第五話 密談しました。
上杉家は上杉謙信が急死したことにより、その家督を巡って
上杉謙信の養子だった上杉景勝(上杉派)と上杉景虎(北条派)に
分断、内乱が起きた。御館の乱
上杉景勝には直江兼続という戦略に長けた
武将がおり、謙信が没した2日後に本丸を占拠。
三万両あった軍資金と兵器蔵を押さえてしまいます。
隣国の北条氏からの養子であった景虎に援軍が駆けつけないよう
迅速に行動する必要があったのです。
景虎は御館という居城に立て篭もりますが1年後に
自害します。上杉家は内乱により、国内は疲弊してしまい
周辺大名に狙われ始めていた。
直江兼続はこの戦いにより上杉家重臣となった。
僕は直江兼続に料亭旅館にて関ヶ原の戦い
について密談することとなった。
直江兼続へ徳川家のものから書状がきたとの事です。
見せていただきましたが、読めるわけなく・・
ミッチー解読頼む。日本語だけど
「殿、簡略に内容を申しますと上杉家は、武具、防具を
集めたり、結婚のあっせんをしたりしている。このような事は
徳川政治の禁止事項にあたる。1月までに、大阪に上洛して釈明せよ!
といった事です。」
「返答期限が迫っており、こうして密談していただいたわけです。」
「お返しの書簡内容はこのように、しようかと」
直江兼続は書簡を畳に広げた。
(原文は存在してません)
(質問)
武器防具を集めたり結婚の斡旋など徳川家の謀反の疑いあり今すぐに上洛せよ
(答え)
当家は会津に国替えを命じられたばかりで1月に上洛せよと申されても
雪国故、10月から12月は動くこともままなりません。
また当家は田舎武士であるため、武器防具を集め周辺大名の
攻めに備えるのが武士だと思っております。そちらは茶道具を集めて
毎日楽しくやっておられるのであろう。
そもそも結婚斡旋禁止など自分たちは率先してやっておられるのに
前田家には謀反の疑いがありと罰し大層なことだ。(前田利家の妻。まつさん
は徳川家康に自ら人質になりにいき恭順を示します)
謀反の疑いがあり罰したいと言うなら、出迎えてやるから何時でもかかって来い。
もはや喧嘩上等といった内容です。
(おーこれが有名な徳川家康に叩きつけた直江状か。
歴史家が見たら、感動感激するのでしょう。まぁ読めませぬ)
【直江状】
上杉景勝の家老、直江兼続が徳川家の交渉に当たっていた西笑に
送った書簡。関ヶ原の戦いのきっかけとなった会津討伐を家康に
決断させたものと言われているが、偽書文との説もある。
石田三成と直江兼続との対徳川家康の密談は深夜遅くまで
行われることとなった。