「味方ですわよね」
鈍い赤色の光が、水晶玉の奥に小さく宿った。
――光より先に、熱が来た。
「え、なんで?」
僕の右手は、滑らかな球面に触れたまま固まっていた。
土属性なら黄色のはずなのに、光は赤い。しかも暗い。
——呪い?
左手の模様が脳裏をよぎって、喉がきゅっと縮む。
顕紋の儀で魔力持ちだと証明できなければ、貴族籍に登録されない。
水晶玉に触れた手のひらが、ヒリヒリと焼ける。
顔まで熱がのぼって、冷や汗が背を伝った。
その時、頭の中で女の声が軽やかに跳ねた。
〈赤外線じゃない?〉
セキガイセン?
〈ほら、唐揚げを温めてるライト。コンビニのレジ横の、あれよ〉
こんびに? れじ?
わからないはずの言葉なのに、なぜか胸の奥で引っかかった。ぞっとした。
〈手を離さないと、やけどするわよ〉
(やけど——?)
水晶玉の光が、ふっと脈を打つ。熱さが増して顔をそむけた瞬間……
――パキッ。
光が消え、熱も引いた。残ったのは、髪の毛みたいなひびが無数に走る球体だけ。
(まずい……!)
司祭たちが息を呑む気配がした。父の視線が刺さる。
隣では、異母兄フォルテが、薄笑いのまま固まっている。
どうして、こうなる?
【数十分前】
小会議室の扉の前で、僕は足を止めた。
白手袋の下で、左の薬指がじわりと熱い。昨日からずっとだ。気にしちゃだめだと思っても、無駄だった。
「遅いぞ」
先に到着していたフォルテが、僕をにらんでいる。
同い年の異母兄。貴族然とした姿が、いちいち癪に障る。
「おはよう」
「まったく。なぜ俺が、妾腹のお前と同じ扱いを受けなければならない」
朝一番に、それだ。
反射的に笑って誤魔化そうとして、やめた。笑ったら負ける気がする。
(君だって先妻の子だろ。それも実家が滅んで、後ろ盾もない)
喉まで出かかった言葉を飲み込む。フォルテのことは嫌いだけど、喧嘩したいわけじゃない。
「顕紋の儀は、伯爵家として行う儀式だから、仕方ないさ」
僕の返事をフォルテは鼻で笑い、扉に手を掛けた。
「ふんっ。せいぜい落ちないよう祈っておけ」
扉が開いた。
中には父、リート・フォン・ウント・ツー・フライブルク伯爵と、正妻のグロリア様が椅子に背を預けて座っていた。
父は威儀を正したまま、僕たちを無言で眺めていた。その目には、歓迎より先に値踏みがあった。
一方のグロリア様は、微笑んでいるのに空気が冷たい。
「おはようございます、お父様。グロリア様」
儀礼に従い、フォルテと僕は頭を下げる。
父とグロリア様の目は、僕ではなくフォルテを追っていた。
僕は、最初から数に入っていない。
「これより、顕紋の儀を始める」
父が宣言し、司祭に合図を送った。
聖職者が、紫色の台座に載った水晶玉を運び入れてくる。
「紋を改めたのち、この魔術具で魔力量を測ります」
〈夢で魔法!? 見たい見たい!〉
突然、頭の中が明るくなる。夢で会った瑠璃さんの声だ。
(やっぱり、僕、おかしくなってる?)
