誤解
お茶会の時間帯は特に決めている訳ではありませんが、大体は午後三時の鐘が鳴る前後です。
その日は少し早めに彼の家にたどり着きました。
いつものように、扉の鈴が鳴りましたが、
「少し待ってくれ」
声はカーテンの向こうからではなく、家の外から聞こえます。
イリーナは声のした家の裏に回ってみると、アレスが家の前で、ざるに草を広げているところでした。
目が合った瞬間、アレスに思いっきり目を見開かれ、後ずさられたうえ、そっぽを向かれました。
「あの……」
一歩近づくと三歩逃げられました。
「近づかないでくれ。また怪我をしたくなければ」
チラッと見たアレスの顔はとてもきれいで、瞳は湖水色で、白い肌と淡い金髪。まるで氷の王子様でした。
「あの、草が落ちています」
「ああ……後で何とかするから、そのまま置いてくれ」
さすがに、通って一ヶ月にもなるのに、アレスに全力で避けられてしまうのは、彼のことをわかっているつもりでも、とても残念でした。
☆
騒動が終わって、いつもどおりカーテンの向こうに座ったアレスにイリーナは何を話すか、考えました。
彼のことを猛烈に知りたい。何をどうすれば、彼の悪評を取り除くことができるのか。
「なんで、女性に怪我をさせたのですか? 子供を殺すって脅したとか」
その質問をイリーナはずっと避けてきましたが、思い切って聞いてみることにしました。
「どう思われていようと、こっちはちゃんと村長の許可をもらって、住んでいるんだから構わないだろう」
彼の周りの空気がぴりっと張り詰めます。
質問を取り消そうとしたとき、彼はため息をついて不機嫌な声で語りだしました。
「もとから、こっそりこの村に住み着くつもりだったんだ」
イリーナは村の広場や市で彼を見かけたことは今まで一度もありません。
アレスが無用な揉め事を避けるため、外出を控えていることも予想はついていました。
「この村にやってきた日に、家の前に医者と女性が二人立っていて」
「医者の先生が言いふらしたんじゃないんですよね」
イリーナの記憶では、最初に聞いたのは『女を殴るような暴力男が村の隅に住み着いた』と言う話です。その時は単純に『怖い』と思いました。あらかじめ『薬師がやってくる』なんて話は聞いていなかったはずです。
「いや、元々俺の実家が薬師していて、この村の医者とは昔からの知り合いだ」
そういえば、アレスを怖がるイリーナに『アレスは女の人が苦手なだけ』と教えてくれたのはお医者様でした。
「医者はこの家を最低限住めるようにするために村長と大工に『隣村から薬師が来る』ぐらいは言ったらしい。『人嫌いだから、あまり近づかないように。人がここに住むことはあまり言いふらさないように』ということもしっかり付け加えて」
まあ、大工さんも『誰が住むんですか』と聞くくらいのことはするかもしれません。変に隠してしまうと『悪い人』だと疑われかねません。
でも、口止めをしても結局はどこからか話は漏れてしまったようです。
「えー怪我させた女性は、昔俺に会ったとか言ってた」
「覚えがないんですか?」
イリーナの問いにアレスはこくりと頷きます。
「そもそも、こちらに越してくるまで、村を出たことが無い。『久しぶり』って抱きつかれて……気づいたら、蹴り倒してた。もちろん謝ったけれど……」
噂はあっという間に広がってしまったというわけです。
それよりも、イリーナはアレスに抱きついたと言う女性が誰なのか気になりましたが。
「子供を脅した件については、また後日」
☆
「アレス、蹴っちゃったらダメだよね」
「まあ、そうだな」
アレスは自分の『女性嫌い』をちゃんと自覚して、村の郊外に居を構えたりと、ある程度予防線を張っていたのに、女性が二人もなぜわざわざそんなところにいたのか。
アレスに非はないとは言わないが、それでいきなり村八分にされたらかなわんだろう。
☆
なぜアレスが子供たちを「殺す」なんて脅したりしたのか?
イリーナが彼に聞いたのはそれから三日後のことでした。
「最初はイノシシか猿だと思ったんだ」
イリーナは首を傾げます。
「芋や大根ではなく草が抜かれていておかしいとは思ったんだけど、動物が近づかないように畑を鉄線で囲んで、雷を這わせていたんだ。そしたら、ある日子供が引っかかってしまって」
イリーナは雷の蛇を思い出し、青ざめます。
「一応、動物を殺すのが目的ではなく、脅すのが目的だったから、さほど強い雷ではなかったけれど……悲鳴が聞こえた時は焦った。それで、つい『次は怪我ではなく、本当に死んでしまうぞ』って怒鳴ってしまって」
普段、草がぼうぼうの畑には、(下手な)人の絵に『×』印が描かれた立て札が立てられて、木の柵で囲われています。
「で、理由を問い詰めたら、『面白そうだから引っこ抜いた』って言ったんで、母親に『あんたの子供はイノシシ以下の知能しかないのか』って怒鳴ったら……今現在の状況って訳さ」
それで半殺しにしたとか、罵倒したとか物騒な噂が立ったのです。
「その後は、鉄線だけ引いたままにして、雷は消したんで、子供らに抜かれ放題だな」
カーテンの向こうから深いため息が漏れます。
「親たちは注意しないんですか?」
「さあ。知らないんじゃないか」
その声は、どこか疲れたようで……
「あまりひどいようだと……」
続きの言葉をイリーナは聞き取れませんでした。
帰り際、彼女は、彼の家の前の畑を見ました。
村の畑のほとんどが柵など使っていないのに、その畑は木の柵で囲われた上、内側に、鉄線の囲いまであります。きれいに雑草の抜かれた畑の中心には下手な絵と文字。
最近は隣村から先生が文字を教えに来るので、子供たちは読み書きができますが、イリーナより上の世代はあまり文字を読めません。
「なんて書いてあるんだろう……」
すると背後からアレスの声が聞こえました。
「『立ち入り禁止。入った者はゾンビ王子に食べられる』」
悪いことをした子はゾンビ王子や魔女に食べられるという伝説は古くから伝わっています。
「今時、ゾンビ王子なんて子供だって信じませんよ」
振り返りたい気持ちを抑えてイリーナは薬草だけが根こそぎ抜かれた畑を眺めながら言いました。
「そうか? 一度だけ、森に遊びに行ったとき、親がゾンビ王子がどんな風に食事するか一晩中淡々と語って、毎晩ゾンビ王子に食べられる夢にうなされたけれどな」
彼がほんの少し笑った気配が伝わりました。
☆
うう、これはお話の中のただの伝説で、本当にゾンビが人間を頭から齧っているわけじゃないんだ。
でも物語最大の(俺的)山場は終わった。後は普通の物語が……
「子供たちは、ゾンビ王子に会いたいから悪いことするの」
娘が目をきらきらさせて聞く。
娘よ。そこはさらっと流すんだ。ホラー要素が入ると思考が変な方に向く娘に釘を刺す。
「違うと思うぞ。ミク、ゾンビに会いたいからって悪いことしたら、パパの大好きな辛い辛い麻婆豆腐だからな」
「えぇー!?」
電気を這わせていると言っても、強め静電気くらいです。