カーテンの先の表情
翌日、娘はホラーな物が出てこないかじりじり待っていた。
「出てくるかもしれないな」とため息をついて、話の続きを読んでやった。
☆
その日の晩、イリーナはオレンジの髪を梳きながら、アレスのことを思い出していました。
「お医者様の言うように、噂ほど怖い人ではなかったみたい」
昨日、彼女はお医者様の所で目覚めました。
見知らぬ男の人に助けてもらったことは覚えていましたが、雷の蛇の印象が強すぎて、助けてくれた男の人の特徴はきれいな金髪ぐらいしか、覚えていませんでした。
お医者様から『噂の男に助けられた』と聞いて、イリーナは青ざめました。
“噂の男”は最近村に住み着いた人で、越してきたその日に女性を殴ったとか、子供たちを『殺す』と怒鳴ったとか、その親に『あんたの子供はいのしし以下だ』と散々罵倒したとか、怖い噂ばかりが立つ恐ろしい人だったからです。
噂の男は『アレス』といい、薬師だそうです。
お医者様は「ちょうど、怪我に合う薬が切れたから」と言い、その男の人の家を教えてくれました。
怖がっているイリーナにお医者様は「女の人が苦手なだけで、カーテン越しなら大丈夫だから」と微笑みました。
その翌日、つまり今日、イリーナは殴られないか、雷の蛇をけしかけられないかおびえながら、それでもお礼のクッキーをバスケットに詰め、“噂の男”の家に向かいました。
アレスの家の前の畑はぼうぼうで、野菜が雑草に埋もれていました。
薄気味悪い森は家の側まで迫っています。扉のところにはお椀と棒の絵が描かれていました。
イリーナは薬を買ったらお礼のクッキーを渡してすぐに帰るつもりでした。
鈴の音がしゃんしゃんと鳴ったことにはびっくりしましたが、小さな部屋と椅子とカーテンで仕切られた小窓があるだけで、肝心のアレスの姿がありませんでした。
恐る恐る声をかけてみるとカーテンの向こうからも、どこか緊張した探るような声が聞こえたのです。
野良猫が近づいてくる人間をじっと伺う姿を思い浮かべた瞬間、
「助けてくださったお礼に。一緒にお茶しません?」
ぽろりと口が滑ってしまったのです。
かたりと音が聞こえたので、カーテン越しのアレスは椅子から腰を浮かしたのかもしれません。
押し問答の末、アレスはクッキーを食べてくれたのですが、「焦げてはいない」ととても言いにくそうに言ったので、不思議に思って一枚かじってみたら……砂糖が入っていませんでした。
自分の失敗に気づいた時には遅く、カーテンの向こうからは「土の味のシチューよりはおいしい」と言う言葉の後はぱりぽりといつまでもクッキーの音が聞こえていました。
下手な絵と雑草がぼうぼうの畑と大量の鈴とカーテン。
怖い人ではなかったけれど、やはり変人であることは変わりません。
イリーナは髪を梳かしながら考えます。
噂ではアレスはとてもきれいな顔立ちだそうです。
「土の味のシチューよりかまし」と気まずそうに言ったとき、アレスはカーテンの向こうで……
「どんな表情をしていたのかしら」
そう呟くと櫛を置きました。