太郎丸の日記
私は警察官への言い訳を考えるのに集中していた。無意識に大きな金庫の部屋から出ている。なぜか田中太郎の見張りを忘れていた。強度を信用していたと言えば、心張り棒は喜んでくれるだろうか。本当のところは、職務質問された時の言い訳を考えるので精一杯だったが。といっても、答えが出ないままに、彷徨うように歩いていた。脳の活性には動いている方が良いからな。
いつしか、太郎丸の部屋の前に来ていた。なぜ太郎丸の部屋かと分かったかと言えば、ドアに『太郎丸の部屋』と『門外不出』とでかでかと書かれていたからだ。おそらくだけど、『門外不出』は『立入禁止』と書くつもりだったのだろう。思考を巡らせていた私は、思考とは無縁のバカの部屋に突如興味を持つ。バカが少し羨ましかったのかもしれない。悩んで心が苦しいなんて、まずないからな、バカは。
バカに対して遠慮は意味がないので、私は躊躇なくドアに手をかける。バカのくせに鍵をかけてやがった。この瞬間、私は、風呂敷包みを背負っていても警察官に職務質問をされない方法を考えるのを、すっかり忘れた。もう太郎丸の部屋にしか興味がない。
ドアの鍵はシンプルな構造もあって、私は七つ道具で秒で開けた。張り合いがなさ過ぎて腹立たしいくらいだ。明日の太郎丸への取り調べは意味なくキレてやろうかな。もしくは、阿部君をけしかけるか。八つ当たりが決定して、さらに無断で部屋に踏み込まれるなんて、太郎丸はかわいそうだな。太郎丸に同情できるほど優しい私は、今度こそドアを開ける……。はずだったのに、太郎丸のくせにチェーンロックまでしてやがった。
えっ? 中に誰か……いる気配はない。どうやってかけたのだろうかと、狭い隙間から見える窓に目を移すと、全開だ。本当にバカのようだな。最低限、窓を閉めカーテンを引いておくものだろ。太郎丸と話していなかったなら、逆にこの部屋に得たいの知れない恐怖を感じだろう。だけど、私は太郎丸がバカだと知っている。バカのくせにくだらない小細工をするなんて。ウサギを狩る時でも全力を尽くすライオンのような私は、明日の太郎丸の取り調べは、両手に銃を握りながらやると心に誓った。銃は、リボルバーとショットガンだ。貸してくれる人に心当たりがあるから、まず間違いなく調達できる。
私は、明日の取り調べを計画することで、あっさり溜飲を下げるのに成功した。阿部君や明智君のようなへっぽこ探偵なら、ここで怒り狂い、ドアを八つ裂きにして中に入ったに違いない。バカの太郎丸のついでに阿部君と明智君の真っ直ぐな暴力を脳裏に描いた私は、なんだか楽しくなってしまった。アドレナリンも出ている。すると、私の名探偵のスイッチが突如入った。この部屋には重要な何かがある。それも、盗難事件に関するものだ。
私の怪力なら、チェーンなんてあっさり切れるだろう。だけど、誰かが侵入した痕跡を残してしまう。では、窓からの侵入ならどうだろうか。ちなみに、彷徨っている間に私は1階に来ている。だからこそ、太郎丸も窓から出られたのだ。ほんの少しの遠回りで、痕跡を残さずに、太郎丸が隠しているであろう秘密を探れる。と考えるのは、ド素人だ。
私のような名探偵は、あえて痕跡を残す。いったん外に出て窓の方に回るのがおっくうとかではない。太郎丸のようなバカで小心者には効果的なのだ。何か証拠になるような物があって、何者かが侵入したのが分かったなら、自分の犯した罪がバレるのが恐くて居ても立っても居られない。そんな時に、取り調べで私が恐怖の飛び道具を見せれば、しらを切ろうなんて考えない。むしろ、不安から解放してくれてありがとう、とまで言ってくるだろう。これで、明日の取り調べは飛躍的にはかどるのが決定だな。
私は手刀でチェーンをぶった切った。厳密に言えば、チェーンが固定されているネジ部分が壊れた。そのまま部屋に入ろうと、1歩進み、足をつく寸前に、何かを感じる。部屋の入口のすぐの所に敷いてある玄関マットサイズの薄っぺらいマットの中心部分が、気持ち膨らんでいるのだ。そっとめくると、ブーブークッションが……。こ、こいつ、くだらないトラップを仕掛けやがって。
なんとなく窓の方を見ると、同じ仕掛けが窓の下に違和感たっぷりに目を引いた。太郎丸を少しだけ見直してしまった。私は窓を選択していたとしても、どうやら餌食になる可能性があったようだな。いや、違う。窓から侵入していたなら、勇ましく床に飛び降りたから、避けるのは不可能だったはず。私のドアか窓かの選択は、大正解を導いたようだ。
