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僕の戦国時代  作者: 虫松
第八章 世継ぎ内乱編
36/93

第三話 骨肉の争いをしました。

徳川家康


(幼年期)

三河の国岡崎城の松平広忠の子で幼名は竹千代、6歳の頃、駿河の国、

今川家の人質として運ばれる途中、養母の父の裏切りにより、尾張の国

織田家に送られた。この頃に織田信長と知り合った、というが、

どれ程の仲かだったかは不明。2年後父が家臣の謀反により殺害。

今川義元は織田信広との人質交換により家康は今川家で十数年の人質時代を過ごす。


(成人後)

1560年、今川義元が桶狭間の戦いにて敗れると、混乱に乗じて岡崎城城主として自立。

2年後には今川家をみかぎって織田信長と同盟(清洲同盟)を結んだ。

秀吉の死後、関ヶ原の戦いにて西軍(石田三成他)を倒し江戸幕府265年の基礎を築いた。

【同盟の後は、かなり割愛しました。】


辞世の句

「うれしやと 二度(ふたたび)さめて ひとねむり 浮き世の夢 暁の空」


うれしいかな、最後かと目を閉じたが、また目が覚めた。

この世で見る夢は暁の空のようだ、さて、もう一眠りするか。



家康と秀吉は永遠のライバル、その後友情が芽生えた、というのが僕の勝手なイメージです。


信長が剛の力で、敵対勢力(浅井家、朝倉家)を打ち滅ぼしていったイメージだとすると

家康は柔を絵に書いたような人です。敵対勢力(今川家、武田家、北条家)を

侵略後家臣にして登用しています。


僕の徳川家康は優れた経営者のイメージです。

(信長様は独裁者だよね、魔王ってあだ名だからね)

アマチュアはライバルを敵にする。プロはライバルを仲間にする。

という経営哲学あったな。


◻◻◻


僕は明智くんと本多忠勝さんと一緒に徳川家康様に会いに浜崎城へ入城した。

徳川家康様との難しい同盟協力話は明智くん任せた。


「織田信雄を世継ぎとする合戦、わかり申した。」


(おーけー意外とすんなりいったなぁ)


「国分け(領地の配分)はいかが、お考えか。」


(戦後処理の話かい、そうだ、この時代は領地こそが最高のご褒美だった)


ということで、勝利のご褒美は柴田勝家さんの領地(北陸地方、琵琶湖周辺)を

与える確約をしました。


かなり京に近い領土ですが、他に案(妙案)もないので仕方ありません。

僕は徳川家康と浜崎同盟を結ぶこととなった。



【税率】

徳川家康が豊臣秀吉に国替え(領地を交換)を命じられ北条氏の収めていた関東へ

移った際、四公六民(その年の4割を年貢として収め6割を民衆の所得する税率制度)

を継承した。この税率は、この時代では極めて低い税率で国替えを命じられた

徳川家康は支配領土こそは大きくなったが収入は減ることとなった。


その後、江戸幕府後もこの税率が採用された。


【石高】

土地の生産性を石に表したもの。

石田三成が太閤検地を行った際、建物や田畑の価値を石盛という係数をかけて

米の生産力に加算して石単位で表示した。




◇◇◇



世継ぎの会議が始まる数日前、信長様の居城本城だった、安土城が何者かの

放たれた失火により全焼。石垣を残し、真っ黒な炭とかした。

もし今残っていたなら世界文化遺産に登録されていただろう、豪華タワー建築物焼失は

これから始まる骨肉の争いへの序章なんだろう。


織田信雄様が放火したとの噂が流布。そんなことできる訳がない、

僕と一緒にいますよ。

誰かが陥れるために噂を流しているのだろう。


第二回 世継ぎを決める清洲会議が清洲城で始まった。


前回と出席者ははそう変わりませんが僕が連れてきた。暗黒大魔王

織田信雄様張り切っております。

(みんな、余計な奴を連れてきやがってと僕を恨んでるのでしょう誰も目を合わせません)

信雄様、ものすごい怒鳴り声で信長様の家臣を恫喝してます。今までハブにされてた怒りが再燃です。


会議が始まりしたが僕はとても憂鬱です。


この会議、信長様の跡継ぎを決めるのが目的ですが

どの候補者、応援者も損をしたくないの一心ですから。

引かない譲渡しない妥協点もない。


会議の時間は進みますが、何も決まりません。不毛だ。

会議はこう着状態でず。


(こないだより長くなるのかな・・・・)

僕はお城の小窓から外を見た。


外は雲一つない真っ青な青空です。

(今日は菊ちゃんと竹千代はお外で遊んでるんだろうな。僕もお家に帰りたい・・・・)

などとぼーっとしていたら。



柴田勝家さんが一言、


「ならば、己が主君と思うものにつき戦おうではないか!」

と鶴の一言で

会議は終わったのでした。

現代だったら株とか操作して、失脚、辞任させるんでしょうね。


3人候補は確かに信長様の血を引くもの、誰も間違ってません。

織田家の家臣は3分裂し、戦いの準備を始めるのだった。

長い会議、今回は夕方に終わりました。


◻◻◻


第二回清洲会議から6ヶ月後、

先に仕掛けてきたのは秀吉さんだった。独立を宣言した織田信孝様に

琵琶湖の周辺の長浜城へ突如出兵!


柴田勝家さんが援軍に駆けつけようとするが

季節は12月、柴田勝家さんの本拠地、北陸地方は豪雪に阻まれ

援軍を届けられないまま織田信孝様のお城の長浜城は

秀吉さんの軍に囲まれた。


長浜城を守っていたのは柴田勝家さんの養子でしたが

柴田勝家さんと仲が悪く、

また長浜城は以前秀吉さんが居城にしていた為、土地勘、お城内部を

知り尽くした秀吉さんに、あっさり織田信孝様は降伏したのでした。


近江の地は、秀吉さんが収めることとなった。


降伏した、織田信孝様ですが、今度は岐阜城にて挙兵!城で戦準備を始めるも。

その動きもいち早く察知した秀吉さんの大軍によって、瞬く間に包囲され

降伏勧告を受け入れしました。


織田信孝様は処刑こそされませんでしたが、三法師さんを秀吉さんにとられ

力関係が秀吉さんに向きつつあった。


秀吉さんは12月の雪の季節を上手く利用し、柴田勝家さんに

攻め入る隙を与えなかったのです。


僕は、この現状に兵を動かさなかった。まだ、決戦の場は先にある。

僕は以前、寝返り交渉を行った真田家、武田家と不戦交渉を行った

上杉家へ、協力を求めに旅立つのであった。









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