でも今は儀式の途中。唇の端ひとつ動かさず、聞こえないふりでやり過ごす。
「まずは、フォルテ様。こちらにどうぞ」
司祭の一人が、フォルテの右手を確認する。
人差し指の根元に濃く太い赤。そして中指に黄色。
「火と土の二属性。特に火が強い――フライブルク家の血筋でしょう」
司祭の声が、フォルテを持ち上げる。
父が嬉しそうに頷き、フォルテは得意そうに顎をあげた。
次は僕の番。
白手袋を外した右手を、司祭の方に差し出す。
「土。薄い土属性ですな」
予想通りの宣告だった。
フォルテの視線が、ねっとりと絡む。ほら見ろ、という目。
〈ジャスパーくん、扱い雑すぎない?〉
内心のため息が隠せない。
「続いて適性魔力の強さを測ります」
司祭が見本として水晶玉に触れると、淡く青紫の光が灯った。
「フォルテ様は、火と土の二属性ですから、赤か黄色に光れば、貴族籍登録の要件を満たします」
〈うわ、水晶玉。テンプレだ〉
がっかりした声が脳内に響く。
フォルテが水晶玉を両手で触れた瞬間、赤と黄が重なったような、強烈なオレンジの光が部屋中を染め上げた。
あまりの明るさに、目を開けていられない。
司祭たちがざわめき、父の目が僅かに見開かれた。
「これは、強い」
「さすが伯爵様の御子」
褒め言葉が舞う中、フォルテはそれを当然のように受け止めていた。
「父上、サリカ法の定めでは、嫡子で最も魔力の高い者が継ぐ。ならば次期伯爵は俺――」
その言葉を遮るように、グロリア様が立ち上がった。
「その程度で思い上がるのではありません」
声は静かだった。なのに、空気が一段冷たくなる。
グロリア様が水晶玉に手を触れる。
次の瞬間、白光が迸った。
目を閉じてもなお眩しくて、光が空間を塗りつぶし――
パリン。
乾いた音とともに、光が途切れる。
水晶玉が割れていた。台座の上に、ひびだらけの破片が残る。
グロリア様は、破片から手を引いただけで、何も言わない。平然としたまま、椅子に腰掛けた。
フォルテの顔から血の気が引いた。
さっきまで浮かんでいた得意げな笑みが、そのまま固まっている。
いい気味だ、と思った瞬間、瑠璃さんの声が再び頭に響いた。
〈触っただけで壊したよね〉
「恐れ入ります。交換いたしますので、しばし――」
張り詰めた沈黙が支配する中、フォルテの拳が震えている。
父は無言。グロリア様だけが平然としていた。
そして、新しい水晶玉。
「次はジャスパー様の番でございます」
僕の心臓がドキドキ跳ねる。
(光らなかったら……貴族籍に登録されない)
手袋を外した右手だけを、水晶玉へと伸ばす。
左手は自然に背中に回した。手袋の下の熱が、やけに存在を主張する。
(お願い、今だけは邪魔をしないで)
「ジャスパー様の属性は土。黄色い光がでるでしょう」
司祭の言葉が、重い。
息を吸って、吐いて。
右手を、水晶玉へ置いた。
【そして今】
鈍い赤が宿ったと思ったら、もう割れていた。
小会議室の空気が、ざらりと尖る。
司祭たちの呼吸が止まり、記録係のペン先が宙に浮いた。
僕の手の下で、水晶玉は光っていない。
赤も熱も消え、残ったのは網目みたいな亀裂だけ。
(……どうして?)
左手の模様が、脳裏で燃える。呪いという二文字が喉に貼りつく。
司祭たちが割れた球面を覗き込み、僕の右手を確かめ、顔を見合わせた。
「赤でしたな」
「しかし、ジャスパー様は火属性ではない」
「土属性なら黄色のはず」
誰も結論に達しない。
父は黙ったまま、僕を見ていた。隣ではフォルテが、薄笑いを貼り付けたまま固まっている。
「恐れ入ります。魔術具の不具合だった可能性も——」
椅子が小さく鳴った。
グロリア様が、ゆっくり息を吐いたのだ。
「水晶玉は魔力に反応しました。――以上です」
それで終わりだった。
赤の光も、割れたことも、誰ももう口にしない。
司祭たちがうなずき合い、誰も原因には触れなかった。
父が一つ頷くと、司祭が宣言した。
「光は出ました。ジャスパー様は魔力持ち。貴族籍への登録を許可します」
決裁は終わった。
記録係のペンが走り、羊皮紙の擦れる音だけが、やけに耳に残った。
父とグロリア様が、退室する。
フォルテと僕はそれを見送る、はずだった。
グロリア様が僕の前で立ち止まり、にこりと笑った。
優しい微笑み。けれど、目は笑っていない。
「ジャスパーさん、あなたは——わたくしの味方ですわよね」
心臓が鷲掴みされたみたいで、喉が詰まった。
否定できるわけがない。
「はっ、はい。もちろんです、グロリア様……」
唾を飲んだ瞬間、声が糸みたいに細くなった。
情けない。
次の瞬間、背中が痛いほどの視線を感じた。
はっと振り返ると、フォルテがこちらを睨んでいた。
祝福じゃない。
あれは、宣戦だった。
それなのに、手袋の下で左の薬指がまだ熱い。
触れていないのに、そこだけが脈を打っていた。
***
次話:第五話 「深紅の留め具」
「もしかして、わたしにもプロポーズしていただけるのかしら?」
世界が、ピキッと音を立てて割れた気がした。




