第4話 降伏しました。
高松城は、もう城ではなかった。
石垣の下から水が唸り、板敷の隙間から泥水が噴き上がる。
蔵は沈み、兵は膝まで水に浸かり、夜は腐臭と死臭が混じった。
泣く者も、怒鳴る者も、もういない。
声を出すだけの体力すら、水に奪われていた。
米は尽き、馬は溺れ、
最後は草の根と革帯を煮て口に入れた。
清水宗治は、天守の最上階から湖と化した城下を見下ろしていた。
かつて人が歩き、子が走り、商いがあった場所は、
今はただの水面だ。
戦は、ここまで来た。
毛利元就の最終判断
和睦か、決戦か
高松城、水没の最中にて
城は、もう声を失っていた。
水に浸かった廊下を歩くたび、鎧が重く鳴る。
宗治は、家臣たちを集めた。
皆、やつれていた。
誰一人、「戦おう」とは言わなかった。
沈黙の中で、宗治が口を開く。
「……このままでは、城兵が皆、溺れ死ぬ」
誰も否定しなかった。
「戦に敗れるのは、武将の務めだ。
だが、兵を無駄に死なせるのは、主の罪だ」
一人の若い家臣が、震える声で言う。
「殿……では、どうすれば……」
宗治は、目を伏せたまま答えた。
「わしが死ぬ」
空気が、止まった。
「城を開く。
兵は助ける。民も助ける。
その代わり」
宗治は顔を上げ、はっきりと言った。
「わし一人の首で、終わらせる」
ざわめきが起きた。
「それでは……それでは殿が……!」
「よい」
宗治は、淡々としていた。
「わしの命一つで、この水が引くなら、安い」
誰かが泣き出した。
別の者は歯を噛みしめ、拳を震わせた。
宗治は続ける。
「羽柴秀吉は、首が欲しいのではない。
“物語”が欲しいのだ」
城を水で沈め、武将を自ら切腹させ、天下に示す。
逆らえば、こうなる、と。
「ならば、わしはその物語の“結末”になる」
吉川元春は机を叩いた。
「まだ戦えます!この雨もいずれ止む!
秀吉など、所詮は農民の成り上がり!」
だが、元就は黙っていた。
老いた目は、地図ではなく“未来”を見ていた。
(勝っても、国は残らぬ)
水攻めは戦術ではない。思想だ。
命を奪わず、心を折る。
城を落とすのではない。
「抗う意味」を奪う。
元就は、静かに言った。
「……宗治は、立派な武将じゃ」
その一言で、すべてが決まった。
和睦。
屈辱。
だが、それは毛利が生き残るための敗北だった。
元就は歯を食いしばり、天を睨んだ。
(信長……お前の下に付くとはな……)




