第9話 裏切りました。
前夜・南宮山
小早川秀秋 陣中
夜は冷え、陣幕の内で灯る行燈の火が揺れていた。
小早川秀秋は膝を抱え、俯いている。
そこへ、東軍の黒田長政が静かに座った。
「……秀秋」
「長政……」
秀秋の声は、掠れていた。
「中田殿とは、戦もしたし、酒も酌み交わした。
悪い人ではない……今さら、裏切ることなど——」
長政は、ゆっくり首を振る。
「それは“情”です。
しかし、戦は“情”で勝てませぬ」
秀秋は顔を上げる。
「秀吉叔父上を……殺した男だぞ、中田殿は」
「戦の成り行きだ。仕方なかった……」
その言葉を、長政は待っていた。
「……では」
長政は、静かに、しかし確実に刃を入れる。
「次は家康公でございますな」
秀秋の指が、びくりと震えた。
「秀吉様、家康公。
二人の大恩人を失ってなお、
中田殿を“良き人”と言えますか?」
秀秋の喉が鳴る。
※小早川秀秋は、秀吉に溺愛された養子だった。
五日に一度の爪切りを命じられ、
それを欠かしたことは一度もない。
期待され、前線に出て、
張り切りすぎて槍を振るい、女や子にまで手を出した。
その報告が三成を通じ秀吉に届き、
領地を削られた時、間に入ったのは、徳川家康だった。
彼の人生は、
常に「誰かの期待」と「誰かの失望」の間にあった。
「……どうすればいい、長政」
長政は、間髪入れず答えた。
「供養でございます」
「供養……?」
「中田玄白の首を、秀吉様の墓前に」
秀秋は青ざめた。
「幽霊が……来るのか……?」
(幽霊を怖がるか……これまで斬った者すべてが幽霊になるというのに)
長政は心で呟き、口ではこう言った。
「高僧に聞きました。それ以外、道はないと」
「・・・・・」
「呪い殺されるのは、さぞ悍ましく苦しみ悶えるのでしょうね」
「・・・・・」
やがて、秀秋は、震える声で言った。
「……わかった。迷いは、捨てる。長政ご足労であった。心から礼を云うぞ」
長政は立ち、抱き寄せる。
「我ら幼き頃より親友ではないか。よう東軍に来てくれた」
(貴様の裏切りが、どれほどの怨念を生むか。それは、私の知るところではない)
長政は夜に溶けた。
◇◇◇
翌朝・関ヶ原
小早川秀秋 陣
霧の向こうに、大谷吉継の陣が見える。
「全軍、前進!」
秀秋は声を張り上げた。
「これより大谷吉継を討ち、秀吉叔父上の仇を取る!」
「寝返りでございますな」
「そうじゃ槍隊前へ!弓隊、後方より援護!」
一万五千六百が、二千へ
圧倒的な数の暴力が、押し寄せる。
「 「 「うおおおおおお!」 」 」
大谷隊を攻撃。
(もう迷いはしない!わしがこの関ヶ原の戦いを決着させてみせよう!)
小早川秀秋隊が、大谷吉継隊へ
突如、雪崩のごとく突撃を始めた、その刹那。
「申し上げます!
小早川秀秋殿、大谷隊めがけ―撃を開始!」
報告を聞き、
立花宗茂は、ただ一度、軍杯を仰いだ。
「……少しは、
違う結末もあろうかと思うたがの」
風が、旗を打つ。
「やはり、
成るように、成ってしまうか」
(人間万事、塞翁が馬。
じゃがな、秀秋殿。
そなたの馬は――崖へ全力疾走よ)
宗茂は、杯を下ろした。
「――殺れ」
低く、冷たい声。
「裏切り者じゃ。一人も生かすでないぞ」
「はっ!」
「鉄砲隊!
前へ!
構えぇぇぇ!!」
空気が、張り詰める。
「――放てぇええええ!!」
パンッ!!
パンパンパン!!
ドン!!
パンパンパンパン!!
音が、連なり、
空を裂き、
地を叩き潰す。
パンッ!!
パンッ!!
ドン!!
パンパンパン!!
白煙が、瞬時に戦場を覆う。
弾丸が、
鎧を貫き、
兜を砕き、
骨を割る。
首が弾け、
腕が飛び、
腿がもげる。
血が、噴水のように吹き上がる。
「ぐぁっ!!」
「目がぁぁぁ!!」
「母上ぇぇぇ!!」
声は、途中で潰れ、
悲鳴は、鉄砲音に喰われる。
倒れた者の上に、
さらに倒れる。
踏まれ、
蹴られ、
泥と血が混ざり合う。
パンパンパンパン!!
パンパンパンパン!!
パンパンパンパン!!
撃っては装填、
装填しては撃つ。
情け容赦はない。
撃たれた兵は即死。
即死しない者は、
呻きながら、這い、
再び撃ち抜かれる。
「小早川殿!!伏兵でございます!!」
秀秋の視界は、
白煙と血飛沫で、歪んでいた。
「……伏兵……?」
次の瞬間。
パンッ!!
すぐ脇の将が、
顔面を吹き飛ばされ、
首のない身体が、
秀秋の足元に崩れ落ちた。
「……っ!!」
「伏兵じゃ!!
撤収せよ!!
撤収せよぉぉぉ!!」
誰も、聞いていない。
「うわあああああぁぁぁ!!」
「逃げろぉぉ!!」
「後ろだ!!
後ろからも撃たれてる!!」
隊列は、完全に崩壊。
旗は倒れ、指揮は断ち切られ、
兵は我先にと逃げ惑う。
だが
逃げる背中を、鉄砲は正確に追う。
パンッ!!
ドン!!
パンパン!!
背中に穴が開き、前のめりに倒れ、
そのまま踏み潰される。
「落ち着け!!落ち着くのじゃぁ!!」
秀秋は叫ぶ。
だが、
叫ぶ声さえ、震えていた。
(……何と……)
(わしは……
中田殿をはめるつもりが……)
パンッ!!
また一人、
目の前で倒れる。
(……はめられていたのか……)
白煙の向こうで、
鉄砲は、なおも鳴り止まぬ。
パンパンパンパン!!
パンパンパンパン!!
パンパンパンパン!!
それはもはや、戦ではない。
裁きだった。
裏切りの小早川軍は、
音と血と悲鳴に呑み込まれ、
関ヶ原の土に、無残に、叩き伏せられていった。
大谷吉継陣営
「小早川秀秋殿が我が後方より襲いかかってきておりますが
何者かが小早川秀秋隊に鉄砲をけしかけている模様です。」
(やはり中田殿は策を施しておったな)
【全軍、小早川秀秋隊へ反撃開始せよ!】
「はっ全軍にお伝え申す」
(ワシの寿命も後もう少し伸びるかもしれん。
人間万事塞翁が馬・・・・・)
ハンセン病におかされなければ、病気が完治出来る薬が
あれば、何度、この男は天を運命を呪ったであろう。
大谷吉継は人生を走馬灯のように憶いかえしていた。
パンパンパンパン パンパンパンパン パンパンパンパン
パンパンパンパン パンパンパンパン パンパンパンパン
パンパンパンパン パンパンパンパン パンパンパンパン
「ふふふふ、あはは、あはははは」
大谷吉継は祝砲ともいえる鉄砲隊の音に目を閉じ
包帯を外し余韻に浸っていた。
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【人間万事塞翁が馬】(にんげんばんじさいおうがうま)
中国の故事が由来。
人生において、思いがけない事が幸福になったり、
予期しない事が不幸をもたらしたりする。
その事にやたら喜んだり悲しんだりしても始まらないということ。




