表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/10

その首飾り、僕にください

「その首飾り、僕にください——じゃない。僕と結婚してください!」


 胸が高鳴る。これが運命ってやつに違いない。


 僕の理想が目の前にいる。胸の奥で、祝福の鐘がカラーンと鳴った。

 返事もすぐだ。「はい」と、たった一言。


 ……のはずだった。返ってこない。


 もしかして照れてる?

 そう思った瞬間、舞踏会の空気が、ひゅっと凍った。


 楽団の弓が止まり、笑い声が消える。

 シャンデリアの蝋燭(ろうそく)が燃える音だけが、やけに大きい。


 あれ? なんか、まずい。


 遅れて、声のさざ波が押し寄せた。


「え?」

「いま……結婚って……?」

「あの子……フライブルク伯爵家の……?」


 無数の視線が、針みたいに突き刺さる。

 そうだった。ここは社交界。十五歳になった僕の舞踏会デビュー。全員が僕を見てる。


 目の前の当人――ドルチェ嬢は、頬を少し赤らめて困ったように微笑んでいる。胸元にエメラルドの緑が映えて、とてもまぶしい。


「あの、フライブルク伯爵家の、ジャスパー様……ですよね?」


『ですよね?』と確認されてしまった。つまり彼女は、僕を知らない。


 たしかに僕も、ドルチェ嬢とは初対面だ。

 それでも運命は運命だろ? ね?


「は、はい! ジャスパーです! えっと、その……結婚?」


 口が勝手に動く。なんで疑問形なんだ。

 頭は真っ白なのに、喉だけが妙に元気。


 ――どうして、こんな空気になった?


 さっきまで祝福されてる気分だったのに。


 答えは、数分前にある。


【数分前】


「ソナタ男爵家ご令嬢、ドルチェ様がお見えになりました」


 召使いの声とともに扉が開いた。そこから入ってきたのは、絵本の挿絵みたいに綺麗なお姉さんだった。


 淡いプラチナブロンドが肩に落ち、白い肌が光を透かす。背筋がすっとのびていて、歩き方に迷いがない。


 綺麗だ。息を呑むほどに。


 なのに、僕の視線は彼女の顔よりも先に、胸元へ吸い寄せられた。


 首飾り。


 僕は昔から、人より先に宝石を見てしまう。


 細い金のラインに、小さな石が途切れず並ぶ。中心に位置する深緑の長方形が、シャンデリアの光を受けて、すっと暗く沈み……次の瞬間、鮮やかに輝いた。


 エメラルド。

 森の奥の湿った影、朝露の冷たさ、春先の若葉の匂い。あらゆる緑を閉じ込めている。


 左右には、万緑を思わせる蔓草の細工が走り、最後に雫型の石がひとつ、ドルチェ嬢の胸で小さく揺れた。


 その揺れを見た瞬間。左手の薬指が、じわりと熱を持った。


「え?」と思って自分の手を見る。

 白い手袋の下。指の付け根のあたりが、ほんの少しだけ温かい。


 わけがわからない。

 ただ、身体の奥の何か(・・)が、宝石によって目を覚ました。そんな感じがした。


 そこから先は、もっとおかしい。


 周りのざわめきも、笑い声も、楽団の曲も遠のく。

 僕の世界は、あの緑の光に満たされていた。


(すごい)

 綺麗、なんて一言じゃ足りない。胸が躍る。これが運命ってやつに違いない。

 出会った瞬間、恋に落ちた。


(行かなきゃ)

 誰に命じられたわけでもないのに、足が動く。

 礼儀作法? 知らない。習ったはずなのに全部抜け落ちた。


 人垣を割って、僕は彼女の前に出た。


「ドルチェ様!」


 振り向いた彼女の顔に気づく前に、僕の視線は胸元の深緑に落ちていた。


 首飾り。


 光を受けたエメラルドが、星みたいに輝く。そのきらめきを見た瞬間、僕の中の熱が一段と跳ね上がった。


 僕は首飾りに恋している。


 わかっているのに、目が離せない。


 次の瞬間、左の薬指が熱く脈を打った。

 指輪。花嫁。結婚。考えるより先に、口が動く。


 そして僕は、最悪のプロポーズをした。


「その首飾り、僕にください——じゃない。僕と結婚してください!」


 そして今。


 静寂を破ったのは、誰かのくすくす笑いだった。それが合図になって、ざわめきが一斉に広がる。

 ドルチェ嬢は困ったように微笑んだ。


 胸元を押さえたせいで、エメラルドの緑が小さく揺れる。

 僕の目はその揺れに奪われている。


「あの、ジャスパー様。お言葉は光栄です。でも……」


 彼女の指が、そっと胸元に触れた。僕の視線から首飾りをかばうように。


「その……私ではなく、エメラルドを……見ていらっしゃいましたよね?」


 言葉が胸に突き刺さった。見抜かれていた。僕の目が、彼女ではなく石を追っていたことを。


 そして、僕が答えを返す前に、背後から冷たい声が斬りかかってきた。


「おいおい、妾腹(めかけばら)のくせに、ずいぶんと大きく出たな」


 振り向くと、同い年の異母兄——フォルテが、薄く笑って立っていた。

 目が合った瞬間、僕は理解した。こいつ、楽しんでる。


「知らないのか? ドルチェ様は——」


 フォルテはわざとらしく、舞踏室(ボールルーム)全体に届く声で言った。


「明日、アパッショナート兄様の花嫁になる方だ」


 終わった。いろいろ終わった。

 フォルテの実兄。つまり、僕の異母兄の花嫁。そんな相手に僕はプロポーズしたのか……。


 穴があったら入りたい。いや、埋めてほしい。


 顔が熱い。視界がにじむ。その中で、深緑の首飾りだけが鮮やかに浮かんでいる。それが、ぱきん、と音を立てて砕けた気がした。


 何か言おうとしたけど、言葉が見つからない。探すより先に、足が勝手に後ろへ下がっていた。


 背中に刺さる視線が痛い。笑い声が痛い。

 何より、ドルチェ嬢の困った微笑みが痛い。


「ご、ごめんなさい」


 その言葉を残して、僕は逃げた。


 階段を駆け上がり、廊下を曲がり、息も整えないまま自室の扉を閉めて鍵をかける。

 背中を扉に預けた瞬間、足から力が抜けて座り込んだ。


「何やってんだ、僕」


 手袋を引き抜いて、左手を見る。薬指に、もう熱はない。


 なのに、さっきの光景がやけに鮮明に戻ってくる。

 困らせてしまった。あんな顔をさせたかったわけじゃない。


 どうして、あんなことをしたんだろう。


 でも、はっきりしていることが一つある。

 僕を動かしたのは、ドルチェ嬢じゃない。胸元の緑だった。


 首飾りが視界を奪って、頭の中が真っ白になった。

 そして僕は、宝石に求婚した。


 馬鹿だ、僕。


「もう二度と、舞踏会なんて行きたくない」

 そう思いながら僕は目を閉じた、その夜。


 緑の光の向こうで、僕の知らない声が命じた。


「伏せろ!」


ジャスパー

挿絵(By みてみん)


ドルチェ嬢

挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
新作、おめでとう御座います*\(^o^)/* スッと入ってくるあらすじと、キャラクターが分かりやすい第一話で良い掴みだなと思いました。 ジャスパー君はきっとこれからもやらかすと期待!w
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