第5話 麹は生きている。
教会の裏庭。
石造りの倉庫に、蒸した米の湯気が白く立ちのぼっていた。
鼻を突く、甘いような、酸っぱいような匂い。
僕は顔をしかめた。
そして今
腐ってる気しかしない。
僕
「……ダメだろ、これ。
どう見ても終わってる。 昨日より臭いが強い」
桶を持ち上げ、捨て場へ向かおうとした、その瞬間。
全登が、静かに腕を伸ばして止めた。
全登
「待て」
低い声。
しかし、迷いはない。
全登
「それは“死んでる”顔じゃない」
僕
「顔……?」
全登は桶の中を覗き込み、指で米をすくい上げる。
糸を引く。
温かい。
全登
「生きておる。
息をしとる。
働き盛りじゃ」
僕はそこで、初めて理解する。
麹は、作るものじゃない。育てるものだ。
夜。
教会の礼拝堂。
信徒たちは事情を知らない。
だが全登は、壇上に立ち、ゆっくりと語り始めた。
全登
「神は、人に“時間”を与えた。
そして“信じて待つ力”を」
「麹菌とは、見えぬ働き手。
目に見えぬが、世界を変える」
「人が焦れば、菌は死ぬ。
人が疑えば、菌は黙る」
僕はハッとする。
発酵
それは時間と信頼の象徴だった。
剣も、祈りも、奇跡も、
一晩では完成しない。
全登は両手を広げる。
全登
「菌は金じゃ」
信徒たちがざわめく。
全登
「見えぬが、確かに価値がある。
増えれば富を生む。 粗末にすれば、何も残らん」
その言葉に、僕は深く頷いた。
この世界で、
醤油を作るということは文化を育てるということなのだ。
そして、全登はゆっくりと歌い始める。
低く、穏やかな聖歌。
「時を与えし神よ 見えぬ働きに感謝を
腐敗に見えしものの中に 命を宿らせ給え」
信徒たちも、つられて歌う。
素朴で、不器用な合唱。
桶の中で、麹は今日も静かに増えている。