トラップはこれで終わりだろうか。いや、そもそも、これは誰に対してのトラップなのだろうか。ブーブークッションが音を出したところで、侵入者を苛つかせるのが精々だ。そして、今日に関しては、侵入する可能性があるのは、田中太郎だけだ。我々怪盗団は例外だぞ。太郎丸の想像力では、怪盗なんて夢の世界の物語にも出てこない。
では、コソドロはどうだろうか。太郎丸と価値観が似ているので、コソドロの気持ちが痛いほどに分かるだろう。強引な考えかもしれないが、私のような大物から見れば、太郎丸とコソドロは同じグループに属している。なので、当たり前に太郎丸は、コソドロ心理を想像するだろう。コソドロレベルでは、これだけの大きな屋敷ははなから相手にしない。というか、相手が悪すぎる。太郎丸が考える、コソドロの思考だと、これだけの屋敷の防犯レベルは、良くて刑務所に寝泊まりで、悪ければあの世にまっしぐらだ。コソドロの気持ちは分かるが、一生巡り合わないと、太郎丸でも、いや、太郎丸だからこそ断言できる。はい、コソドロも消えた。
結論を言うと、太郎丸が侵入を想定しているのは、父親の田中太郎だけだ。そうか。分かったぞ。ブーブークッションというふざけたトラップで、逆にこの部屋には何も重要なものは置いてませんよと、言いたかったのだ。田中太郎の性格を良く知っている太郎丸ならではの作戦だな。
田中太郎は、他人はもちろん身内さえも信用しない奴だ。きっと太郎丸の部屋にも『神のゲンコツ』を探しに来る……いや、来たのだ。私と違って痕跡を残したくないから、チェーンロックを攻略せずに、窓から入った。と同時に「ブー」と聞こえ、バカらしくなったのだな。バカ息子のふざけた遊びに付き合ってられないと、ブーブークッションに再度空気を入れ、元あった通りにセットして窓から出た。
だけど、疑問が残る。なんでわざわざこんなトラップを作ったのだろうか。作ったのは、留置所代わりの病院に連れていかれる前の短い時間にだろう。着替えやらお泊り道具を取りに来た時だな。そんな時にこんな仕掛けを作っていたら、犯人ですと言っているようなものだぞ。まさか『神のゲンコツ』を隠し持っているのか? …………うそうそ。『神のゲンコツ』はマッサージチェアーの上にあって、今は小林が保管しているもんな。わ、忘れてなかったからな。本当に。
話を戻すから、ついてきておくれ。太郎丸が、見られたくない何かを隠しているのは確実だ。フッフッフッ、分かってしまった。スーパーコンピュータ並の私の頭脳に解明できない謎はないっ!
太郎丸は、我々怪盗団の今回の標的になってしまったあの大きくて頑丈な金庫の存在に、はるか前から気づいていたのだ。バカゆえに、何も考えずにボタンを押し、何も考えずに金庫の扉を引いたのだろう。すると、中に大金が。少しくらい取ってもバレないと、バカは当たり前に考える。そう、太郎丸は部屋のどこかに隠してある札束を、田中太郎に見られたくなかったのだ。
バイトなんてするわけがない太郎丸が大金を持っているのは不自然だ。万が一、小さい頃からのお小遣いやお年玉を貯めていたとしても、田中太郎は、太郎丸が金庫から盗んだと決めつけるだろう。太郎丸のような奴が健気に貯金してきたとは思えないので、実際に盗んだに決まっている。そして隠すとしたら、ベッドの下か学習机の中の唯一鍵のかかる引き出しの中というのが、バカの定番だな。
ヒヒヒ、ブルジョア丸よ、じゃなかった、太郎丸よ、バカ学生に大金は必要ない。せっかくだから、私も怪盗らしいミッションを味わいたい。お前が犠牲になれ。そして、お金の有り難みをしるんだ。身内から盗むなんて、ただのクズだ。バカにも劣る。
まず、私はベッドの下を覗き込んだ。うーん、何かわけのわからないガラクタで雑然としている。率直に言って汚い。うん、学習机の方から攻略しよう。引き出しの鍵は……かかっている。部屋のドアもそうだったが、鍵をしない体質は、どうやら全く遺伝しなかったようだな。だけど、所詮は学習机の引き出しの鍵だ。力づくでも開けられるだろう。でもまあ、世界中のチビっ子が憧れる大怪盗らしく、怪盗の七つ道具で開けてやるか。被害者に対する礼儀でもあるしな。
リアルに1秒で開けてしまった。張り合いがなさすぎると、モチベーションが上がらないものだな。これでは、だめだ。簡単すぎるからこそ、気を引き締めないと。初心に帰る時だ。びっくり箱のように得たいの知れないおもちゃが飛び出してくるのを無理やり想定して、私はそっとそっと少しずつ少しずつ引き出しを引っ張る。
