鏡が映した印
離れへと向かう小道は、芝が短く刈り払われ、きれいな砂利が敷かれていた。踏むたび、乾いた小さな音がする。
その先に現れたのは、離れというより二階建ての別館だった。
壁は明るい色に塗られ、窓も多い。屋根の端まで手入れが行き届き、苔一つない。
さすがは伯爵家の離れだ。
「こちらには、ご結婚前のグロリア様が滞在されていたのですよ」
案内役の女中頭が、すこし誇らしげに教えてくれた。
父の後妻であるグロリアは、伯爵夫人となるまで、この離れで過ごしていた。
なるほど、この豪華さにも頷ける。
玄関の扉が開き、僕一人には広すぎる建物の中へ通された。
「ジャスパー様のお部屋はこちらです」
女中頭が、手早く要点だけを告げる。
「料理人が常駐しております。お食事はいつでもお申し付けください。掃除と洗濯は下女が二人。御用の際は呼び鈴をお使いください」
説明を終えると、女は一礼して扉の外へ下がった。
身の回りに張りつく侍従はいない。用がなければ、誰も入ってこない。そういう扱いらしい。
正直、ほっとした。母と暮らした田舎村の家は、手伝いが一人だけだった。見張られるみたいに世話をされる生活は、どうにも息が詰まる。
一人の方が気楽だ。
それでも、部屋の広さには面食らった。天井も高い。
執務机に、応接用の長椅子。
奥には天蓋付きのベッドと、鍵付きの大きな衣装箱。僕の荷物なんて、全部入れてもまだ余りそうだった。
さすが伯爵家。
認知されたとはいえ妾の子の僕が、これほど厚遇されるとは思っていなかった。
でも、理由はわかっている。
魔力紋が出た瞬間、僕は伯爵家の血縁として迎えられた。
魔法を使えるものが上に立つ。
この部屋の広さが、その現実をいちばん分かりやすく突きつけてきた。
ふぅ、と息を吐いた。
息苦しくなって、僕はシャツのボタンを外し、首元をゆるめた。
胸元を少しはだけると、冷えた空気がシャツの中にすっと入り込む。その冷たさが心地よく、肩の力が抜けた気がした。
ふと、机の上の小さな布包みに目がいった。
上等な布だ。端に控えめな刺繍がしてある。
ほどいてみると、中には手のひらに収まる鏡が一枚入っていた。
「鏡?」
銀の手鏡は実家にもあった。でも、これは輝きが違う。
ガラスの鏡面が静かに光っている。
僕はそれを机に立てかけ、窓の明かりを背にして覗き込んだ。
頬が、思ったより白い。
目が大きい。オレンジ色の瞳。赤毛の三つ編みが、肩にかかっている。
――自分の顔なのに、どこか落ち着かない。
〈あら、ジャスパーくんってカワイイのね。まるで女の子みたい〉
なんの前触れもなく、瑠璃さんの声が僕の脳内に降りてきた。
ウルムまでの道中は一度も現れなかったのに、久しぶりの第一声がそれ?
僕は鏡から目を離し、眉を顰める。
(女の子みたいって言われるの、僕は気にしているんだよ)
喉の奥で、ため息がつかえた。
異母兄フォルテは、太い眉がまっすぐで、顎の線がはっきりしている。いかにも貴族の「正しい男」という顔だ。黙って立っているだけで、周りが勝手に道を空ける。
それにひきかえ僕は、十五になっても声変わりが来ない。
〈いいじゃない、私、かわいい男の子、好きよ〉
瑠璃さん、ほんと価値観が違う。
僕の世界だと、強い男が偉い。
かわいいなんて、褒め言葉じゃない。弱そうって意味の侮辱になる。
〈うわぁ、戦争が身近なのね。でも、男らしくみせたいなら……なんで三つ編みしてるの?〉
髪は兜の中のクッションなんだ。叩かれた時の衝撃を和らげる。三つ編みにしているのは、母方の習慣。
〈ふーん、ちょんまげみたいなものね〉
チョンマゲ? 意味はわからないけど、瑠璃さんが納得したなら、まあいいや。
僕は鏡に向かって肩をすくめ、机に立てかけた鏡へ無意識に指を伸ばした。
角度がわずかに変わって、鏡に映る範囲が顔から鎖骨のあたりへ下がる。
〈あれ? ジャスパーくんの胸元に私と同じあざがある〉
***
次話:第八話「闇の魔力紋」
黒い線が、鎖骨の下へ伸びていた。
――教本で見た闇の形のままに。




