第三話 布陣を考えました。
【関ヶ原の地形を分析】
関ヶ原は東西南北を山に囲まれた高原盆地です。
東に木曽路 西に近江へ京都大阪へ続く中山道。
西北へ北国街道、東南へ伊勢街道と東西をつなぐ交通の
要所となっております。
さて石田三成の考えた布陣をみてみましょ。
鶴翼の陣 翼のように大きく広げた陣形で
中央に来た敵を誘いこみ勝つ。安心な必勝の陣です。
隙のない素晴らしい陣形です。この陣形を見たドイツの軍人は
西軍勝利に間違いなしと言ったそうです。
しかし、歴史的に結果は大敗北です。
何故なら徳川と通じていた武将が多く布陣の情報は漏れ
傍観する武将や裏切る武将ばかりでした。
ミッチー(石田三成)が人気がなかったのもありますけど、
実際動いたのは大谷軍、小西軍、島津軍、宇喜多軍など
一部の軍団だけでした。
毛利輝元は吉川軍の裏切りにより動けなくなります。
毛利軍に進軍するように狼煙をあげても
「弁当食ってるから出来ない」と言われる始末。
しかも小早川秀秋の裏切りにより西軍は壊滅。
関ヶ原の戦いは、1日で終了してしまいました。
その後の徳川家康のお裁きは、
石田三成は処刑。
小西行長、安西寺は京都で引きずり回し処刑
宇喜多秀家は島流し。
これが関ヶ原の戦いの結果です。
そんな未来を変更すべき僕の考えた布陣であります。
絶対裏切るであろう小早川秀秋くんには
嫌でも合戦に参加してもらいます。
断ったらお仕置きです。
動かないなんてわがままは僕は許しません!!
もし途中で裏切ったら、中田軍と小西軍が後ろから攻撃します。
島津軍の先陣隊は穿ち抜け敵中突破の弾丸になってもらいます。
そのためにもっとご機嫌をとって、気持ちよく戦ってもらわないと。
弾丸突破で徳川の本陣へ斬り込むぞ!
どうせ、負けたら処刑されますし、一か八かですな。
毛利軍は動かないでしょうが形成が有利だと
思えば動いてもらえるというかすかな希望にかけてます。
敗走しないように東南の伊勢街道には封鎖しました。
前に行った包囲殲滅法の大きなバージョンです。
後はやる気出るように士気高揚させないとな。
僕は布陣をくノ一さんの伝令で各武将へお知らせするのだった。
内通者の小早川くん以外にね。
まぁ他にもいるだろうけど。