飯綱
「全てを焼き尽くす青白き炎を持つ一族を束ねる偉大な長よ、お初にお目にかかりまする。名を楓、姓は残念ながら覚えておりません。この度は大事な水を無断で使用してしまい、大変申し訳ございませんでした。万死に値する行為とは重々承知。首をはねて頂いても構いません」
火狐族の長、飯綱は頭を垂れる者をじっと見ていた。始めに入ってきたときには全身を布で包む砂漠仕様の格好をしていたためにわからなかったが、非常に異質であった。
腰を越えるほどの緑の黒髪、整っているなどという言葉では語れぬほどの氷の彫刻のような美貌。かと言って冷血に見えるわけではない。涼やかで凛とした雰囲気は否応なしに周囲を魅了する。
年の頃は息子と同じか、少し下か。最高礼をとっているため瞳はわずかしか見えないが、黒く光っている。
正直なところ顔の造形などどうでも良いこと。問題はその黒髪だ。生まれた部族によって髪の色は決まり、他部族との混血であった場合には父親の血が色濃く出る。例えば火狐族であれば燃えるような真紅の髪に細くつり上がった瞳、雷猫族であれば茶色の髪に活発そうな瞳。但しどの部族にも例外というものがあり、巫女という存在はそれに当てはまらない。
「面を挙げよ。私はそなたを罰するつもりはない。言葉に嘘偽りがないことは奏の証言でわかっておる」
ゆっくりと合わせたその瞳はやはり黒。どの部族も持ち合わせてはいない色だった。
「自分の容姿を見たか?」
「いえ、覚えてもいません」
「そうであろうな。…奏、この者に鏡を」
そばに控えていた奏に鏡を受け取った楓は初めて見た、わけではないだろうが初めて見た自分の姿に驚愕した。黒い髪に黒い瞳、どの部族にも当てはまらない特徴だ。思わずひと房手にとった髪は紛れもなく黒。礼をした時には気付かなかったことに驚くほど艶やかな黒。思わず目の前に座するその男性を見た。
「これは…」
「ふむ、そこいらの記憶は持ち合わせておるようだな。格好からして火狐族かとも思っただが…。仮にそなたがどこかの巫女であったとしてもその色はどこにも当てはまらない」
そう。黒という色はどの部族にもない色なのだ。
「無礼な質問ですまぬが、そなたは女か?」
先ほど樹らと話していたときとは違い、わざと低く出していない声は男とも女ともとれる。加えて今来ている服も体型をすっぽり隠しているために体の起伏がわからない。長のその言葉に自分の胸元を抑えて確認すると自分の思っている性別であっていることがわかり、なぜか安堵した。
「女で間違いありません。なんでしたら脱ぎますか?」
言いながら服に手をかける楓を慌てて止めたのは奏だった。
「ちょっ!女の子がそんなはしたないことしちゃいけませーんっ!僕がいるんだから嘘つけないことくらいわかるでしょー!」
真っ赤な顔でやめてとぱたぱた手を振る奏にそれもそうかと納得し、手を下ろした。
ここは火狐族、仁義を重んじる国。加えて女性は守るべき対象であり、強姦でもしたら盗みと同様斬首された後、遺体を野の獣に食わせ、雨風に晒し、綺麗に白骨化されるまで放置する。
よって男性の色欲を刺激しないよう、女性は家族以外には肌を見せず、顔すらも覆うという徹底ぶりがポピュラーとなっている。そんな背景もあり、物心つく前から火狐族で暮らしている奏の慌てぶりにも頷けよう。
と、天幕の外から声がした。
「お取り込み中失礼いたします。大婆様が長並びに侵入者をお呼びです。」
「やれやれ、おばばも耳が早い。楓といったな。布を巻き直してついてくるがよい。」
苦笑いを浮かべる痩躯の男性に少し親しみを覚えた楓だった。