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第二帖 佳月なきも夢の如くに  作者: 水城杏楠
五章  出づる月日の かぎりなければ
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 一瞬にして常世からまほろばに戻った絳牙は、六合(りくごう)舎の御帳台の中に紗夜を寝かせた。

 六合(りくごう)は和を重んじ、木行を司る。陰陽の陰であり、月夜媛(つくよのひめ)にはもっともうまく作用する場を作れるものだ。

 崚を呼びに行くために六合(りくごう)舎を飛び出そうとしたところで、知己の気配を感じて振り返ると、簀子(すのこ)をこちらに向かって歩いてくる人影を見つけた。

「あれ? なんだ戻ってきてたのかよ」

 硬質な、だがそれでいてどこか能天気な声が聞こえてきた。その人影の気配には覚えがあった。

(賀茂の……)

 月夜媛(つくよのひめ)の、守人(もりびと)の一族。

 天羽(あもう)家を守る一族はいくつかあると聞いているが、絳牙もそのすべてを知るわけではなかった。それはまほろばではなく、常世の事情。そして、まほろばと常世を自由に行き来できると言われる『赫映』の能力だが、今回のようにしきりに利用しまくっている『赫映』は今までほとんどいなかった。

(俺には関係ない……)

 この男が誰を気に掛けようと、誰の采配で行動していようと、絳牙の邪魔をしない限りは気に留めるまでもない―――そう思うのに、気にせずにはいられない自分がいることを自覚して苛立たしい。

「紗夜は……どうした?」

 絳牙よりもよほど深く、現世の月夜媛(つくよのひめ)を知る男。

「―――大芹から作った粉をどこかで摂取したらしい」

「……何?」

 あからさまに瑚月の顔色が変わった。冷静沈着な男かと思っていたら、意外と単純明快に感情を表わす。

「大芹っ? 猛毒じゃねーか……っ」

 瑚月は遠慮のひとつもなく六合(りくごう)舎に入ると、その御帳台の帳をも開けた。彼のその動作のひとつひとつが、どこかぎこちないのを絳牙は感じた。

 月夜媛(つくよのひめ)は変わらずに、青白い顔で浅い呼吸を繰り返していた。

「……これ、ただの毒じゃないな。陰陽の術でゆがめられてるだろ」

「そうだ」

 賀茂家といえば、常世の斎院を排出する家として有名だが、賀茂瑚月から、崚ほどの才気は感じられなかった。だのに、紗夜を見て一目で的確に言い当てた。それが当たり前であるかのように。彼の瞳は揺るがずに、ひどく自然体のままだった。

「―――お前、も、怪我を、しているのか?」

「まあな」

 意地や自尊心で隠すかと思いきや、男はあっさりとそれを認めた。月夜媛(つくよのひめ)が常世に来ることになった際に、瑚月も怪我をしたと崚が言っていたことを、絳牙はようやく思い出した。

「たいしたことない。それよりこれ、六合(りくごう)の木気だけでは治らないだろ」

 十二天将をそれぞれ従える、耀月珠穂宮(かぐつきのたまほのみや)の十二舎。

 舎の主を守り、癒すこともできるというが、月夜媛(つくよのひめ)としての自覚のない紗夜が六合(りくごう)に認められるはずはない。舎から漏れ溢れる木気だけで治癒がかなうほど軽症でもない。

「こんなの俺の専門外だぞ」

「崚に解毒を頼む―――どこにいる?」

「朝から見てない。桜の姫サマはまだ耀宮大夫(ようぐうのだいぶ)さんとこに預かってもらってるから、自由に動いてんじゃねーの」

「……だが、邸に協力者がいる。それをどうするかまだ崚は言っていない」

「ここまでされといて、庇うのか」

 絳牙は何も答えなかった。

 庇うなんてつもりはなかった。ただ、絳牙の中ではそれが事実でしかなくて。

 崚が敵の協力者をどうするつもりかなんて、本当はわかっていた。絳牙だけではなく、付き合いの浅い瑚月にもきっと。

「……ま、大納言さんがどこにいるかわからんじゃ仕方ねえな。薬草はあんだろ。それでなんとか抑えてみる」

 八咫烏(やたがらす)は導きの力。大きな翼で空を滑空し、大局を見極め、よりよい未来を掴む者……とされる。平時にあっては宰相の、戦においては軍師の目を持つとも言う。

 だが、瑚月自身も断言しているように、紗夜の毒を消すのは専門外だった。

 崚が適任だ。それは瑚月もわかっている。

 彼が日本で医学を学んでいたからというだけではない。彼が持つのは夜刀神(やとのかみ)という名の蛇神。蛇は再生、そして水を司るため、木行を助けることができる。相生(そうせい)という。

