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第二帖 佳月なきも夢の如くに  作者: 水城杏楠
一章  いづくを家と 鳴き渡るらむ
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 もう夏を迎えたというのに、陽の落ちたあとの風はまだ少し冷涼としていて、五位の浅緋(あさあけ)(ほう)の柔らかい袖を揺らす。ときおり強く荒れて、久遠(くおん)は冠を手で押さえた。

 去年の火事で再建中の郁芳門(いくほうもん)の様子を視界の隅で何気なく眺めながら、神祇官(じんぎかん)西院に歩みを進めた。

「久遠殿」

 後ろから声をかけられて振り返り、西日の中にその声の主を確認すると、予想通りというべきか……落ち着き払った声とは裏腹に、不機嫌そのものの双眸とぶつかって思わず苦笑してしまった。

「なんです?」

 その笑みは神経を逆なでするものだったらしく、年下の職事官(しきじかん)はますます眉をしかめてしまう。

 右少弁(うしょうべん)神祇少佑(じんぎしょうじょう)を兼任する久遠にとって、耀宮大夫(ようぐうのだいぶ)に任命された彼は従四位下、太政官としても右中弁(うちゅうべん)であるから正五位上で、同じ判官(じょう)とはいえ位階は上になる。だが、ともに主典(さかん)であったころからの知り合いで、口調はつい気安くなった。

「すみません、琥珀殿」

 お互い官名ではなく名前で呼び合うほどには親しい間柄で、機嫌最悪の理由を知っているだけに、久遠もある意味では同情しつつもつい笑みがこぼれてしまうのだ。

「今日もおられたみたいだね、桜姫(おうき)様」

 何日か前にどこぞの門で一悶着あったらしいという、尾ひれのついた噂話は久遠も知っている。微笑ましい痴話げんかであっただとか、三角関係のもつれだとか、抱き合って駆け落ちしようとしていただとか……。

「ったく……三日に一度は来る。追い払っても追い払っても」

 仮にも女性であるのに、まるで蚊か蠅のような言い草に、久遠はこっそりと緋桜に同情した。

 正体を知らない地下人(じげにん)たちに彼女は、後宮の上臈(じょうろう)女房とでも思われているらしく、まったく問題に挙げられていない。それどころか、大内裏に突然咲いた雅びな華としてひそかに憧れを抱きつつ、それを冷たく追い払おうとしている琥珀に一方的な嫉妬を向ける者まで現れているのだが、この様子だと琥珀はそれを知らないのだろう。

 最近では笑顔を武器に衛士たちを骨抜きにしているというから、これで倭皇(すめらみこと)御帳台(みちょうだい)にまで忍び込めば傾国の美姫も真っ青の大事件になりかねない。

 神祇官にいる久遠でさえ、琥珀を追いかけてきた彼女に直に会うまでその顔すら知らなかった、紛うことなき深窓の姫君なのである。

 公卿の一部と神祇官しか知らない、秘すべき存在の姫。

「幼いうちに遠地へ渡られて、ほとんど誰にも会えずに生活なさっていたとか。きっとお淋しいのでしょうね」

「わかっています。だからといってなんで俺なんだ?」

 彼が耀宮大夫(ようぐうのだいぶ)となって二月も経っていない。だが、久遠からしてみればほとんど面識のない雲の上にある女性の心中をあれこれ推測するのも憚られて、当たり障りのない言葉で濁しておくことに決めた、

「貴方のことを信頼していらっしゃるのでしょう」

「あれは嫌がらせっていうんですよ。猫みたいにちょこまかと逃げるかと思えば、いきなりひっついてきてそのまま寝るし」

 そんな光景も日常茶飯事になってしまって、事情を知る高位の殿上人(てんじょうびと)たちだけが見てみぬふりをしながらその微笑ましさに目を細めるのだった。それが琥珀の不機嫌を冗長させるのだが、日々仕事に追われる殿上人(てんじょうびと)たちに、たまには和やかなひと時があってもいいと久遠は思ってしまう。

