思わぬ障害、マリ先生
ごはんを食べ終えた私は、迷った。後片付けをするか、ミッションにはまだまだ時間があるが、早めに阿部君パパの車を取りにいくかで。よし、車を先にしよう。阿部君母娘が後片付けをしてくれるかもだなんて、これっぽっちも期待していない。どうせ後片付けをするなら、阿部君母娘がいない時の方が、気持ちよくできると判断したのだ。それに、買ってからまだそんなに間がないので、まずないと思うが、阿部君パパの車の調子が悪くならないとも限らない。なにせ阿部君パパの運転は車にはスパルタだからな。時間的余裕があれば、それなりの対処ができるというものだ。
「ちょっと早いけど、阿部君パパの車を取ってくるよ。阿部君阿部君ママ、後片付けはしなくていいからね。ミッションが終わってから、私がするつもりだから。明智君、トラゾウ、一緒に行くかい?」
「はーい」「はーい」「ワーン」「ガーン」
明智君は変装の必要はないが、トラゾウは念の為に犬用の覆面と服で着飾って、私たちは阿部君の家に向かった。時間的余裕があるので、少し遠回りをする。トラゾウのためというよりは、私が普通にトラゾウと歩きたいと思っただけだ。
しばらくは、のんびりと散歩を楽しんでいた。すると突然、明智君が猛ダッシュをしたのだ。目指す先には、誰かがいるようだ。もしや、指名手配犯を見つけて、明智君警視の正義感を抑えきれなくなったのだろうか。と、ありえない想像をした私が自分自身を恥じてすぐに、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あけちくーん、久しぶり。今日はわざわざ病院まで来てくれたのに、会えなくて悲しかったんだよ。どうしても手が離せない手術を受け持ってたの」
「ワンオンワワンワン、ワオンー」
おそらくだけど、「気にすることないぜ、ベイビー」と明智君は言ったのだろう。声の主は、マリ先生だったから。遠回りの散歩が悪い方に出たようだ。このままほっておくと、ミッションに間に合わなくなるし、マリ先生も疲れているのに帰れなくなってしまう。明智君と遊んでいると、時間が経つのを忘れるのだ。私とトラゾウは、やれやれという感じを大げさに表しながら、明智君とマリ先生に近づいていった。トラゾウがやれやれ感を出してくれたのは、私が涙まじりにお願いしたからだ。
「オホンッ……。こんばんは、マリ先生、仕事帰りですか?」
「……」
「トラゾウ、頼む」
「ガオンガオガオガオガオン」
「あらー、トラゾウも一緒だったの? 二人であのバカリーダーから逃げてきたんだ? 分かるわー。ごはんは食べたの? うちは動物禁止なんだけど……。まあ、いざとなれば、大家を脅せばいいか。だけど、ずっとってわけにはいかないから、明智君も、うちの病院でセラピードッグだね」
「ワンッ!」
「おいおい、明智君、世界を股にかけるドッグフードハンターはいいのかい?」
「ワー、ワオンワン」
「あれ? バカリー……リーダーもいたんだ。明智君とトラゾウに謝りに来たの?」
「私は、明智君にもトラゾウにも逃げられていません。仲良く散歩していただけです。明智君、トラゾウ、マリ先生にサヨナラを言いなさい。マリ先生は仕事で疲れているし、私たちはこれから大事な仕事があるのだから」
「ワー……イ……」「ガーオ」
「え? これから、仕事? それはかわいそうじゃない。明智君警視は朝から捜査の陣頭指揮をとって疲れているだろうし、トラゾウのセラピータイガーだって、気を使うから見えない疲労があるのよ。どうしても必要な捜査があるなら、どうせうたた寝していたリーダー巡査がやりなさいよ」
「い、いや、それは……」
「なによー。明智君とトラゾウがいないと、できないって言うの? まあ、確かに、リーダー一人では、できないわね」
「いや、一応、阿部君と阿部君ママも……。それに、私はうたた寝なんか……」
「えっ、ひまわりとひまわりママも。ふーん……。よほど大がかりな捜査をするのかしら。仕方がないから、私も手伝ってあげるわ。医師の目が、何か捜査に役立つかもよ」
「いやいやいや。マリ先生は大変疲れてらっしゃる。なあ、明智君?」
「ワッ? ワンワワンワンワオンオンワワ」
「ほらっ、明智君も賛成してるじゃない」
「えっ、マリ先生も犬語が?」
「全然分からないわよ。でも、明智君なら、そう言ったに違いないでしょ」
