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S級暗殺者一家の長男に転生したけど、日常的に電流浴びせられるわ飯に毒入ってるわで毎日辛すぎる  作者: 猫養鯛


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現在の俺の生活は、驚くほど単調だった。


 何しろ、一日の大半を寝て過ごしている。

 体感でいうと、だいたい十八時間くらい。


『寝すぎだろ俺……』


 いや、違うな。

 これはもうよく寝るとかいう可愛いレベルではない。

 起きてる時間の方がレアなのである。

 前世では「赤ん坊はよく寝る」と雑に認識していたが、まさかここまでとは思わなかった。もはや睡眠が本業で、起きている時間が副業である。


 しかも、せっかく起きていても、自分ではほとんど何もできない。


 できることといえば、ぼんやり天井を見て、時々「あー」とか「うー」とか言って、限界が来たら暇つぶしに泣くことくらいだ。


 前世で三十路ぐらいまで生きた男が、第二の人生で獲得したスキルが「泣く」。

 あまりにも世知辛い。


 そんな中でも、俺にはやることが二つある。


 一つは、屋敷の人々の会話を盗み聞きすること。

 これは重要だ。情報は命である。今の俺はあまりにも無力なので、せめて耳年増にでもなっておかないとやっていけない。


 もう一つは、授乳の時間だった。

 こちらはもう、情報収集とかではなく、純然たる食欲である。赤ん坊にとってミルクは正義だ。生きるためのガソリンだ。これを否定してはならない。


 ただし、問題が一つある。


『正直、前世の記憶がある身としては、母乳飲むの恥ずかしいんだよな……』


 三十路の理性を保ったまま授乳されるというのは、思っていた以上に心へのダメージが大きい。

 もちろん分かっている。

 これは生理現象だ。

 赤ん坊としては何も悪くない。

 羞恥を感じる方がおかしいのだ。


 だが、分かるのと耐えられるのは別問題である。


『でも腹減るし……仕方ない……生理的欲求には勝てない……』


 人間の尊厳は、空腹の前ではわりと簡単に負ける。

 歴史が証明している。

 そして今、俺の胃袋も雄弁にそれを証明していた。


 いつもの授乳は乳母が担当していた。

 優しい中年女性で、穏やかな手つきと、ほんの少し眠気を誘う単調な子守歌が特徴だ。あの歌声は不思議な威力があって、聞いているとだんだん意識が溶けていく。


 そして、俺は自分の名前を知った。

 レイス。

 どうやらそれが、今の俺の名前らしい。


 悪くない。

 響きは格好いい。

 少なくとも前世で使っていたであろう本名より、なんか主人公っぽい。


 そして、俺が生まれた家。


 ヴァルダード家。


 聞くだけで格式がありそうな名前である。

 なんというか、語感がもう強い。

 絶対その辺の平民の名字ではない。

 「田中です」みたいな親しみやすさが一切ない。

 初見で「はい強い家系ですね」って分かるタイプのやつだ。


 実際、このヴァルダード家というのは相当な名家らしかった。


 調度品はいちいち高そうだし、使用人の数もやたら多い。

 毎日あちこちから人の気配がする。

 掃除している人、洗濯している人、料理を運ぶ人、報告に来る人、なんか走ってる人、頭を下げる人。

 この家、俺が思っていた以上にちゃんとした権力者の家である。


 つまり俺は、どうやらとんでもない家に生まれてしまったらしい。


『いや、もうちょい普通の家庭でよかったんだが……』


 そこで珍しく、いつもの乳母ではなく、俺の母親が部屋に入ってきた。


 足音だけで分かった。

 静かで、丁寧で、いかにも育ちが良いですと言わんばかりの歩き方だ。近づくにつれて、ほのかに香水の香りもする。薔薇を基調にした上品な香りで、いかにも貴婦人という感じだった。


