第3話 見破りました。
血走りの軍と徳川軍が、獣の群れのごとく笹尾山へ雪崩れ込む、その最中。
本多平八郎忠勝は、ただ一騎、陣中深くへと歩を進めた。
陣幕の内。
そこに座すは徳川家康。
「家康公」
忠勝は膝をつき、低く、しかし鋼のような声で切り出した。
「これ以上攻めりゃあ、深追いだら。
兵はもうへばっとる。戦線も伸びきっとるでよ。
ここは秀忠様の軍と合流して、兵を休ませ、
万全に整えてから追うべきだと思うがね」
一拍。
「小早川は東についたが、
戦はまだ五分五分だら。
勝ちが、もう手に入っとるとは言えんでよ」
沈黙。
やがて家康は、わずかに笑みを浮かべた。
「……そちの申すこと、道理ではある。
じゃがな、家長が申しておる。“今日中に片を付ける”と」
忠勝の眉が、ほんの僅かに動いた。
「協力してやれ」
「…………」
張り詰めた空気が、陣幕を圧した。
「平八郎。どうしたのじゃ」
忠勝は顔を上げ、じっと“家康”を見据えた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「家康公。
今日勝てたらよ、白米を一緒に食いたいもんだで」
その瞬間。
「おー、そうじゃの。白米は……わしの……こ、こう……」
言葉が、詰まった。
忠勝の目が、細く鋭く光る。
「……おかしいで」
立ち上がる。
「おみゃあ……影武者だら」
陣幕の空気が、凍りついた。
「家康公は麦飯しか食わんお方だ。白米なんぞ、口にせんでよ」
一歩、踏み出す。
「言え。
家康公は……どこだ」
「そ、それは……」
「言わんかァッ!!」
忠勝の咆哮が、陣を揺らした。
影武者は震え、叫ぶ。
「……家長に、任せておる!」
(まずい……!
家長……正体が、露見した……!)
忠勝は、その言葉を聞いた瞬間、理解した。
胸の奥が、冷たく沈む。
(……なるほどな)
徳川家康は、すでに、この世にいない。
徳川家長
あの男が、すべてを握っている。
忠勝は、静かに頭を下げた。
「……合点がいったわ」
一礼。
「急ぎの用ができたでな。影武者殿、ここで失礼するでよ」
踵を返す。
陣幕を出ると同時に、忠勝は駆け出した。
目指すはただ一人。
(家長……!
貴様の戦は、徳川を滅ぼす)
戦場の喧騒の中、
“本当の戦”が、今、始まろうとしていた。
◇◇◇
徳川家長は、
敗れ去った西軍本陣の尾山の焼け跡に立っていた。
焦げ落ちた陣幕。
砕けた砲台。
血と鉄と硝煙が混ざり合い、鼻腔を刺す焼死臭が、まだ風に残っている。
踏みしめるたび、
泥と血が、ぬちゃりと音を立てた。
「――申し上げます」
家臣が膝をつき、声を張る。
「福島正則殿、石田三成めの死体、確認いたしました
しかし
中田玄白めの死体、いまだ見つかりませぬ」
家長の目が、細くなる。
「……逃げたか」
吐き捨てるように言い、即座に命じた。
「兵をまとめよ。
宇喜多隊へ攻撃を開始する」
間を置かぬ。
迷いも、悼みもない。
その時、首実検が始まる。
「首、御前に」
血に濡れた盆が差し出される。
福島正則。
石田三成。
二つの首が、並べられた。
家長は、じっと見下ろした。
(……三成殿は、穏やかな顔じゃの)
目を閉じ、口元には、わずかな静けさ。
まるで、すべてを託し終えた者の表情。
(それに比べ……)
福島正則。
歯を剥き、眉は怒りに歪み、
死してなお、憎悪が張り付いている。
(苦痛と怒り……
二人の“死に際の覚悟”が、そのまま刻まれておる)
家長は、ふっと息を吐いた。
「――よかろう」
顔を上げ、声を張る。
「血走りの軍! 整列!」
即座に太鼓が鳴る。
「方円の陣を組め!
騎馬砲兵
弾薬の尽きた者は馬を下り、騎馬隊として左右に展開せよ!」
命令は刃のように鋭く、淀みがない。
「宇喜多隊と正攻法にて、正面から戦う!」
兵たちの目が、狂気と興奮に染まる。
(次で決める……)
家長は、胸中で呟いた。
(次こそは、決着をつけねばならぬ
私にも、あまり時間が残されておらぬ)
きしむ音と共に、
騎馬戦車へと乗り込む。
鉄の外殻が閉じ、
視線の先には、宇喜多軍の陣。
「照準、前方」
家長の目が、獣のように光る。
「さあ……
終わらせようか、関ヶ原を」
戦車が動き出す。
焦土の上に、新たな血の道が刻まれた。