「そのわりにはさほど嫌がっていらっしゃいませんね」

 本気で拒絶するのであれば、琥珀はきっと、緋桜になにがなんでも関わったりしないだろう。

「……まぁ」

 どちらからともなく歩き出し、人の少ない神祇官(じんぎかん)の建物の奥に足を向けた。隣は民部省(みんぶしょう)管轄の倉庫である廩院(りんいん)で、頻繁な訪れもなくいつもどおり閑散としていた。

「前と変わらずおてんば姫だが、こんなことになって辛いだろうから」

 それは、緋桜が赫映(かぐや)の妹姫だから。

 眉根を寄せた琥珀に、久遠は言外の意味を知る。

「……ではまだ、お帰りにはなっていないのですね」

「ええ。でも手がかりがあったのかもしれません。数日前に崚王(りょうおう)耀月珠穂宮(かぐつきのたまほのみや)に戻ってきたので」

「―――大納言(だいなごん)様が?」

 久遠程度では、同じ大内裏にいても大納言崚王(りょうおう)とすれ違うことはめったになかった。そしてそれは、耀宮大夫(ようぐうのだいぶ)に任じられる前の琥珀も同じだ。公卿と殿上人との間にはそれほどの隔たりがある。

「ええ、ご存知ではありませんか。いつぞやのはた迷惑な……いや、えー……派手……いや……は、は、華々しい行列を」

 気安い間柄の久遠に対して、琥珀もつい本音が漏れるようだ。

「……あ、あぁ、あの行列。大納言様のお戻りでしたか。私は直接見ておりませんでしたが、かなりの……評判のようですね」

 久遠はあえて、その評判の良し悪しについては言わなかった。

 内裏の女官らや久遠の邸の女房たちに、物語に出てくるような絢爛豪華な行列はすこぶる好評だった。しかもその行列が、京で五指に入る美貌の公達とくれば文句のつけようもない。

 また一方では、この財政難のときに派手なことをするとはけしからんと眉根を寄せる殿上人複数。そのすべてが男性で、顔のよすぎる大納言への妬みや羨望であることは間違いなかった。妻や年頃の娘から、大納言はあれほど立派なのにそれに比べてうちの人は……などというとばっちりも受けているという話を聞いてしまえば、崚王(りょうおう)が恨まれても仕方ないかもしれない。奢侈禁止令でも出してやれと影でつぶやく者もいるようだが、もちろん誰も本人に面と向かって言うはずがない。

 王氏でありながらかつて耀京(かがやきのみやこ)を離れていずこかで暮らしていたという、倭皇(すめらみこと)の従弟、崚王(りょうおう)。縁あって今は耀月珠穂宮(かぐつきのたまほのみや)にいるとは聞いていたが、直接的なつながりのない久遠には、詳細まで知れることはなかった。

「手がかり、とは?」

 その問いに、琥珀は一瞬だけ動揺にも似た表情を見せたが、すぐにそれを押し隠して首を横に振った。

「まだ言えるようなことは何も」

 確信のないことは口にしない―――賢明な判断だったから、久遠もこれ以上の追求はしなかった。

「もう二月近くですか、赫映(かぐや)様が禊のためにと耀京(かがやきのみやこ)をお離れになってから……」

「春の除目(じもく)の直前でしたからね」

 正月のあとは慌ただしかった。

 前耀宮大夫(ようぐうのだいぶ)の急死。

 その変事によって、通常ならば春の除目(じもく)には京官(きょうかん)ではなく外官(げかん)のみを任ずるところを、小除目(しょうじもく)を急遽行い、琥珀が新耀宮大夫(ようぐうのだいぶ)に任命された。遠出の桜狩りや祭りが開かれるはずの華やかなこの季節に、それらがことごとく中止になった。

 単なる職事官ではない、『赫映(かぐや)』に関わる者の弔事であり、ほかでもない『赫映(かぐや)』本人が禊と称しながらも実質的には喪に服したためだ。

「おかげで俺は耀宮大夫(ようぐうのだいぶ)なんて役目を押し付けられたのに、当の本人にはまだ御簾越しにすら会っていないんですよっ」

 思いもよらない暴露に、さすがの久遠も返す言葉にしばし悩んでしまう。この大抜擢を彼はしぶしぶ承知したことを久遠も知ってはいたが、だからといって彼は義務を投げ出すような官人(つかさびと)ではなかった。

