周りを調べ始める。


「何やってんだ、孝晴。もう小屋の中身を知れたんだから、帰るぞ。」


「何言ってんだよ浩。ここまで来たら祠の中も見るに決まってんだろ?」


私と浩はお互いに顔を見合わせる。

祠の中…つまり孝晴は、御神体を見よう、とでも言ってるのだろうか?


「え、でも…流石にそれは罰当たりじゃないかな?」


さして幽霊とか神様とか信じていない自分でも、そう思ってしまう行為。

小屋という何でもないものは中を見たいとは思うけど、流石に対象が神聖なものとなると、何か急に怖じ気づいてしまう。


「毒食わば皿まで、さ。…この御札取らねえと開かねえな。よっ…と。」


何やら読めない文字の書かれた紙を、孝晴は一気に引き剥がす。

長い年月を経ていたそれは、然したる抵抗も見せずに取れてしまった。


「おい、止めろって。幾らなんでも、悪ふざけが過ぎるぞ。」


「何だよ浩。お前オカルトとか信じてないんだろ?」


「……。」


「大丈夫だって。御札も綺麗に剥がせたし、元に戻しとけば問題ないだろ。」


剥がした御札をひらひらと風にそよがせながら、孝晴は言った。

所謂典型的な頭脳派キャラのような彼は、非科学的な事は一切信じないタイプだ。

ここで孝晴を引き留めると、幽霊や神の存在を僅かでも認めることになる。

…と思ったのかはしらないが、浩は口をつぐんでしまう

浩が黙ると、孝晴は扉に手を掛ける。

そして、観音開きのその扉が、ゆっくりと開かれた。


「……。」


私たちには孝晴の体で影になって、その中がよく見えない。

唯一見えているだろう孝晴は、直ぐには何も言わなかった。


「…何が入ってたの?」


さっきまでの戸惑いが消え、好奇心が顔を出していた私はそう尋ねる。

すると、孝晴は此方を振り向き、首を傾げる素振りをした。


「…わかんねえ。」


「わかんねえって…。ちょっと退いてみろ。」


浩は半ば孝晴を押し退けるようにして、一歩前に出る。

私に配慮したのか、体は祠の斜め前に置いている形だ。


「…?」


浩も直ぐには、それが何か分からなかったようだ。

祠の中に祀られていたもの。

それは、何だか黒くて、所々白くて…そう、糸がほつれて球になったような、そんな感じのものだ。


「…これは、髪の毛か?」


「あー、なるほど。大きさと言い、確かにそんな感じだな。」


髪の毛。

これまた、ホラーには定番の代物だ。

随分と昔のものらしく、かさかさに乾燥していて触れれば崩れてしまいそうな状態だった。

それが祠の中央に造られた台の上に、ぽつんと置かれている。


「何だ、これ神様の髪の毛ってことか?」


「いや、そんなわけはないだろうが…。まあ、とりあえず閉めるぞ。もういいだろ?」


浩が祠の扉を閉め、孝晴が御札を貼ろうとする。

しかし…。


「あれ、くっつかねえ。」


扉に元に貼り付けようとしても、それは直ぐに落ちてしまう。


「当たり前だろ。随分と昔のものの様だし、糊が乾ききってるんだ。…ちょっと待ってろ。」


浩は自分の背負っていた鞄を下ろし、筆箱を取り出すとその中を漁り始める。

そして、スティック糊を掴むと、それを孝晴に差し出した。


「お、サンキュー浩。これを御札の裏に塗って、と。」


しっかりと御札に糊を塗布した後、孝晴は扉にそれを貼り付けた。

一応見た目だけは、元に戻ったと言える。


「これで良しっと。」


「良し…なのかな?」


小屋の中には噂のような、死体を投げ入れられるような井戸も、埋蔵金も無かった。

真実を垣間見た今も尚、疑問は多く残っている。

何故わざわざ祠を小屋で囲んだのか。

そして何故人が立ち入れないようにしたのか。

あの御神体らしき髪の毛は何なのか。

それらが私の頭の中でぐるぐると回っていた。


「実際に見ちまうと冷めるけど、まあそれなりには楽しめたな。」


小屋を出て南京錠を掛け直した後、孝晴はそんなことを言った。

特に私の抱いてるような疑問は持たなかった様だ。


