捜査? 開始?
金庫は部屋に入って突き当りの壁に、小さいながらも堂々と設置されていた。その気になれば、壁から引っこ抜き、金庫そのものを盗めそうだ。この部屋には入られない自信が、よほどあったのだろうか。それとも壁から引き出すのは、金庫を開けるよりも難しいのかもしれない。
怪盗の練習のために試したいみたい気持ちを抑えつつ、私は部屋を見渡した。
金庫の左右から、膝の高さで強化ガラスケースが部屋のぐるりに設置されている。その中には、数々の高そうな宝石貴金属、そして訳の分からない置き物が何の脈絡もない感じで、所狭しと飾られていた。
ここまでは給料据え置き警部に状況を聞いた時点で、大体想像できていた。しかし、聞いていなかったのもあるし、聞いていても真面目巡査部長のくだらない冗談だと決めつけたであろう、貴重品保管部屋としては似つかわしくないものが、部屋の中央に設置されている。なんと、マッサージチェアーが、まるで自分が主役でもあるかのように堂々と居座っていたのだ。
それに座ってマッサージを受けながらお宝を眺めるためなのは、想像に難くない。土台は回転できるようになっていて周囲360度見渡し放題だし。おそらく電動で。それに、ガラスケースが低めなのからも、ほぼ間違いないだろう。
センスが悪いと思うのは、センスの塊を自認している私だけなのだろうか。それに、バカ丸出しだろうが、嫌な奴だろうが、成功者には変わらないのだ。我々怪盗団のお得意様候補のセンスを理解する努力をするか。それが、事件の解決はおろか怪盗のミッションの成功にも繋がるだろう。
とはいえ、まずは客観的にフラットに、現場検証を粛々としよう。先入観を持たず状況の把握は大事だからな。
やはり最初は金庫に注視だ。いや、待てよ。ホームズだったら、注目を浴びたいがために……危ない危ない、名探偵の元祖の悪口を言いそうになってしまった。誹謗中傷がとてつもないことになってしまう。しばらく目立たないようにしておくか。なので、オーソドックスに金庫を調べてみよう。何か気のてらった捜査手順を思いつかなかったわけではないからな。
今度こそ、金庫をじっくり見た。扉には鍵穴が一つで、直径5センチ半径なら2、5センチくらいのダイヤルが一つの、いたって簡素な作りだ。金庫は開けられた状態なので、少なくとも今は、鍵もダイヤルの暗証番号もいらない。盗まれたと気づいた田中太郎が、そのままにしたのだろう。『神のゲンコツ』はもちろんだけど、他にも何も入ってないのだから。スペース的には、100カラットのダイヤモンド以外にも現金なら5000万円くらいは入る程度の大きさだ。決して大きい金庫ではない。
うん、速攻で金庫の捜査は終わった。鑑識は入らないが、どうせ太郎以外の指紋は出てこないだろう。いくらなんでも犯人が素手で犯行に及んだとは思えない。だけど、私の凄さを阿部君と明智君に分からせるために、一芝居打っておくか。
明智君の目を盗んでネットで注文しておいた、シャーロック・ホームズモデルの虫眼鏡を、私は自慢気に出した。阿部君が羨ましそうに見てすぐに、平静を装う。明智君は心から興味なしだ。明智君の目を盗む必要はなかったようだ。私は、さらに言葉でも自慢するか迷ったすえに、自嘲した。
これを飾るのではなく実用的に使うことが、最大の自慢になるのだ。虫眼鏡で鍵穴を穴が閉じるほどに観察する。「なるほど、なるほど」を繰り返しながら。阿部君と明智君は、聞き耳を立てている風を出している。
虫眼鏡を丁寧にポケットに仕舞ってから、次に、鼻歌を歌いながら、リズムよくダイヤルを右に左に回す。阿部君と明智君は、なぜか耳を押さえて、ダイヤルの動きに合わせて楽しそうに首を振っている。二人が私に付き合ってくれたのは、ここまでだった。
意味は全くないが、私は金庫の大きさを、さも意味ありげに手で測り始める。と同時かその少し前で、二人は分かりやすく飽きた。きっとこの部屋に入った時から気にはなっていたのだろう。阿部君がマッサージチェアーに飛ぶように向かい、ひらりと座った。明智君は先を越されたと、悔しさを隠そうともしない。
「イテッ」
「ワン?」
「どうした、阿部君? マッサージチェアーに何か仕掛けでもあったのかい? お調子者のコソドロを成敗するような」
明智君はニヤついてくれたが、阿部君は私の目を見て威圧的に無視だ。そして私から目を離さず聞こえるか聞こえないかの声量で罵詈雑言を呟きながら、阿部君はマッサージチェアーに掛けられているブランケットの下に手を入れ、何かを掴んで取り出した。恐れ知らずの私は、震えながらも阿部君に話しかける。先手を打つことで、ビビってないとアピールしたかった。私はちっとも小さくないからな。
「あ、あ、あ、べ、くん。それが、そこに隠されていたのかい?」
「隠されていたのかどうかは分からないですけど。まったくもー。ケガしたらどうするんですか。こんな大きな石ころを、よりによって体を楽にするマッサージチェアーに置いとくなんて。これを使う人はよほど嫌われているんでしょうね。せっかくだから戻しておこうかな」
「いやいや、阿部君。それよりも、それって、盗まれたと言われている、『神のゲンコツ』じゃないのか? そんな大きなダイヤモンドなんて、そうそうないだろ。ガラスケースの中にも、そこまでのものはないし。この部屋にイミテーションを置いておくとも思えないしな。私の真贋判定でも本物だと言えるし」