本当なのか。うーん、明智君ならありえるか。だけど、この後の仕事は、探偵ではなく怪盗なんだぞ。マリ先生なんて連れていけるわけないじゃないか。どうしようどうしよう。助けておくれ、トラゾウ。と、一縷の望みを抱きながらトラゾウを見た。
「ガオンガオ」
「ほらー、トラゾウも私に来てほしいみたいよ」
う、嘘だろ。だけど、私は、明智君もトラゾウも正確に何と言ったか分からない。分かったところで、マリ先生に伝えても、マリ先生は信用してくれないだろうけど。よし、ここは得意技の一つを出そう。そう、丸投げだ。阿部君ならマリ先生と仲も良いし、なにより動物と話せるのは周知の事実だ。でも、最後に一つ、悪あがきをしておくか。阿部君に対しての言い訳作りを兼ねて。
「マリ先生、明日は休みですか?」
「うん。明日はズル休みするわ」
「……」「……」「……」
私たち4人は、阿部君パパの車を取りに行って、とんぼ返りで我が家兼アジトに帰ってきた。阿部君と阿部君ママはわざわざ出迎えないし、もちろん料理の後片付けはしていなかった。だけど、真剣に何かを話し合っている。そのせいか、私に対しては当たり前だけど、明智君とトラゾウに対しても「おかえり」と言わない。見もしない。なので、マリ先生にも気づかない。
私が、マリ先生が来てしまったのを説明しようかどうか悩んでいると、マリ先生自ら挨拶してくれた。全く想定していなかったようで、驚きを隠そうともせず、阿部君と阿部君ママがこちらに目を向ける。右目でマリ先生に笑いかけ、左目で私を殺すと言っていた。マリ先生がいなかったなら、私は本気で殺されていたのかもしれない。マリ先生がいてくれて良かった……違う違う、原因はマリ先生だ。
とりあえず命拾いしたのは事実なので、後は予定通りに阿部君に丸投げするとしよう。ミッション開始までは、まだ時間はある。
阿部君は、阿部君ママに目配せをしてから、私を表に連れ出した。阿部君ママにマリ先生の相手をしてもらっている間に、私に事情聴取するためだ。まさか私を庭に埋めるためではないと祈ろう。万が一埋められても、明智君の鼻なら見つけてくれるだろうけど、埋められないに越したことはないからな。
「なんで、マリ先生がいるんですか?」
「偶然会ったんだ。それで、話の流れで、私たちの仕事をどうしても手伝いたいと。主に明智君とトラゾウのためにだけどな。もちろん、私たちが何らかの捜査をすると信じている。私が断ろうとしても、全くきいてくれないのは、阿部君も知っているだろ?」
「た、確かに……。でも、マリ先生がいたら、何も盗めないじゃないですか。探偵だと信じてもらうために、捜査の真似事をするにしても、深夜なので、あの意地悪タナカラタローが文句を言うでしょうね。何より、あの屋敷がここまで手薄になるのは今日くらいなんだから、意地でもミッションを決行しないと。リーダー、睡眠薬を持ってますか?」
「いや、今まで一度も使ったことはない」
「何の悩みもないリーダーなら、当たり前ですよね」
「阿部君は使ったことがあるのかい?」
「誰かいないかなー。ああ、そうだ、真面目巡査部長改め小林なら、持ってるに決まってます。あれだけ浮き沈みがあったんだから、眠れない夜を散々過ごしたことでしょう」
「そうだろうな。それで、阿部君は睡眠薬を……いや、いい。だけど、睡眠薬なんて……。まさか?」
「はい、そのまさかです。マリ先生が寝ている間にミッションを終わらせます。それしかないでしょ。そして素知らぬ顔をして、みんなで朝を迎えましょう」
「うーん……。だけど、翌朝、マリ先生に何て言うんだい?」
「明智君とトラゾウが眠たそうだったので、やめました、でいいんじゃないですか。最もな理由だと思いますけど。リーダーが眠そうに、と言ったところで、『リーダーなしでも捜査はできるじゃない』と普通に疑われますからね」
認めるのは悔しいが、緊急事態だから妥協してやる。マリ先生を連れてきてしまったのは、不可抗力とはいえ私の責任でもあるし。何より、ひまわり探偵社と怪盗団の二足のわらじを継続するためには、この阿部君の案しかないのだろう。とてもじゃないが、ひまわり探偵社だけでは、私と明智君は路頭に迷ってしまうので、今回は阿部君を立ててやるか。
「捜査前にお酒とか勧めるのはあれだから、睡眠薬はコーヒーにでも入れようか? カフェインよりも睡眠薬の方が強いだろうし、水だと味気ないだろ?」