 赫映(かぐや)がこの耀京(かがやきのみやこ)にいない。

 親しい者の穢れにあったのだからしばらく物忌をするのはありうるとしても、父母でもないのに一月以上とは本来なら長すぎる。赫映(かぐや)がさしたる理由もなく耀京(かがやきのみやこ)を長く離れるなど前代未聞だ。公卿(くぎょう)と一部の殿上人(てんじょうびと)以外は、彼がとっくに戻ってきていると思っているのだ。公にはできない。とくに地下人(じげにん)になど知れれば、あっというまに民にまで噂は広がる。

「まぁ崚王(りょうおう)には何か考えがあるんでしょう。それよりも、神祇官(じんぎかん)のほうに極秘に伝えている、例の件なのですが……」

 よくも悪くも毅然とした態度を崩さない琥珀が、珍しく言葉を濁した。

 彼に呼び止められた理由はなんとなく察していた。同じ右弁官(うべんかん)に在籍していながら、あえて外で質問があるのならそれは、神祇少佑(じんぎしょうじょう)としての久遠を必要としているということだからだ。

「常世の民のことですね」

 二官八省のうち、神祇官は神事を担う官であり、政事には携わらない。久遠を含む一部の四部官が太政官などを兼任しているが、ある意味では独立した機関であり、特殊な影響力と権限を行使することができるのだ。

 そして、まほろばの民たちにとって対をなすもう一つの大地に関わる庶務もまた、神祇官の担当である。

 常世といえば、神代(かみよ)から伝わる御伽噺に記述のある楽土のような世界のことで、今は断絶しているがかつては交流があったといわれている。

 通常ならば、いまではもう常世とまほろばの門が繋がることなどない。

 その門の開閉を可能とするのが、有名な鏡本。神祇官(じんぎかん)陰陽道(おんみょうどう)占卜(せんぼく)によって、その力が解放されると言われている。久遠は神祇官に属しているからある程度の方法は知らされているが、それでも未知の世であることに変わりはなかった。

 たまに常世では、無意識に道を開き、まほろばに渡ってきてしまう民がいるという話は久遠も知っていた。文献には何人もそういう事例が書かれている。

「常世の民がまほろばに迷い込んだ場合、神祇官が極秘に対処するのが慣例になっておりましたね」

「え、ええ……それはそうなのですが……。しかし、耀月珠穂宮(かぐつきのたまほのみや)に留め置くのですよね……その大納言様のご縁者ということで。大納言様が常世の民にご興味を持たれているのでしょうか」

「……それは、私からは申し上げられません」

 崚王(りょうおう)の裁量がそうさせるのだろう。久遠とて公卿に口を出せるような身分ではなく、さらに尋ねることはできなかった。

 極力誰にも知られたくないという琥珀の、つまりはおそらく大納言崚王の意向を受けて、久遠は極秘のまま直接神祇官(じんぎかん)長官(かみ)にその旨を伝える書簡を手渡した。

 前代未聞の内容に、長官(かみ)は口を……閉ざすような殊勝な態度ならよかったのだが、崚王(りょうおう)本人の手と見られる文を微塵に引き裂いて燃やしてしまったのだった。

 おかげで、通常なら正式に神祇官(じんぎかん)に引き渡すはずの常世の民をしばらくこちらに預けておいてほしいという嘆願―――という名の脅しだと久遠は聞いている―――は、すでに証拠抹殺されていた。それを思い出すと気が沈む。倭皇(すめらみこと)の内裏と並ぶほどの権威を持つ耀月珠穂宮(かぐつきのたまほのみや)からの極秘文書を一刀両断したことが知れたら……極秘なのだから処罰はないだろうが、耀月珠穂宮(かぐつきのたまほのみや)との関係が悪化すること間違いなしだ。