 さらにその後ろから、父親の重厚な足音も続いきていた。

 革靴が床を踏みしめるたびに、威厳という概念が音になっているようだった。


『今日は両親揃って……なんだ? 家族会議か? 俺まだ議題を理解できる月齢じゃないんだが?』


「今日も元気そうね、レイス」


「ぁあ~」


 とりあえず返事をしておく。

 赤ん坊語で「おはようございます」の意である。

 なお実際に朝なのかどうかは分からない。だが接客業は第一印象が大事だ。元気に挨拶して損はない。


 母の名はリシェル。

 三十代前半くらいだろうか。栗色の髪を上品にまとめ、翡翠色の瞳には知性と穏やかさが宿っている。肌は白く滑らかで、美人である。

 しかも優しそうだ。


 父の名はドミナス。

 四十代前半くらい。黒髪にはうっすら銀が混じり、威厳のある顔立ちと鍛え上げられた身体つきが、いかにも名家の当主ですと語っている。

 強そうだ。

 そして基本的にいつも堂々としている。


 そんな二人が、今日はなぜかそろって俺を見下ろしていた。


 リシェルが、にこやかに言う。


「もう一か月が経ちましたのね。とうとうレイスも母乳離れの時期です」


 母乳離れ。


 そのワードに、俺の脳内会議室がざわついた。


『えっ、早くない?』


 続けてドミナスが、やけに重々しく言った。


「今日は重要な節目の日だ。父として、しかと見届けさせてもらう」


『待て待て待て、その言い方こわいこわいこわい。何その“儀式の執行人”みたいなトーン。授乳に立ち会うテンションじゃないだろ』


 俺の胸に、うっすらと嫌な予感が芽生える。


 いや、母乳離れ自体はありがたいのだ。

 そこは正直助かる。

 前世の精神年齢を抱えたまま授乳される羞恥プレイから解放されるなら、俺としても大歓迎である。


 ただ、この家はどうも何事も大仰だ。

 跡継ぎ誕生で屋敷中が祭りになった時点で、普通の家庭ではないと分かってはいた。

 だから母乳離れにも、何か妙な貴族流があるのではないかという不安が拭えない。


 するとリシェルが、俺をそっと抱き上げた。

 そして俺の口元に、見慣れない──いや、見慣れてはいるが久々に見る文明の利器を差し出してきた。


 哺乳瓶だった。


『なんだ、粉ミルクか』


 拍子抜けした。

 よかった。普通だ。


 粉ミルクなら、別に何の問題もない。

 むしろありがたい。栄養も安定しているだろうし、何よりこちらの精神的負担が少ない。


『これで余計な羞恥心に悩まされずに済むな……純粋に栄養補給だけに集中できる……』


 腹いっぱいミルクを飲んで、そのまま眠りに落ちる。

 それが今の俺にとって最上級の幸福だろう。


 リシェルはにこにこと微笑みながら、哺乳瓶を俺の口元へ運ぶ。

 俺は何の疑いもなく、それに吸いついた。


 最初の一口。

 うん、普通のミルクだ。

 ほんのり甘くて、温度も適温。実に飲みやすい。


 そう思った、その瞬間だった。


 リシェルが、とんでもないことを優しい声で言った。


「毒入り粉ミルクよ。さあ、飲みなさい」


『…………は?』


 思考が止まった。


 完全に止まった。

 見事なくらい止まった。


『えっ?』


『いま何て?』


『毒入り?』


『粉ミルクに?』


『毒を?』


『入れた?』


『なんで??????????』


 脳内で疑問符が乱舞する。

 パレードである。

 疑問符祭り開催中である。


 だが最悪なことに、俺はすでに飲み始めていた。


『ぶっ!? やばっ! 吐き出さ──』


 そこで、後頭部にごつい感触。


 ドミナスの大きな手が、俺の頭をがっしり固定していた。


『えっ』


 逃げられない。


『ちょ、やめ、離せ! おっさん離せや! この野郎マジで! 毒って今言ったよね!? 毒入りミルクって! 飲ませる気!? 実の息子に!? 冗談だよね!? ドッキリだよね!? カメラどこ!?』


