第11話 足止めしました。
時刻は、申の刻を少し回った頃、
陽はまだ高いが、戦場の影は長く伸び始めていた。
長久手の野は、すでに死の匂いに満ちている。
徳川の軍勢は引き、残ったのは秀吉連合の落ち武者たちが
散り散りに這いずる、無秩序な平原だった。
その静けさの中で、
僕たちは、地面を相手に戦っていた。
「……急げ。だが、焦るな」
僕の声は低い。
弥助と中田軍の兵たちは、黙って頷く。
弥助は、巨大な体を折りたたむようにして地にしゃがみ、
土を掘る。
まるで獣が巣穴を作るような動きだった。
土を持ち上げるたび、
骨片、破れた草鞋、血に染まった布切れが混じる。
「ここは……さっきまで人が死んどった場所だな」
中田軍の兵が呟く。
「だからいい」
僕は即答する。
「誰も、もう一度足元を見る気にならない」
僕たちは、左右に、
等間隔に、
無言で“地雷”を埋めていく。
一つ、また一つ。
畑に種を落とすように
だが芽吹くのは、命ではなく死だ。
赤い紐。
短い棒。
それが風に揺れるたび、
心臓が一拍、余計に打つ。
弥助が低く笑った。
「……ニンゲン、シヌトキはツチニカエル」
「順番を、早めるだけだ」
僕は手を止めずに答える。
地雷を埋めた列が増える。
三列、四列。
振り返ると、もう戻る道は見えなくなっていた。
そのときだ。
地鳴り。
いや、違う。
足音だ。
一定で、乱れない。
誰もが顔を上げる。
鹿の角の兜。
血と泥に汚れながらも、姿勢は微塵も崩れていない。
本多忠勝だった。
たった一騎。
五百を率いていたはずの男が、
今は独りで歩いてくる。
俺は思わず、立ち上がった。
「……お兄様」
忠勝は馬を止めると、俺を見る。
その目は、
戦場を一つ越えてきた者の目だった。
「……足止めは、果たしたでな」
それだけ言う。
「兵は?」
「兵ぁ、それぞれ役目ぁ終えとるわ。
生きとる者もおりゃあ、討たれた者もおる。
だが、無駄死にぁ一人もおらん」
僕は深く息を吐いた。
「ここから先は、引き返せません」
忠勝は、赤い紐の列を一瞥する。
一瞬で、理解した。
「……なるほどのぉ」
声に、恐れはない。
「主君に背ぇ向けず、
敵にも背ぇ向けず、 地べたにも背ぇ向けん策か」
僕は苦く笑う。
「生き残る気は、ありません」
忠勝は馬を降りた。
甲冑が、鈍い音を立てる。
「ならばよ」
彼は俺の隣に立つ。
「この本多平八郎忠勝、
最期まで、横に立たせてもらうでな」
それ以上の言葉は、なかった。
遠くで、土煙が上がる。
秀吉の前衛だ。
二万の軍勢の、先端。
地は静かだ。風もない。
だが一歩
踏み出した瞬間に、すべてが終わる。
僕は前を見る。
秀吉の首が飛ぶか、
僕の身体が消し飛ぶか。
どちらでもいい。
「……来よったな」
忠勝が、短く言った。
逃げ道はない。背水の陣。
歴史が、ここで折れる音がした。
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【背水の陣】
一歩も退くことのできない絶体絶命の立場状態。
失敗すれば再起はできないことを覚悟して
全力を尽して事に当ること。「背水の陣を敷く」(広辞苑)