「しかし……何もあのような強硬手段に出られなくても」

「は?」

 久遠の言葉に、琥珀の表情が険しくなる。つい余計なことを口に出してしまったことを後悔したが、もうその視線から逃れられそうになかった。

「なにやったんですかっ?」

「―――それが……」

 ごまかしてしまいたいが、不可能を悟りしかたなく久遠は口を開く。

塗籠(ぬりごめ)を破壊して常世の女人をどこぞから強奪した挙句、脅迫紛いの文を事後報告的に送られて拒否のしようもなかったと、我が長官(かみ)からは聞いています、が……」

「あんの蛇王……っ。それは犯罪じゃないのかっ」

 もっともな憤激に久遠は頷きかけたが、結局は曖昧な苦笑で誤魔化すしかなかった。是というのは恐ろしすぎるが、否というのは嘘になる……難しい選択である。

 そもそも、どこまでが真実なのか、久遠も琥珀も知らなかった。自分のあの長官(かみ)のことを思えば、多少どころか鰯の尾ひれの欠片から鯨を作り上げるほどの話に持っていったとしても不思議はない。その言葉の半分も鵜呑みにできないということは、すでに久遠はよくわかっていた。

「それよりも、本当にその女人は常世から?」

 慌てて話題を少し変えると、琥珀の不機嫌そうな表情がようやく少しだけ落ち着く。崚王(りょうおう)の所業についていまさら気にしたところでどうしようもないし、どうせ誰もそれを罪だと告発するわけがない。

 事実が少しばかり歪曲されて伝わっていることなど、何も知らない二人だった。

「こちらがむしろ、それを久遠殿に尋ねたかったのですが……やはりわかりませんか」

 ゆっくりと首を横に振って否定した。

「常世へ渡ることは今でも可能であると聞いています。実際、私も鏡本を見たことがあります。しかし……彼らが本当に常世からの者なのかを判別することは難しいかと……。本人たちの主張次第ということです」

 琥珀の双眸に落胆の色が少しだけよぎったように見えたが、すぐに影を潜めて険しい表情に取って代わった。

 まほろばが常世と積極的に交流していたのは千年以上も前のことだという。誰もいまの常世がどのような状態なのかを知らない。

「ただ、一つ気になることが。―――五位(ごい)蔵人(くろうど)がともにいたという話を我が長官(かみ)から聞きましたが……」

「―――蔵人?」

 琥珀が眉根を寄せる。たしかに意外な官職だった。

「では、常世の民らがまほろばへ渡ったのは倭皇(すめらみこと)様のお心であったと?」

 蔵人(くろうど)といえば倭皇(すめらみこと)のもっともそばに仕え、倭皇(すめらみこと)の私的な雑用係のような役目も務める。それゆえ、若者の出世の登竜門とも言われ、位階はそれほど高くないが要職の一つであり、彼らの言はときとして大臣(おとど)を超える。それほど特殊な役職である蔵人がこの件に関わっているとなれば、倭皇(すめらみこと)の采配があったと推測するのが妥当だった。

「かもしれません。しかし神祇官(じんぎかん)では蔵人にお話を聞くなどできませんから」

 政事に関わらないのが原則の神祇官(じんぎかん)である。久遠には右少弁としての一面もあるが、それはそれで蔵人との接点がない。

倭皇(すめらみこと)様不在では特に、ということでしょうね。……ったくそんなことが許されるとはふざけている」

 後半は独白らしく、わずかに声を潜めたが、久遠には最後の舌打ちまでしっかりと聞こえていた。苦笑しかけて……なんとか顔だけでも体裁を整えた。

大納言(だいなごん)様は、このことに関してはなにも?」

「聞いても無駄ですよ」

 その諦念を露わにした声音で、琥珀の挑戦と失敗の回数が窺えるというものだ。だが、彼はふと表情を改めて、少し真摯な瞳を久遠に向けた。

「久遠殿は神祇官に席があるのだから、直に会えるでしょう。一度聞いてみたらいいのでは?」

 自分が無理なら次の刺客を、とでも思ったのだろう。

 政事(まつりごと)よりも斎事(いわいこと)の象徴たる『赫映(かぐや)』。

 斎事(いわいこと)を司り、一切の神事を担当する神祇官の判官(じょう)である久遠なら、公式に『赫映(かぐや)』の事情を尋ねる権利を持つ。だが久遠は、あからさまに表情が強張るのを止めることはできなかった。