 しかし現実は非情だった。

 哺乳瓶は口に押し当てられ、俺は強制的にそれを飲まされる。


 そして次の瞬間、異変が来た。


 まず、舌の先にぴりっとした刺激が走る。

 軽い違和感ではない。

 明確な痛みだ。


 その痛みは、すぐにじわじわと広がっていった。

 舌の表面が焼けるように熱い。

 喉の奥に火種でも押し込まれたみたいに、ひりつきが一気に駆け上がる。


『ぎ、』


 言葉にならない。

 いや、言葉にしている暇がない。


『ぎゃああああああああああああああッッッ!!!』


 俺の心の中では、全力の絶叫が炸裂していた。


『痛い痛い痛い痛い痛い!! なにこれなにこれなにこれ!! 舌が終わる! 喉が燃える! 誰か助けて! 救急車! いやこの世界に救急車あるのか!? とにかく医療! 医療を!』


 毒が食道を通り、胃へ落ちていく。


 俺はリシェルの腕の中で、必死にもがいた。

 手足をばたつかせ、全身でやめろと訴える。

 だが悲しいかな、今の俺は生後一か月である。


 抵抗が弱い。

 あまりにも弱い。


『無力!! 圧倒的無力!! 赤ん坊のフィジカル、終わってる!! 逃げられない! 振りほどけない! 抗議も通じない! これでどう戦えってんだ! せいぜい可哀想に見せるのが限界だぞ!』


 視界がにじむ。

 音が遠のく。

 だが痛みだけは鮮明だ。


 そんな地獄の最中、ドミナスが誇らしげに言った。


「我がヴァルダード家では、これは古くからの習わしなのだ。代々受け継がれてきた伝統的な教育法だ」


『教育!?』


『これが!?』


『どこの世界に“毒を盛る”教育があるんだよ!! あるのかもしれんけど、少なくとも優良家庭のカテゴリではねえだろ!!』


 しかもドミナスの声には、微塵の悪意もない。

 本当に、本気で、これが正しいと思っている声だった。


「恨んでくれるなよ、レイス。お前のためだ」


『恨むに決まってんだろ! 児童相談所! 誰か児童相談所を呼べ!! いやこの世界にあるのか!? なければ作れ!! 今すぐ国家予算で作れ!!』


 リシェルもまた、優しい声で続ける。


「毎日少しずつ飲んで、立派な耐性を身につけていくのです。レイス」


『毎日!?!?!?』


 その二文字に、俺の精神が完全に崩壊しかけた。


『うそだろ!? 一回きりの通過儀礼じゃないの!? イベントじゃなくて日課なの!? 朝の散歩とか歯磨きとかと同列で扱うの!? “今日も毒の時間ですよ~”って!? 最悪すぎるだろ!!』


 リシェルは慈愛に満ちた声音で説明を続ける。


「幼い頃から少しずつ毒への耐性をつけることで、いずれ訪れる脅威から身を守るのです。今は辛いでしょうけれど、やがて感謝する日が来ますわ」


『やば、めっちゃサイコパスじゃん、俺の両親。意味がわからん! なんでこんなことをするんだ? 実の子を殺す気か!?』


「ヴァルダード家の次期当主ともなれば、無数の敵に命を狙われることになります。毒殺は最も一般的な暗殺手段の一つ。この幼少期の訓練こそが、将来のあなたの命を救うことになるのです」


 理屈は分かる。

 分かってしまうのがまた腹立たしい。

 名家の跡継ぎなら、たしかにそういう危険はあるのだろう。


 だが。


『いやもっと他に方法あるだろ!? 解毒の魔法とか! なんで最初に“飲ませて慣れさせる”が来るんだよ!! 発想が野生動物なんよ!!』


 ドミナスも満足げに頷いた。


「我々も同じ道を歩んできた。最初のうちは辛いだろうが、やがて身体が慣れ、むしろ毒のない食事では物足りなく感じるようになる」


『ならんわ!!』


『味覚どうなってんだよ!! 舌が戦場を故郷と認識しちゃってるじゃねえか!!』


 だが両親の表情には、本当に悪意がない。

 この人たちは心から俺を愛していて、そのうえで心から毒を飲ませている。



『やばい……この家、思ってたよりずっとやばい……』


 俺の意識は、痛みと混乱と絶望に揺さぶられ、ゆっくりと闇へ沈んでいった。


 最後にぼんやりと思ったのは、


『転生先ガチャ……外したかもしれん……』


 という、あまりにも切ない結論だった。

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