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ボクネコ  作者: Mr.ランジェリー


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第1話 「ネコ」

はじめまして。

Mr.ランジェリーです。

この物語は、

「どっちでもいいや」

その一言で、

選ばなかった過去が少しずつ積み重なっていく話です。

特別な能力も、派手な展開もありません。

いるのは、

人生の分岐点に現れる、ちょっと悪い顔をした猫だけ。

気楽に読んでいただけたら嬉しいです。

「どっちでもいいや。」

それが、僕の口癖だった。

高校を卒業して、進学か就職かと聞かれたときも、

迷ったわけじゃない。

どちらを選んでも、同じ気がしただけだ。

家庭の空気に逆らう理由もなく、

気づけば僕は、地元の工場で働いていた。

年が明けても、何も変わらない。

いつも通りの朝を迎える。

顔を洗い、歯を磨き、

壁に掛けたパーカーに手を伸ばす。

その瞬間、違和感があった。

フードの中が、妙に重い。

恐る恐る覗き込むと、

キジトラグレーの猫が丸まっていた。

目が合う。

猫は一瞬だけこちらを見て、

何事もなかったように目を閉じた。

「……なんで?」

そっと外に出そうとすると、

爪を立てて、微動だにしない。

時間がない。

仕方なく別のパーカーを手に取ると、

背後で風を切る音がした。

次の瞬間、

猫が僕に飛びかかり、フードを剥ぎ取り、

また中へ潜り込んできた。

人見知りの僕は、

幼い頃からフードを被る癖がある。

そのせいで、

周りからはずっと「ねずみ男」と呼ばれていた。

猫は、居心地がいいのか、

小さく喉を鳴らしている。

理由はわからない。

けれど、不思議と、

追い出そうとは思わなかった。

フードを脱いで外に出るのは、いつぶりだろう。

玄関のドアノブに手をかける。

そのとき、

僕の人生が、少しだけズレ始めていたことを、

まだ僕は知らなかった。


いつもと同じ時刻の電車に乗り、いつもと同じ時間に工場に入る。


溶接の独特な匂いと、1つの大きなタンクになろうとしてる鉄の塊たちが出迎えてくれる。

焦げた作業服に着替え、作業員の人たちと心のない挨拶を交わし、作業に入る。

フードを被っていないことに違和感を感じ、ふと

猫を思い出した。

首を締め付ける感覚はなく、背中の感触が温かく返事をした。

昼休みに食堂でご飯を食べていると、変な空気音と同時にフードが揺れ、異臭が僕を襲った。

まさかと、フードを覗くと、猫は悪い笑みを浮かべこちらを見ていた。

隣の席の外国人は、このひどい異臭の中を顔色一つ変えずご飯を食べている。

速やかに食事を済ませ、申し訳なさそうに食堂をあとにした。

この会社に勤めて数年経つが、初めてパーカーを脱いだ。

でも、誰も僕のその変化に声をかけてこない。

気づかれていない可能性を信じながら、寂しさと今までの自分の所作のなさに呑み込まれていた。

作業をしても進んだ気がしない。


いつもと同じ時間に工場をあとにし、視界が広がったことに気付いた。

車窓からパノラマに見える夕陽。

いつもより電車の席が増えたように見え、改札を抜けたときに耳に刺さる冷たい風。

フード一つで、世界は思ったより広かった。

いつもより歩幅が広がっていた。


団地の前を通リすぎる時、一人の少年がしゃがみ込んでいた。

その時だ。

フードの中が慌ただしくなり、びっくりして足を止めた。

中から猫が勢いよく飛び出し、

少年の方へゆっくりと向かい、

少年の足へ擦り寄った。


空っ風が僕に吹き付け、目を閉じた。


視界は金色に包まれ、

目の前にいる少年の数時間前のビジョンが流れ込んできた。


ーー夕方。

ランドセルを放り投げた少年は、玄関で靴を履きかけていた。

「あとで、公園で遊ぼうね。約束だよ。」

そう言った友達の声が、まだ耳に残っている。

そのとき、台所から母の声がした。

