第九話
「そもそも俺たちダングライのことを助けようと必死なことはわかるが、どうして他国のことを他国が仕切るのかねぇ!」
兵士の男は近くにある椅子を障害物のように蹴り飛ばした。
コーマツは凛とした表情で男を上から見下した。
「私たちは君主様直々に、そして其方らの尊ぶべき皇帝から直々に命令を受けている。其方ら一般兵の意言うことは一切聞くなとも言われている」
「だからと言って他国が仕切ることはいくらなんでも身勝手すぎる!」
「勝つためだ。使われる駒としてしか見られている其方と直々に命令された私としては立場が違う。場をわきまえるか立場の高いものに申すように伝えよ」
「さっきから偉そうなことしか言わないよぁ。ただの調理師のくせによぉ!」
一般兵の主張を理解できない脳をコーマツは持っているわけではなかった。実際、コーマツからしても自分が身勝手なことをしていることは十分理解できた。
もし、万が一、仮にだ。コーマツの尊ぶ君主が統治するあの国で他国が指揮を君主の代わりに取り始めるものがいたら襲いにかかるだろう。容易に想像ができる。あたりは獣によって荒らされた戦場より地獄と言える場所が生まれるに違いない。
しかし、だ。今度はコーマツが、いや、別のもの、漁でもセイでも、マムシでもいい。この中の一人が指揮官として軍を率い、自分の国の戦場で勇敢に戦おうとしよう。その戦いに負けた時、一体民衆は誰を指差して笑うだろう。答えは幼稚な子供でもわかる。なんならその子供こそが指を指すのだから。『悪い』と言われるのはその指揮官だ。子供ながらの気持ちを身体中の細胞が昔を思い出すように腕を動かし、指を動かし、石をそいつに投げるのだ。
(私の考えもわからない下衆め)
コーマツのとる行動は決まっていた。
「貴様らのことなど知ったことではない。ただ貴様らは私たちと言う存在に従っていろ」
(この戦にダングライは負ける可能性が高いことをこいつらは気づいていないとでも言いたいのか)
正気ではない。
コーマツは冷たくそう言い放つとはぁ、と溜息をこぼした。
「使者どの……」
細身の男はなんともいえない顔をして目を泳がせていた。
気づけば彼は片手で腹を一生懸命に押さえていた。まともに食っていない体では立つのも辛いだろう。きっと腹を抑えているのは襲撃によるものか、またはこの場にいるために起きてしまう胃の病なのか。
「すまぬな」
誰がいったかはわからない謝罪の言葉。小さな布切れで覆った部屋の中でコーマツは覚悟を決めたように地図の一点を指差した。
「お前も指揮官と言い張るのなら今から私がいうことを兵に言い聞かせろ。『コーマツに逆らうな』とな」
(全くもって傲慢だねぇ)
マムシはその場の空気と化す避役のようにただただ椅子に座っていた。
この場にいる人間としては彼は一番の客観的視点を持つ人間だろう。誰よりも感情的になる場面などなく、むしろこの場にいたのにかかわらず息を潜めて何を探るつもりもなくただただ黙ってテントの中の灯火を見ていただかなのだから。
(コーマツは言葉が足りないし、セイは情緒不安定化する女になるし、漁は真面目に聞いてるかと思いきや今はぐっすりと夢の中。自由人としては言葉が足りないような奴らばっかりだナ)
マムシは一人ニマニマと笑ってその場を見ていた。
(そういえばハルケ、っていう火がいたなァ)
マムシ自身彼については何も知らない。男なのか、女なのか、そしてどのくらいの歳なのか。どのような生い立ちだったのか。唯一教えられている情報といえば裏切り者の家族ということだ。裏切り者、かつての偉大なる職業であった調理師でもあったのに対し、国を見捨てた者__トモル。
(全くもウ、家族が反逆者だからといって弟まで……ん? 彼はそもそも人間なのか?)
マムシが初めてハルケと出会ったのはつい数時間前だがそもそも考えれば火がしゃべるというのはいかにも不可思議な出来事だ。
マムシの経験上、留学中に文化の違いによる衝撃は多々見られたがこのような妖のようなものの姿も伝聞も聞いたことはなかった。学生の時に使っていた図書館でも火がしゃべるということが書かれた図鑑は何一つなかった。面白半分で開いた妖怪大図鑑にも珍獣大図鑑にも何一つハルケのような姿についての記述はなかった。
(そもそも我はトモルって人さえどんな人なのかは知らないな。__彼は人の形をしていたのか?)
