第二話 フルスイングしました。
奥州の王 伊達政宗が援軍3000人を引き連れて小牧山城に
やって来た。紺の旗に金の日の丸、漆黒の具足に金の日の丸
馬鎧には虎柄、豹柄、孔雀の羽、太刀や陣羽織も金色、水玉模様。
これが伊達装束、伊達者って言われた由縁か。一言、悪趣味です。
そう凄く派手な軍隊です。地方の暴走族連合みたいだな。パラリラパラリラ
独眼竜、伊達政宗ですが
1613年にローマ法王に伝書を送り、軍艦をおねだりしたとか。
(本当に最新の軍艦が貰えたら歴史は変わったといわれている)
戦国武将で始めて異国人の愛妾をもったとか。
(スペイン人かポルトガル人 白人だったといわれている)
スペインに領土を献上して独立しようとしたとか。
(秀吉に嫌われていた。最後は十字架を背負って白装束で降参した)
数々のちょい悪伝説がある。
僕は真田家の赤甲冑、朱色の赤備えを見たかったな。真田家来なかった。
真田家と伊達家はライバル関係です。大坂夏の陣では真田家が
伊達政宗の騎馬鉄砲隊を打ち負かし、真田幸村は大阪城で
「関東勢百万と候えど 漢たるは一人も無きに見えし候」
と嘲笑したという。
この異様なお祭り軍団ですが
約束通り来てくれたんだ歓迎せねば。
僕は門戸までで迎えにいった。伊達政宗が馬上から見下ろしている。
「よくぞ遠いところから来てくれました歓迎します。」
「まてまてまてまてーーーぃ!言いたいことよく分かり申す」
「この独眼竜、政宗が来たからには不利な状況もあーーっという間に
天地がひっくり返すごとく、逆転するであろーーーーーう」
「はいはい、ありがたき幸せです、足軽さんはこちらへ武将さんは右手奥に
お進みください」
「馬は何処で休ませたらよかろうか」(ショボーン(´・_・`)
「はいはい、こちらです。」(あっもとに戻った)
僕はめんどくさい、伊達政宗を軽くあしらい、仙台からやってきた
兵隊さん達に豪華料理で、おもてなしをしたのであった。
◻◻◻
大阪城築城中の羽柴秀吉の秀吉軍が出陣し犬山城に入城した。
翌日、楽田城に本陣をしいた。
また、次々と砦や城に兵を配置、両軍はこう着状態となった。
「タイショウ!伊達の入城、パレードミタイデオモシロかったヨ」
黒人、弥助も立派な僕の配下、猛将です。
(ボディーガードみたいで頼もしいです。ムネオの秘書(ムル○カさん)な感じ)
「弥助、日本では カッコつけたがる というんだよ」
伊達軍の者→伊達男→ええカッコしい→ええ恰好=伊達男
に変化したそうな。
両軍の戦いは間も無く開始されようとしていた。
◇◇◇
三河 中入り作戦
膠着状態を打破する為、池田恒興が別働隊で秀吉に三河中入りを進言した。
今なら徳川の本拠地、三河の地を攻める絶好の機会であると
秀吉は一度は断るも、翌日、再度、申し入れをしてきた為、承認した。
(池田恒興他は秀吉の正規軍ではないため寝返りの可能性があった
故に二度目は断れなかった)
【中入り(なかいり)】
織田信長が得意とした戦法、敵を全面に集中させておいて、
迂回して敵本陣を攻める。成功すると敵は潰滅する博打的な戦法。
桶狭間の戦いでは信長はこの戦法で今川義元を討ち取った
岩崎城の戦い
伊賀の忍者さんから伝令がまいりました。
三好 秀次(秀吉の甥っ子)を中心におよそ2万の軍勢が岡崎に向け
進軍したとのことです。2万の軍勢は目立ちすぎたな。
急いで僕と徳川の軍は追撃に向かいました。
岡崎に進軍中の池田恒興に岩崎城から銃弾が飛んできた。
見事、馬に命中、落馬した池田恒興は激怒して岩崎城を攻撃します。
岩崎城にいた230余名ほどは数十倍の池田恒興軍に全滅します。
後に家康は「一番の功戦者は池田勢を足止めさせた、
岩崎城代、丹羽氏重である」と言って名誉の戦死として
兄に三千石加増したと言われています。
白山林の戦い
池田恒興が銃弾で落馬しているころ
三好 秀次、軍隊8000名は白山林で休息しています。
お休み中、申し訳ないないが、戦国時代ですから
「人力やり襖一斉に突撃!」
森の茂みより突如現れた、中田軍の人力やり襖部隊が
休んで腰を下ろしていた三好軍に背後から追いたてます。
山道は狭くどんどん下に転がり落ちていくように
敗走していきます。おむすびコロリン思い出した。
「Yeah! OW!」「Yecch!」
聞きなれない外国語の叫び声がします。
下をみると黒人猛将、弥助が金棒で横にフルスイング。
メジャーリーガーのように人を打ちまくってます。
例えるなら
ヘビー級ボクサーとライト級ボクサーの戦いです。
軽々と金棒にすくい上げられ吹っ飛んで行く敵の兵士さんには
同情します。鬼が外人だったという説もうなづけるわ。
天狗はトルコ系の人だったらしい。
時代が違えばアメリカでホームラン王、
メジャー大記録を残したに違いない。
年棒は何十億かな。サインもらっとこう。
僕と徳川軍は、三好軍を潰滅させた。
三好秀次は命からがら逃げのび長久手方面に敗走したのであった。