第8話 渦巻きました。
徳川方本陣・桃配山
騎馬が地を踏み鳴らし、金属の軋む音が山肌に反響する。
二百の騎馬砲兵部隊が、扇状に整列していた。
砲台を引く馬の鼻息は荒く、目は白目を剥いている。
血走りの軍の精鋭たちは、無言で馬上にあり、誰一人として雑談をしない。
副官が一歩前に出る。
「騎馬砲兵部隊、整列!」
声は冷たく、切り落とすようだった。
「これより、徳川家長様より直々のご命令を伝える。
一言一句、聞き逃すな」
ざわめきは起きない。
沈黙こそが、血走りの軍の返事だった。
そこへ——
二頭立ての騎馬戦車が前に出る。
鎧が軋み、土を踏む音が止まる。
徳川家長、下馬。
右手には長柄三叉鉾。
左腕には闘剣士用の盾。
顔はフルフェイスの兜で覆われ、眼だけが霧の中で光っている。
「聞け」
低く、しかし全員に届く声。
「太鼓を合図に、西軍本陣へ一斉砲撃を開始する」
地図が広げられる。
「騎馬砲兵は半円に展開。
敵鉄砲の射程外より撃て。
逃げ場を残すな。圧し潰すのではない、炙り出すのだ」
兵の一人が唾を飲む音がした。
「敵が本陣を捨て、前へ出た瞬間。血走りの軍、ならびに徳川直参二万五千。
にて敵を殲滅する」
間を置かず、続ける。
「命令に背く者、陣形を乱す者は、その場で斬る」
一瞬、空気が凍る。
「……理解したな?」
「—はっ!」
二百の声が、霧を震わせた。
家長は、内心で嗤う。
(中田玄白……
山に籠もり、猫のように待つつもりだろうが——
砲弾で引きずり出す。
そして、この鉾で腹を裂く)
福島隊・前衛
福島正則は、命令書を叩き返すように睨んでいた。
「……時間稼ぎ、だと?」
家長は一歩も退かない。
「神君家康公の命である」
「……ちっ」
福島は歯噛みする。
「わしを捨て駒に使うとは、相変わらず冷たい軍略よ」
「役目を果たしていただければ、援護はする」
「援護が遅れたら?」
家長は、兜越しに福島を見た。
「その時は……運が悪かったと思われよ」
沈黙。
福島は笑った。
「くっ、家康公の命であれば仕方ない。気が乗らぬが承知仕まつる。」
(家康公の命には背けまい。福島殿は西軍に居てもおかしくない人物ですからな。
石田三成が嫌いという訳さえなければ、人間は浅はかで愚かな生き物だ)
◇◇◇
一方、西軍
大谷吉継陣営・後方
湿地の一角。
二千の兵が、静かに構えている。
背後、一〇〇〇メートル——
小早川秀秋、一万五千六百。
副将が小声で問う。
「中田殿の伝令通り……参りますか?」
大谷吉継は筆談をした。ハンセン病により、顔はグルグル巻き布
で覆われている。それでもなお眼光は鋭かった。
大谷吉継は、布に覆われた顔をわずかに上げ、筆を取った。
【騒ぐな】
墨が震える。
【中田殿が、我らを見捨てるはずがない】
「……しかし兵力差が」
【だからこそだ】
【背を見せる敵は、必ず油断する】
「……御意」
吉継は空を仰ぐ。
(雌雄を決するは今日……この身で、最後まで見られるかどうか)
伏兵・立花宗茂隊
山裾の林。
鉄砲三千。
立花宗茂は、太陽を背に立つ。
「鉄砲早込、準備」
火縄が揃って点される。
「裏切る者がいれば……裏切られる者もいる。正に表裏一体よの」
家臣が笑う。
「因果、でございますな」
「違う」
宗茂は目を細める。
「覚悟だ」
毛利軍・南宮山
高所から、全てが見えていた。
「小早川、動きましたな」
「……徳川に付くか」
毛利の将は、腕を組む。
「まだだ」
「殿?」
「勝ち馬に乗るのではない」
視線は、桃配山。
「勝つ方に、我らが乗るのだ」
「……では」
「合図を待て。今日、動かねば、我らは永遠に卑怯者だ」
そして
太鼓が、鳴った。
一打。
二打。
三打。
策略が渦巻く中、関ヶ原の大地が、震えた。
それぞれの策、それぞれの裏切り、それぞれの信念が、
今、同時に噛み合おうとしていた。
関ヶ原の戦い、三日目
戦の地獄は、これからが本番である。