引けるだけ引き出しを引っ張った。うん、何のトラップもない。まあ、怪盗の醍醐味を味わったのだから良しとしておこう。ただ、なかったのはトラップだけではなかった。絶対にあると信じていた、札束もないのだ。あるのは、日記帳だけだった。確かに日記帳なら鍵のかかった引き出しが定番かもな。はあー。
他人のプライバシーを覗く趣味は、私にはない。だけど、後で阿部君と明智君に聞かれるのが目に見えているのだ。二人を喜ばせてあげたい私は、泣く泣くページをめくった。
なになに、ふんふん……
(今日、Aにブルジョア丸と言われた。明日は無視してやる。もちろん『神のゲンコツ』を見せる候補から脱落だな。思い知れ。ついでに、おしっこを漏らしやがれ)
ブルジョア丸……太郎丸らしい内容だな。次の日に、Aは無視されたのだろうか。
(Aの奴が一方的に話しかけてきた。僕は『鉄鉱石』じゃなくて『鉄の石』でもなくて『鉄の意志』だったかな、で無視をし続けた。だけど、どうしても無視をできない案件を、Aは囁いてきた。なんと、Bが陰でブルジョア丸だと言ってるらしい。密告してくれたので、Aには『神のゲンコツ』を見せてやるか。無視も、明日には解禁してやろう。ついでに、Bへの仕返しをAに相談しようか)
太郎丸よ、数少ない友だちもどきを大事にしろよ。もどきでも、いないよりはマシだぞ。
(おやじが『神のゲンコツ』をなかなか貸してくれない。AやBはともかく、あの教授にだけは何としてでも見せないと。人の足元を見やがって。見せないなら単位をくれないなんて、最低野郎だ。ちょっとママに相談してみよう)
うーん、もう少し読み進めれば、事件解決に繋がりそうだけど……。私の名推理を発揮できなくなるかも。ということは、阿部君の推理ショーが開けなくなる。ここまで来て読まないのは意味がないか。
(もっと早くにママに相談しておけば良かった。明日は、この『神のゲンコツ』のおかげで、僕はヒーローだ。もうブルジョア丸だとは呼ばせない)
なるほど。盗った直接の犯人は、田中奈々のようだな。太郎丸も共犯だけど。
(いやー、最高の1日だった。ありがとう、『神のゲンコツ』。石ころ相手でもお礼を言える僕って、世界一の人間だ。1つ気になったのは、空耳だと信じてもいるけど、『ヒーロー丸!』とバカにするような感じで聞こえた。誰か分からないが。『ブルジョア丸』よりもたちが悪い。『神のゲンコツ』よ、犯人を教えておくれ。もう、だめか。Bがみんなの前で派手に転ぶのを叶えてくれたもんな。願いは一人一回だなんて、なんてケチくさいんだ)
た、太郎丸……。
(昨日はママに渡す機会がなかったから、今日は是が非でも渡そうとしたのに。タイミングがあわなかった。早く返さないと、親父に知られてしまうのに。明日こそは)
親子なのに、タイミングがないものなのだろうか。これだけ大きな屋敷だからか。太郎丸が残り少ない学生生活をエンジョイしてるからかも。いや、田中奈々も何らかの仕事を持っているのかもしれない。副社長かもしれないし。
(どうしてもママに返せなかったので、苦肉の策で、偶然見かけた料理長の五十嵐に預けた。仕事で会う機会があるのだから、僕よりはママに会える機会が多いはず。五十嵐が信用できるかどうかは別として、少なくとも親父には言わないだろう。どう見ても仲が良いとは言えないから)
えっ! 五十嵐も共犯になるのでは。
(『神のゲンコツ』がないと親父が騒いでいた。五十嵐かママが間に合わなかったようだ。警察を呼ぶとか言ってるけど、どうしよう。寝れば、すべてが解決してますように)
これが昨日の内容か。そして、今日、ひまわり探偵社がやって来て、マッサージチェアーの上で『神のゲンコツ』を見つけた。普通に考えたら、五十嵐がマッサージチェアーの上で『神のゲンコツ』を眺めていたら寝落ちだな。田中太郎も速攻で寝落ちしてたくらいだから、よほど気持ちのいいマッサージチェアーなのだろう。あー、田中太郎の監視を忘れてた。それに、みんなはもう帰っただろう。玄関に札束の入った風呂敷包みを残して。
田中太郎が異変に気づかないように、心張り棒だけでも外したい。いや、いいか。どうせ毎日、あの大きな金庫の中の札束を眺めているはずだ。明日には、盗まれたことに気づく。うん、さっさと退散だ。