「おっと、もうこんな時間か。急いで図書館に向かわないと。」


浩の声に私も腕時計を見る。

針は丁度、10時を指そうとしている所だった。

日は大分高くまで登り、気温も暑くなり始めている。


「じゃあな、二人とも。俺はもう行くから。」


「何だよ、そんなに急ぐことか?せっかく集まったんだし、どこか遊びに行こうぜ。」


「…図書館に行ったことのないやつには分からんだろうがな、早くしないと席が無くなるんだよ。」


じゃあな、と手を振ると、走るようにして去っていく。

小屋の前には、私と孝晴だけになる。


「どうするか、遥。どっか寄るか?」


「え?えーっと、私は別に予定もないから良いけど…。」


「じゃあ近場の喫茶にでも寄ってくか。何か喉渇いちゃったしな。」


そう言われて初めて、自分も喉の渇きに気付く。

何だかんだ緊張してその事を忘れていたようだ。

私はその提案に賛同し、孝晴と一緒に下校時にたまに行く喫茶店に向かった。

そこは個人経営の店で、少し狭いが雰囲気が良い事で人気があった。

中に入ると既にある程度席は埋まっていたが、二人で座る分には困らない。

二人ともアイスコーヒーを頼み、それが来るまでの間を会話に費やす。


「あー暑かった。小屋の中に背筋が凍るほどのもんでもありゃ、まだ良かったんだけどな。」


「うーん…私は結構暑さは忘れられてたかな…。」


人の多いところに戻ったせいか、先程までの感覚は消え去っていた。

…ただ単にその場の雰囲気に呑まれていただけだったのだろうか。


「俺は井戸説それなりに信じてたんだけどなー。髪の毛奉ってるとか、育毛に御利益でもあるのかね?」


「いやいやそれは無いでしょ。」


どうにも彼の想像することは常に楽観的だ。

真面目に考えてる自分が阿呆らしくなってくるくらい。


「……?」


と、その時だった。

突然に、何か違和感を感じた。

何だろう…この感じ。

視線…?

そう思った私は、きょろきょろと辺りを見回してみるが、どの客も会話等に没頭しており、誰も此方の事など気にしてはいない。


「どうしたんだ、遥?」


「いや、何か見られてるような気がして…。」


正直にそう言うと、孝晴は笑う。


「む、何で笑うの?」


「知ってるか?視線を感じるのって、勘違いらしいぜ。人間は実際そういうのは分かんないんだってさ。」


最後に“これ実験で証明されてる事だぜ”と付け加えて孝晴は話を締め括る。

つまり、私の気のせい、だと言いたいらしい。


「でも…。」


その違和感は今も続いている。

それともさっきの不安がぶり返して、視線と感じているだけなのだろうか。


「でも誰も俺たちの事なんて気にしてないぜ。」


「…まあ、そうなんだけど。やっぱり気のせいなのかな。」


そう思い直すと、その違和感も和らいでいく。

その内にアイスコーヒーも来、私は完全にその事を気にしなくなっていた。

その後暫く、私たち二人はその一杯のアイスコーヒーで長い時間を潰す。

最初こそあの小屋についての話題だったが、そこからとりとめの無い話へと変わっていく。

学校の事。

他の友達の事。

そして、自分の家の事についてまで。

こういう何でもない事さえ、来年には簡単には出来なくなるのか。

そう思うと、今まで散々してきた下らないことさえも、感慨深く感じてくる。

そんなこんなで午後になったところで、私たちは喫茶店を出た。


「じゃあな遥。今日は付き合ってくれてありがとーなー。」


無邪気に手を振りながら、孝晴は帰路につく。

私ももう外での用は無くなったので自分の家へと帰る事にした。

と言っても、家でも特にすることはないのだが。

強いていうなら、勉強くらいだ。

ああ、憂鬱…。

来年の今頃、一人だけ浪人生活とかになってなきゃいいけど。

一人で勝手に落ち込みつつ家に帰ると、鍵が掛かっていた。


(そういえば、お母さん夜まで帰ってこないんだっけ…。)


