第八話 団結しました。
僕は夜襲から本陣へ戻ってきた。
「まずい、まずいな・・」
僕は親指を口に当て独り言をつぶやいた。
関ヶ原の戦いで一番の頼りにしていた
島津義弘が僕の息子に討ち取られ戦場にて死亡。
当主のいなくなった島津軍1500名は島津義弘の遺体を担ぎ
薩摩へ帰還してしまった。
(頼みにしてた敵中突破の威力が、
あれがないと後続部隊が続かない。)
僕は島津義弘を夜襲に
連れて行かなければよかったと後悔した。
(どうすればいい、どうすればいい、どうすれば・・・
「・・・・」
「タイショウ!1人でナヤムンジャねえよ!!
オレタチがいるだろ!」
弥助と石田三成と宮本武蔵の3人がM字に並んで
僕の元にやってきた。
「殿、島津家がいなくなってしまったのは痛手でございますが
西軍が負けたわけではございません。ご采配を」
ミッチー負けたら一緒に縛り首だね。
「拙者の100人斬りをお披露目申す」
宮本武蔵の100人斬りは小説の中のお話ですね。
おっと頼もしいなぁー本当に斬りまくってね。
「タイショウ。明日はキットいい日にナルサ
And surely a good day tomorrow」
そうだ僕には頼もしい仲間、家臣がいる。
そして、僕は西軍の総大将なんだ。僕が弱気な態度を
みせれば西軍全体の士気が低下してしまう。
「明日は、皆に無理をさせる、ついて来てくれるな。」
「アタリマエだろう!タイショウに貰った命ダゼ。
タイショウ今までの戦い全部が無理バッカだったジャネエカヨ」
「殿、最後まで、地獄までついていく所存でございます」
「兵法士官の件、お頼み申す・・」
一人だけ志が低い人が誰でしょう。
(徳川家長は竹千代でした。親子で関ヶ原の地で
戦うことは避けられないな。)
僕がやるしかない!僕が歴史を変えるんだ。
最初に戦ったのは斎藤家だったな。
初陣の時の熱い気持ちを思い出すんだ。
「軍議を開催する。皆を集めよ!」
僕は西軍の将軍達に召集をかけた。
僕にはない 武力(弥助)
僕にはない 智力(石田三成)
僕にはない 体力(宮本武蔵)
変えてやる関ヶ原の戦いを
その後の日本の未来も大きく変わるだろう。
◻︎◻︎◻︎
徳川本陣に夜襲をかけたことにより、東軍陣営は混乱。
関ヶ原の戦いの開戦は歴史より1日伸びた。
これにより雨、早朝の霧の立ち込める中、
泥まみれとなる関ヶ原の戦いは避けられた。
軍議の出席者は、毛利輝元、小早川秀秋、長宗我部盛親、大谷吉継、
小西行長、宇喜多秀家、島左近、明石全登など
歴史の教科書に出てくる面々です。
「布陣はこのようにしようかと」
僕はみんなの前で布陣を再度、発表した。
◻︎◻︎◻︎
大剣豪が、意外に結構せこかった伝説
【塚原ト伝 左手斬り封じ】
塚原ト伝が左手斬りの使い手と戦うこととなった。
塚原卜伝は対戦者に度々
「左手斬りは卑怯だ。左手斬りは使わないで欲しい」
と散々申し入れをした。
対戦者へ【塚原卜伝は、左手斬りを恐れている】と意識させる
作戦であった。
対戦中に塚原卜伝は
「左手斬りを狙っておるのであろう。」
「わしの左手を狙っておるのであろう」
と相手に何度も言葉を投げかけた。
これにより
相手は左手斬りを意識しすぎてしまい。
集中力の切れた相手は塚原に負けて殺されて
しまいました。
剣豪が、負けることは=死であり。生き残るために
事前に情報を収集して
勝つ作戦を練っていたことがわかります。
【伊東一刀斎 夢想剣 開祖】
伊東一刀斎は女と酒が大好きな男でした。
伝記によれば、伊東一刀斎が
勝負に負け逆恨みした剣客が7人の刺客を
送り込み。伊東一刀斎が寝てる時に襲いました。
伊東一刀斎は影を斬るように剣を振るい。
家に帰った。そして次の日、事実かどうか確かめるために
現場に戻ると7人の剣客が倒れていた。
伊東一刀斎は無意識でも人間は動ける。
夢心地の中、振った剣を夢想剣と名付けた。
この伝記の話が事実であれば
カッコイイ流石一刀斎ですが、
もうひとつ違う話があります。
伊東一刀斎は酒飲み泥酔した状態で女の人とエッチを
してました。そこへ野盗が後ろから襲ってきました。
何が何だかわからないけど無我夢中で
刀を振り回しました。
次の日、目が覚めると知らない人が血だらけで横に倒れてました。
伊東一刀斎は、酔っ払って記憶ないけど、
この剣を夢想剣と名付けました。
事実は小説よりも奇なり。
信じるか信じないかはあなた次第です。




