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「あの絳牙の妹かぁ? あんたも芸能界にいけそうだよな」
「芸能界って、絳牙兄さまみたいにー?」
几帳にはもう隠れていない瑚月は、堂々と緋桜と対面している。彼女も姫と呼ばれる女性の部屋に男性がいることになんの違和感も抱かないようだった。日本にいたというのは本当なのだろうと妙な判断基準で納得した。
「でもこんなことになって心配だね、絳牙さんと綾姫……大丈夫かな」
「うん……でも平気! 崚兄さまがなんとかしてくれるもん」
強がりなのか本当にそう思っているのか、紗夜にはよくわからない。
「緋桜も日本にいたのにいまはここに住んでるの?」
「うん。朱雀舎にいるよ」
「……ってことは南か。これから夏だから安心だな」
またも瑚月は、建物の名前に方角やら季節を当てはめた。
「ねえ。なんかそれって意味あるの? あたしの部屋も東で春だって言ってたけど」
「そういやまだ説明してなかったか、十二天将」
聞いたこともない。だが、緋桜の与えられた部屋だという朱雀という名前だけなら知っている。朱雀、青龍、玄武、白虎―――中国の神かなにかだったはずだ。
「十二天将は陰陽における象徴的存在なんだよ。それぞれ火とか水とかって司るものが決まってて、それによって方角や季節も決まる。耀月珠穂宮はその陰陽思想に基づいて作られてるんだ」
木神は東で春。
金神は西で秋。
火神は南で夏。
水神は北で冬。
「紗夜の舎に祀られてる六合は木神、つまり春だから東に建てる。緋桜の朱雀は火神だから南。俺の部屋って言われてんのが天空で土神って特殊なやつだから季節は土用、北西に建てられてる」
噛み砕いて説明してくれているのだろうが、紗夜にはそもそも陰陽という概念そのものがはっきりとは理解できていなかった。
まほろばと常世を支える、すべての力の源なのだというが……。
「でもなんであたしが六合なの?」
「月夜媛は、本当の名前が伝わっていないせいでほかにもいろいろな名前がある。羽衣媛、珠依媛……その中でも一番古くから使われてるのが橘媛ってやつなんだ」
「たちばな……って木の橘?」
「桜と対照的に言われるのが橘だ。常ならぬ桜と、常しえの橘。この力によって月夜媛の御霊は何度も輪廻を繰り返すってことになってる」
桜は潔く散るゆえに無常。
常緑の橘は永遠の象徴。
「だから木の神様と相性がいいってことなんだ。あとは水。木の力を最大限に引き出せる」
「ふーん……」
「―――なんにもわかってねえだろ紗夜」
あまりにも気のない返事をしてしまったせいで、瑚月にはすぐに気づかれた。思わず開き直る。
「だってわかんないものはわかんないよ」
「ほらあれあるだろ。風水」
「風水?」
それなら知っている。
「家のどこどこには何色のものを置いたほうがいいとか。気の流れがどうこうとか言うだろ。十二天将とか陰陽とかもそんな思想に近い」
「へえ」
風水は一時期日本でもかなり流行った覚えがある。書店にはそれに関する本がいまでも多く売られていた。
「崚は螣蛇舎。火神で南東にある。これは強い力を持つから制御が難しいとかいうんだけど、やっぱあいつはすげえ使い手なんだろうな」
「……じゃあ、赫映……は?」
「赫映の部屋は特別だ。―――天乙貴人って主神を祀ってる。鬼門とされる北東を守るものだ」
「でも今いないから、崚兄さまがときどき管理してるみたいだよ」
「あの螣蛇があるのに天乙貴人も引き受けんのかよ」
瑚月が呆れたような声とともに肩をすくめた。綾姫はどの部屋なんだろうと思って口を開きかけたとき、緋桜がねえと紗夜のほうに顔を近づけてきた。
「ね? そんなことより大内裏には行ってみた? 市は? こんな話ばっかじゃつまんないし、女房たちは礼節とかって煩いばっかじゃない? 一緒にどこか行こうよ」
天真爛漫という言葉が実によく似合う、彼女の仕草。花のような香りがその純粋さを際立たせているようでもあった。大内裏と呼ばれる場所がなんなのか紗夜には検討もつかず、軽い気持ちで頷きかけたが、瑚月が肩をすくめて首を横に振った。
「おいおい、禁裏なんて行っていいのかよ。崚に俺らが怒られるんじゃねーの?」
「うーん、そうかも? でもちょっと琥珀をお迎えに行くだけじゃない。崚兄さまには知られてしまうと思うけど、あたしを叱ったりしないはずだもん」
「………………」
自信ある表情で言い切り、緋桜は紗夜の顔をのぞきこむ。だが、その理屈では緋桜だけが叱られず、紗夜と瑚月に責任転嫁されるということになり、まったく嬉しくない。安易に頷くことはできなかった。
「だいたいその目じゃ目立つんじゃねえ?」
「それがねえ、ほとんどのひとは実際に『赫映』を見たことがないから、これが猩猩緋って気づかないんだよ。ちょっと変わってるねって言われるだけだから大丈夫なの。公達はオンナノコの顔をじろじろ見たりはしないしね」
なるほどとうなずく瑚月の傍らで、紗夜は緋桜の顔を思わずじろじろと見てしまう。自分は公達ではないのだからという言い訳を口の中で呟きながら。
「この色が、猩猩緋?」
絳牙は今でも崚の術によって菫色の瞳をしているから、実際この色の瞳を見るのは初めてだ。
彼の元のいろも、これほど吸い込まれそうな強さを秘めていたのだろうか。だとしたらもったいない……少しだけ紗夜はそう思った。
「うん、そぉだよ。『赫映』じゃないのにこの目は珍しいんだって。でもあたしは陰陽とかはなんにもわかんないんだけど、崚兄さまとかが守ってくれるから平気なの」
緋桜はどうやら実兄の絳牙より崚王を頼っているようだった。
(まぁあんな無愛想男じゃ頼りたくもないよね。それとも崚さんといっしょで緋桜には急に甘々になったりするのかな。………………そ、想像できない、けど)
そんなことを考えている紗夜のことなどまるで気づかない様子の緋桜は、紗夜の長い袖を軽く引っ張って小首をかしげた。どこまでも無垢に見えた。
「ね、大内裏がだめでも今度いっしょに市に行こうよ。今は月の上旬だから東市だよね? 卯月になったんだから、地方からの野菜も変わって楽しいよ」
ねだり上手だ……そう思いながらも紗夜は曖昧な返事をするに留めた。