私はなるべく遠目に見ることを心がけた。もし偽物だった時の言い訳を残すためだとは、誰も気づかないでおくれ。
「うーん。家主の『タナカラタロー』? に確認してもらいますか?」と言いながら、阿部君は『神のゲンコツ』で床をガンガンとした。実に分かりやすい確かめ方だ。私は驚かない。明智君は『神のゲンコツ』で殴られそうになったことで、驚いた。阿部君が意図的に明智君の近くの床にぶつけたのか、たまたま明智君がそこにいただけなのかは分からない。深く考えるのは、時間の無駄だ。
それよりも、状況を確認しないといけない。ぱっと見た感じは、阿部君も阿部君の手にある物も無傷だ。ついでに明智君も無傷だ。一安心だな。
あっ、一応。安心したのは、私の真贋判定の勘が当たったことではなく、もし割れていたら阿部君が手をケガしたかもしれなかったからだ。ちなみに、近くにいた明智君も。割れなかったからって、本物とは限らないが、一歩前進したと思う。阿部君と明智君も無傷なので、二人そろって有給休暇は取らないし、業務中のケガということで多額の治療費を請求しない。
ただ、田中太郎に確認してもらうのだけは、私は反対だ。私の真贋判定のメッキが剥がれてしまうからではない。私たち『ひまわり探偵社』が早々にお払い箱になってしまうからだ。せっかくの大物の屋敷を偵察できなくなってしまう。
それに、こっちの都合だけど、これが本物でないと、この物語が成立しなくなってしまう。
「……。阿部君、それはやめておこう。思い出しておくれ。私たちの本業を」
「本業? 本業、本業……。えっとー、自由人かな?」
「阿部君、ふざけている場合ではない」
本気で答えた可能性は高いが、くだらない説教はやめておく。情けは人の為ならずの気持ちを常に持ち続けておかないと、最後に泣くのは、なぜか私になるからだ。これも、口には出さないがな。うっかり言ってしまうと、それが、ゴーサインになってしまう。
「ふ、ふざけては……。嘘嘘、つまらない冗談でした。本業は……怪盗でしたっけ? ですよね? 怪盗と仕事がすぐに結びつかなかったので。そもそも怪盗って、仕事って言っていいのかな? 生き様とか、生き甲斐とか……」
「悔しいが、阿部君の言う通りだ。気づかせてくれてありがとう、阿部君。うん? 違う違う。私が言いたいのは、それを、今、田中太郎に見せてしまうと、せっかくの機会を逸してしまう。屋敷内の偵察のな」
「あー、そういうことですか。目の前にあるたくさんのお宝以外にも、他に何かあると? 現金の類ですね?」
「ま、まあ、そういうことだ。私って、……」
頭が良い事をはっきりと自慢しようとしたのに、阿部君が遮る。照れてしまい一瞬だけ口ごもってしまったのも失敗だった。あー、恥ずかしがり屋さんの私のバカー。
「リーダーって、ずる賢くて強欲ですよね。目の前にあるこのお宝だけでなく、根こそぎ頂く気だったとは。根っからの悪人と言って差し支えないですよ。ねえ、明智君?」
「ワッ? ワーン、ワワンワンワオンワオ……」
明智君は何と言ったのだろうか。世界中の珍しくて高級なドッグフードを欲した明智君は。まさか自分を殺して、阿部君に同調……しただろう。明智君め。世界を股にかけるドッグフードハンターの件を白紙に戻してやろうかな。いや、だめだ。私が痛い目にあってしまう。
うーん、私の恐ろしさを見せる時だな。私は、時には陰険にもなれるんだぞ。本意ではないが。
「嫌なら、今すぐに田中太郎に見せに行こうか?」
「いやー、今日のリーダーは、10年に一度あるかどうかの頭の冴え具合ですね。褒めてあげますよ」
嘘のつけなかった阿部君が、下手なりにお世辞を言ってくれたようだ。でもそんなお世辞なら言わない方がいいぞ、とは私は言わない。私の言い分が通っただけで十分だ。
それに、大怪盗の私は、そんな小さな事よりも常に大局を見ているのだ。くだらない怒りの感情で、この屋敷の偵察の機会を失ってなるものか。ただでさえ最近は全く怪盗活動をしてないっていうのに。
とりあえず明智君の尻尾をさり気なく踏んで、溜飲を下げておこう。
「ワオーッ!」
「どうした、明智君? 急にそんな大きな声を出して。誰かが来て、その『神のゲンコツ』を見られたらどうするんだ。ねえ、阿部君? 危険な『神のゲンコツ』は、私が預かっておくよ。阿部君に何かあったら、私は悲しいからな」
「はいっ! 明智君も、今は騒ぐところじゃないよ」
明智君は私がわざと踏んだことを、しっかり分かっている。だけど阿部君にたしなめられている手前、今すぐに仕返しはしてこない。せいぜい鋭い眼差しで私を睨むのが関の山だ。なので、私はしばらく明智君を見ない。そして、帰る頃には明智君はすっかり忘れている。思い出すこともない。へへっ。
「阿部君……あ、明智君も、とりあえず私たちは、この『神のゲンコツ』が盗まれている体で捜査をする。そして屋敷内を偵察してかつ盗難事件もそれらしく捜査したら、再びこのマッサージチェアーに隠しておこう。そのうち田中太郎が自身で見つけて、自分の勘違いだったとして終わるだろう。これだけの名高い宝石なんて、売るのも困難だし、所持していても不安しかないからな。そしてほとぼりが冷めた頃に、名もないお宝や現金を根こそぎ頂こう。脱税した現金がたっぷりあるはずだ。ド、ドッグフードもあればいいなー」
「はいっ!」「ワンッ!」
おおー。明智君、良い返事だ。尻尾を踏んだのは忘れてくれたな。予想外の早さだった。