 それでも瑚月は厨子棚(ずしだな)を漁って薬草を探す。そんなものはないとわかってからは、置いてあった飲み水を手元に引き寄せていた。

 指で掬い、紗夜の額に乗せる。少しの水気(すいき)でもないよりはましだ。

「―――……そーいやさ、綾姫はどうなったんだ? あれを一人にしておいて問題はないのか?」

 なんでもないことのようにさらりと告げられたその名前に、絳牙はあからさまに眉を潜め、言葉の後半には隠そうともしない殺気が視線に宿った。だが、その激昂を彼にぶつけるのは筋違いで、それがわかっているから理性や自尊心で押さえ込む。

「……まだ、見つからない。だが、検討はつく」

「そっか」

 瑚月は少しだけ間を置いた。

「―――ま、いいんじゃないの? 人間誰だって、好きなやつしか助けないんだ」

 彼はあっさりとそう言っただけだった。

 諦念も嫌悪も、何もなく。

 そして、一言だけ付け加えた。

「あんただって、紗夜を、連れてくんだろ。いつか、この先のまほろばのために。そのために常世にいたんだろ」

「…………」

 絳牙は何も言えなかった。何一つ。

「常世の守人(もりびと)ふぜいが何をぬかしておる」

 はっと二人は獣のような敏捷さで、振り返っていた。―――声が、近かった。これほどの距離まで入りこんでおいて、どちらも気づかなかったことに驚愕した。

 だが、振り返ってもそこには誰もいない。

 ただ、少し大気が揺れているのを絳牙は感じた。部屋の中だというのに、まるで背景と同じ色をした濃霧に覆われているようだった。その人影は、絳牙たちにかなり近づいてからようやく確認できた。

(『隠し』か……)

 だから誰にも見つからなかったのだ。意図的に不要な光を絞り込めば、そこにあるはずのものも見えなくなるから。

「誰だ……っ」

 瑚月は警戒の色をあらわにしたが、絳牙はその顔を知っていた。今の絳牙として会うのは初めてだったが、赫映としての記憶が彼女を覚えていたのだ。

「―――斎王(いつきのみこ)だ」

「何?」

 思わず瑚月がそうつぶやくのも無理はなかった。外見は十やそこらの女童でしかないのだから。だが、彼女の本質は外にはけして漏れ出ることはない。

 時に縛られている、娘。

 さすがにそれが嘘でないことに気づき、非礼のわびを込めて瑚月は膝をついていた。

「よい。わたくしも月夜媛(つくよのひめ)を見ておきたかったのでな」

 斎王(いつきのみこ)は絳牙のほうをちらりと見たが、瑚月をほとんど無視し、紗夜のいる御帳台に近づいた。常世の守人など彼女の眼中にないのだろう。

「常世というものはひどくやっかいになったものよの……」

 その手に持っていた大きな羽を紗夜の前で一振りした。それは彼女自身が長年かけて生み出した呪物だと聞いたことがある。彼女にはそれをするだけの時間がある。

「しばらくすれば目覚めよう。……だが、もう外では動きがあるぞえ。わたくしがこの邸の守りを始めるより前に、すでに備えられていたものが」

「……だから誰も女房がいないのかっ」

 絳牙は立ち上がった。やけに邸が静かだと思ったら、すでに事は始まっていたのだ。綾姫は……間に合わなかったのかもしれない。

 六合(りくごう)舎を出ていく絳牙に、斎王(いつきのみこ)は何も言わなかった。その背中を見送ることさえ。

「おぬしは行かぬのかえ?」

 責めるでもなく、ただ端的に彼女は瑚月に声をかけた。瑚月も、真実の言葉だけで彼女に答えた。

「俺は紗夜の守人だからな。ここに残るのが役目だ」

 ―――たとえ、月夜媛(つくよのひめ)の片割れたる赫映がそばを離れても。


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