朝に出掛ける前、そんな事を言っていたかも、と思い出す。

お父さんは仕事があるから、今家には誰もいないのだ。

私はポケットから鍵を取り出し、扉を開けて中に入る。

人が暫くいなかったその空間は、すっかり蒸し暑くなっていた。

その茹だるような暑さに耐えつつ、先ずは居間に向かう。

そこで冷房を点け、ある程度涼しくなったところで今度は台所へと向かった。

すると、台所にある食卓の上には、予想通り一枚のメモ書きが置かれていた。

それは、お母さんが私に昼御飯が冷蔵庫の中にある、ということを知らせるべく書いたものだった。

メモに従い、冷蔵庫のドアを開き、中からご飯を取り出す。

他にも箸や飲み物など、食事に必要なものを幾つか持って、私は居間へと戻った。

居間なら冷房もあるし、テレビもある。

家はそう言うところ厳しく、食事中にテレビなんて見れやしない。

いつもは家族三人で、台所の方の食卓を囲んでいる。

だから、こういう時でもないとこういう事は出来ないのだ。

持ってきたものをテーブルに置いて座り、リモコンでテレビを点ける。

昼時に大した番組がやってるわけでもないが、一人寂しく食べるのも何なので、ただ惰性で見続けていた。

──その時だった。


「……?」


不意に廊下の方から音が聞こえた。

足音…だろうか。

時計を見ると、13時半を回ったところだった。


「お母さん?」


夜まで帰らない、と言っていたのに、もう帰ってきたのだろうか?

何か、あったのかな?

そんな疑問を抱きつつ、立ち上がって居間の扉を開く。


「お母さん?」


もう一度呼び掛けながら、廊下を覗いた。

……けれども、そこには何もいなかった。

むせかえるような暑さが私を出迎えただけだ。

帰ってきたときと、何ら変わった様子はない。

一応玄関を覗いてみるも、靴も見当たらなかった。


(…気のせい、かな?)


こうなると、先程の音が幻であったと思わざるを得ない。

もしかしたらテレビの音だったのかもしれない。

私はまた居間へと戻る。

そして中断されていた食事を再開しようとした。


がたんっ!


「ッ……!」


まさにその時、そんな強めの音が響いた。

これまた不意なことに、私は飛び上がりそうになる。

……今度は、テレビの音だとか、気のせいとかではない。

明らかに聞こえた。

それも、この居間の隣から…。


「……。」


また居間から出、廊下に顔を出す。

やはりそこには異変は見られない。

私は居間の隣の部屋…お父さんの部屋の前に立つ。

その扉に耳を着け、中の音を窺ってみるが…やはり何も聞こえない。

部屋の何かが自然に倒れた

だけ…か?


「ひゃあっ!?」


その状態で、私は間抜けな声を出してしまう。

今度は電話のコール音が鳴ったためだ。


「もう、いい加減にしてよ…!」


こうも音に翻弄されると、腹立たしくなってくる。

私はつかつかと廊下の電話の前に歩みより、少し乱暴に受話器を取った。


「もしもし?」


『もしもし、あ、遥?丁度良かった。私、万智佳だけど。』


それは、友人の戸根木(とねぎ)万智佳(まちか)からの電話だった。


「何?何の様?」


自分でも分かる位にきつめの声音だった。

別に万智佳が悪いわけでは無いのだが…。


『あ…もしかして今取り込み中だった?忙しい?』


それが彼女にも伝わったらしく、急に申し訳なさそうに声を小さくした。


「別に、大丈夫だけど…。」


『でもさ、何か遥機嫌悪いみたいだし…。』


そこで1度言葉を途切らせる万智佳。

そして、一息吐いてから、こんなことを言ったのだった。


『それに、何かすぐ後ろから会話するような声も聞こえるから…。』

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