「ちょっと待って。

 お使い、お願い。」

少年は振り返る。

玄関と、台所。

どちらも近いのに、ひどく遠く感じた。

「……今から?」

「すぐ終わるから。お願い。」

断れなかった。

理由はわからない。

ただ、断る気がしなかった。

少年は黙って財布を受け取り、玄関のドアを閉めた。

——場面が切り替わる。

夕焼けの公園。

ブランコは揺れていない。

滑り台の下にも、誰もいない。

少年は、しばらく立ち尽くしていた。

携帯も持っていない。

謝ることも、追いかけることもできなかった。

「……どうしよう。」

誰に向けた言葉かも分からないまま、

少年は一人、

家へ向かった。


ビジョンは消え目の前に猫と少年がいた。


胸の奥がじんわりと濡れた。


「僕もあったよ。同じ出来事…」


その時、猫はもう一度少年の足に擦り寄った。

猫の毛並みが、

ほんの少しだけ、

さっきと変わって見えた。


金色が一段と強く輝き、またビジョンが流れた。


ーー翌日。

少年は、教室の前で立ち止まっていた。

扉の向こうから、笑い声が聞こえる。

昨日まで、そこに自分もいたはずの場所。

ランドセルの肩紐を握りしめ、

一歩、踏み出す。

「……昨日は、ごめん」

声は小さかった。

自分でも驚くほど、震えていた。

一瞬、教室の中が静まる。

次の瞬間、

「え?それだけ?」

そう言って、誰かが笑った。

「もしかして、昨日のこと?」

別の声が続く。

「先に帰ったんだと思ってたよ。」

誰かが肩を叩いた。

誰かが場所を空けた。

少年は、戸惑いながらも、その輪の中に入った。

休み時間。

昼休み。

放課後。

昨日までと、何も変わらない。

——いや、少しだけ違った。

自分から声をかけること。

目を見て話すこと。

断ること。

謝ること。

それらが、少しずつ増えていった。

少年は笑っていた。

胸の奥が、また濡れる。

次の瞬間、

別のビジョンが、重なるように流れ込んできた。

——放課後の帰り道。

一人で歩く、昔の僕。

何も言わず、

何も説明せず、

「どっちでもいいや。」と言い聞かせながら。

距離は、自然に開いた。

誰も責めなかった。

誰も引き止めなかった。

それが一番、長く残った。

僕はあの時、謝らなかっ…「ブォッフッ」

「…っ!臭っ。」


空っ風がビジョンを掻き消し、

気づけば、現実に戻っていた。

少年はもう、そこにいない。

団地の前には、夕暮れと異臭だけが残っている。

足元を見ると、

猫が、悪い顔でこちらを見上げていた。

……どうやら、犯人はこいつだ。


フードの中へ戻る前に、

もう一度、首を傾げる。

まるで、

「どうだ?」

と聞いているみたいに。

僕は答えなかった。

答えられなかった。

猫は何事もなかったように、

またパーカーの中へ潜り込む。

その重みが、

さっきよりも、はっきりと伝わってきた。

毛並みが、

少しだけ変わっている気がした。


いつもの道。

いつもの帰り道。

それでも、胸の奥が、少しだけざわついていた。

家のドアを開ける前、

ふと、口を開いた。

「……名前、いるよな」

フードの中で、

小さく喉が鳴る。

「じゃあ、"ネコ"にしよう。」

それだけ言って、

ドアを閉めた。

ネコは、返事をしなかった。

ただ、

前よりも少しだけ、

温かくなっていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

この話は

「正しい選択」を描く物語ではありません。

選ばなかったこと。

言えなかった一言。

流してしまった気持ち。

そんなものが、

後になって、少しだけ胸に引っかかる。

その感覚を書いています。

次話も、

“どっちでもいいや”で片付けた過去が一つ出てきます。

よければ、また覗いてください。

毎週水曜日更新です

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