もしかしたらハルケ同様に火だったのではないかとその場では一番平和な考えをするとマムシはいまだに言い争う一般兵とコーマツの声ですぐに切り替えた。
(こんなことを考えてたらコーマツに殺されソーだナ)
ははは、とマムシは一人笑って見せた。
「不細工は北北東にいるのね! 任せて!」
セイはまた扇子の要をぎゅっと握る、これ以上要を爪の先で握っては爪から血が出てしまう、そして顔を隠す本来の役割を果たすものがなくなってしまう。コーマツは恐る恐るセイの肩に手を置いた。
「落ち着け。お前のいう不細工はお前に担当させてやるから、まずはその危ない扇子をしまえ」
セイは殺気のこもった熱い眼差しをコーマツに向けるとにんまりと笑った。
「あぁ! 美形が近くに! 近くにいるわ!」
「さっきから私はずっと近くにいたはずなのだがな……」
セイはコーマツの顔を見るなり扇子を元あった腰の位置に戻した。綺麗に折り畳まれた鶴の折り紙のように丁寧に扱う姿から、マムシは再び彼女は女性であり、決して狂人ではないことを再認識した。
「それではこれから私たちが取るべき行動についてもう一度話し合おう」
コーマツは再び指揮をとり始める。
今度は誰一人、どんなにがたいの良いものでもコーマツに物申すものはいなかった。
(あー、こいつは自分が中心に立ってなきゃ気が済まない性分なのかねぇ)
漁は目を瞑りながら、寝たふりをしてそう考えていた。
マムシも他二人も漁が寝ているのだと信じ込んでいる。誰一人狸寝入りしているなど気づきもしない。それは良いことなのか、悪いことなのか漁は両手を広げて上を向いた。
(マムシってやつはコーマツがしたいことに気づいてるっぽいけど僕にはやっぱり自己中な野郎にしか思えないねぇ)
漁の考えは半分あっていて半分あっていないようなものだった。
(きっとコーマツ自身気づいてないんだろうねぇ、自分の醜い欲求を)
漁は再び目を瞑ってトモルが裏切ったあの日の港の襲撃を思い出す。
……それはそれは酷かったものだった。
何よりも漁が指揮をとっていた軍隊の部下たち全員がトモルの元へ自らの意思で離れていってしまったのだから。全ての部下から刃を向けられ、涙を流されながら切り刻まれる体の傷はまだ癒えていない。いや、癒されることはないだろう。漁の身体中がたとえ皮膚が再生しようが皮膚の底に眠っている刃物の感覚は忘れられないものだ。
かといって漁は部下のことを恨むということはしなかった。それはそれは心の広い上司だったのか何か事情があるのだろうと今でも考えているのだ。
本来なら部下をいかに罰して、正しい道に導くのを考えてやるのが上司の鏡というやつなのだろうが、漁にはその思考をするという行為自体に嫌気がさしていた。
(きっと僕は誰かの指揮を取る重大な役割は向いてないんだろうなぁ)
だからこそ、漁は漁なりにコーマツを心配していた。
(コーマツ、早く周りを見渡せ)
周囲にはお前によくない感情を持つものがいることぐらいいるってことを早く認知してもらわなければ。
そう考えたとしても漁は決して自分からコーマツへ助言しようとは微塵も思っていなかった。
(やっぱり、僕に指揮は向いてないんだろうなぁ)
コーマツは立派な男だ。
後先考えず昔ながらの考えを大切にし、己の信念を貫き通す立派な武人だ。
(……トモルさんの影響かなぁ)
コーマツはトモルが持つ軍隊に所属をしていた。それはそれは優秀な軍隊で、入れれば一生安泰の暮らしができるとも言われた。中でもコーマツはトモルと親しげに話せる中であったとの噂だ。トモルが調理師を辞職する際にはコーマツが直接ものを言いにいったとか、最後に酒を一緒に浴びたとか。それはそれは仲がよろしかったようで。
(トモルさんとは一度会ったことがあったけど、指揮の取り方が今のコーマツと似ていたなぁ)
地図から目を離さず標的となる人物の詳細を聞き出す姿。
口調が違えどその佇まいはトモルと重なる。
(そうだ、そういえば忌々しき弟を外に放置していたんだ)
漁は部下を恨んではいなかったがトモルに対してはそうではなかった。
漁が唯一と言ってもいい、忠誠を誓っている国の神とも呼ばれる存在を裏切り、部下たちをそのよくまわる美しい赤い口で唆したのだから。
(前々から気に入らなかったんだ)
別に嫉妬をしている訳ではなかった。
美しい容姿に似合う綺麗な心を持ったいかにも青年という言葉が似合うあの男。あの男が一つものをいえばどんなに漁を慕っていた女でさえ、部下でさえ、魚でさえ、彼の背中に向かって走っていく。
しかし、その青年の戦い方は異質そのものだった。
漁は身震いをした。
(あんな化け物の弟なんだ、何をしだすのかまだわからない)
ハルケという漁が呪うべき対象の親族。家族の詳細について君主から情報をもらうも漁はどうもいけすかない野郎だとしか感じなかった。
(きっとあいつもそのうち何かトモルさんみたいになるんだ……)
なら、罰から逃れる前に罰を受けさせてもたいして罰は当たらないだろう。
その時だった。一つの知らせが届いた。
テントにボロボロになって入ってきた兵士は赤く染まり上がった服を片手で抑え、肩を振るわせている。
「敵が、山を降りずに、怪しげな武器を使って攻撃準備を……」
その瞬間、その兵士の頭は赤い花を咲かせたかのように散っていった。
花弁が赤く、液体となって地面に倒れ込んだ体とともに水たまりを作る。
それに気を取られたのが間違いだったのか、セイ、コーマツ、漁の体に無数の弾が撃ち込まれ、その場に首を落として、腕を落とし、指を落とし、その場に風穴を無数に開けて、朽ちた大木のように倒れたのだった。