「……私が、あの大納言様に、ですか」

 倭皇(すめらみこと)の血筋を濃く引いていながら、親王宣下を受けていないというのも異質だが、二十五歳という異例の若さにも関わらず実力のみで大納言にまで登りつめた才子、崚王(りょうおう)。母親の名は世間には伝わっておらず、おそらく身分もない庶人を側室に迎えて産ませた子だろうと思われているが、日嗣(ひつぎ)皇子(みこ)が決まらぬ今、陰陽道の力を考慮すればすぐに推薦されてもなんらおかしくないだけの位置に、彼はいる。

「神祇官の次官(すけ)であられる神祇少副(じんぎしょうふ)殿が臥せっておられるとか。崚王(りょうおう)(とこ)……いえ、以前いた僻地では典薬寮(てんやくりょう)のような役目をしていたらしいのですよ。ついでに相談もできましょう」

「……あの大納言様がそのような下位に?」

 まほろばで、典薬寮(てんやくりょう)の地位は長官(かみ)典薬頭(てんやくのかみ)ですら従五位下。右少弁(うしょうべん)である久遠よりも位階は低い。

「正式な位階というのとは別に、あちらにおいてはかなり注目される地位であったとか聞きました。俺にもよくわかりませんが」

「なるほど」

 崚王(りょうおう)が住んでいたという地を知らない久遠は、おそらく雛びた地で医者は重要であろうと思い納得した。

「しかし……そうですね、常世の民らはともかく、神祇少副(じんぎしょうふ)殿の件は、聞いてみたいとは、思い、ます……」

 語尾だけはつい、気弱になってしまう。

 神祇少副(じんぎしょうふ)の病は長く、久遠も迷惑にならない程度に何度か見舞いをしているが、典薬寮(てんやくりょう)の用意する薬ではまるで快復していないようだった。才子と名高い彼にならば、たしかに意見を聞いてみたいとは思う。

(……しかし、あの魑魅魍魎殿へ行くのは)

 久遠は、他人よりも少しばかり陰陽道に精通していたために地下(じげ)として神祇官に入り、地味な努力で太政官(だいじょうかん)を兼任することになり、今年からは五位を賜ったが、まだまだ昇殿の許しを得て殿上人と呼ばれるには遠い。

 他人よりも多少出世が早いことで、周りからは賞賛や嫉妬を向けられることはあるが、異例の出世を遂げた琥珀と比べれば、それほど珍しくもない経歴を持つだけの久遠にはとても、二十代で大納言などという高位に就いた崚王(りょうおう)と渡り合うだけの地位も経験も度胸も圧倒的に足りない気がする。

 三位以上の公卿と、四位以下の殿上人というのは、それほどに差があるということだ。

 その躊躇が顔に出ていたのだろう、琥珀が首をかしげた。

「なぜみんなして耀月珠穂宮(かぐつきのたまほのみや)へ行くのを嫌がるんです? 別にとって食われたりするわけでもないが」

「……ええまあ、そうなんですけどね」

 ある意味、とって食われたほうがましだと思う殿上人(てんじょうびと)はあとを絶たない。

 肝心なところでひどい鈍感ぶりを発揮できる琥珀を、久遠は羨ましそうに見つめた。

「たしかに人畜有害なことしか言わないが、まともなときもある」

「……―――」

 返す言葉もない。

(まともなときもある……って、それはまともじゃないときのほうが多いって意味でしょう……?)

 しかも人畜『有害』と断言した。

 それだけでも避けて通りたくなる十分な理由にはなるだろうと久遠は思う。だが、賢明にも余計なことは顔にも口に出さなかった。

「……貴方が耀宮大夫(ようぐうのだいぶ)に選ばれたのがわかる気がしますね」

「?」

 やっぱり羨ましくはないかもしれない。首をかしげる琥珀を見やり、久遠は穏やかな笑みの影で、憂いの含む溜息を漏らした。


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