「何言ってるんですか。勘違いでもせっかく来てくれたんですよ。仕事で疲れているだろうに。晩ごはんだってまだ食べてないはずなんだから、睡眠薬は料理に混ぜます。まだ時間はあるんだから、リーダー、作れるでしょ? 私たちも小腹が減ってきましたし」
「こ、小腹がって……。さっき食べたばっかりじゃ……。せっかく作るんだから、美味しく食べてくれよ」
「言われなくても、お腹ペコペコなので」
「えっ? 小腹がって言ったじゃないか」
「ああー、それは謙遜です。ママと真剣に話してたから、思いの外体力を使ったみたいですね」
「そう言えば、私たちが帰ってきたのに気づかないくらいに何か真剣に話していたね。やっぱり緻密な作戦を練るために私の助言を得ようと、二人でどうやって頼むかかい?」
「はあ? こんな時に程度の低い冗談を言わないでください。そんな暇があるなら、さっさと料理を。明智君とトラゾウはマリ先生と遊ばないといけないから、今度は横着しないで、すべて一人でやるんですよ」
なるほど。阿部君と阿部君ママは、それでも手伝ってくれないんだな。まあいい。慣れている。ただ、一つ気になることが。
「じゃあ、阿部君と阿部君ママは何を真剣に話しあっていたんだい?」
「決まってるじゃないですか。コードネームですよ。ママのはもちろんだけど、トラゾウだってリーダーのお下がりの『ブルー』をもらうなら、リーダーのを改めて考えないといけないのかなと。でも、リーダーは『リーダー』でいいような気もするんですよね。なんか考えるのもめんどくさいし。いいでしょ? リーダーのコードネームは『リーダー』で?」
「ああ……。ごねたところでだろ?」
はっきり言って、私はコードネームなんてどうでもいいのだ。大事なのはミッションそのものだからな。それに、なんだかんだで、コードネームで呼び合う機会なんて、今まではほとんどなかったのだ。おそらく、これからも変わらない。阿部君はコードネームを考えている自分に酔ってるだけなのだろう。形から入るタイプだからな。
「分かってるじゃないですか」
「ああ。長い付き合いだからな。それで、阿部君ママのコードネームは決まったのかい?」
「はい。発表してあげますけど、リーダーのことだから忘れてるでしょ? みんなのコードネームを。なので、全員のを改めて教えてあげますね。まずは、私が『レッド』で、明智君が『イエロー』です。トラゾウは悪徳政治家の件では臨時だったので、当時の『ブルー』であるリーダーのは借りましたけど、今回からは正式に『ブルー』です。そして、ママは自分が用意していたコスチュームが黒だったので『ブラック』にしました。ママはなんか『スターダストエキゾチック……なんたらブラック』にしたいとか言ってたんですけど、そんな長いのをミッション中に呼んでられないじゃないですか。それで、何度も何度も協議を重ねて少しづつ削っていって、『ブラック』にしました」
ほとんど呼ぶことはないだろうけど、覚えておくか。うっかり忘れてしまうと、報酬の配分を変える理由に使われてしまうからな。あれ? 正式な団員になったのなら、トラゾウにも報酬を渡さないといけないぞぞ。無欲なトラゾウは欲しがるのだろうか。欲する欲しないは別として、我々怪盗団は平等がモットーだから、きちんと分けよう。
「『ブラック』だな。覚えておこう。じゃあ、私は料理を作るが、完成までに睡眠薬を取ってこれそうかい?」
「まさか」
「えっ! 時間稼ぎのために、ゆっくり作れと? できなくもないが、限界があるぞ。ミッションに差し支えるからな」
「何言ってるんですか。睡眠薬は、小林に持ってこさせるに決まってるじゃないですか。なので、リーダーはさっさと料理に取り掛かってください」
「ああ、そうだったな。さっそく取り掛かるよ」
私がダイニングルームを通ると、マリ先生は明智君とトラゾウを撫でながら、阿部君ママと何か話していた。阿部君ママの話が面白いのか、聞き入っている。それでも、眠そうなのは明らかだ。よほど今日は疲れているのだろう。睡眠薬に頼らなくても、お腹がいっぱいになれば眠ってくれそうな気がする。だけど、確実性と継続性が必要なので、睡眠薬があれば安心だ。
と結論づけたところで、呼び鈴が鳴った。こ、小林、早すぎないか。いくら恩人である阿部君の頼みというか命令とはいえ。それに、小林が病院を抜け出して来たということは、警部補君一人で容疑者たちを見張っているということだ。あいつが真面目に見張っているわけがない。まして残業だ。昼間さんざん寝たようだけど、またうたた寝をしているはず。でもまあ、容疑者たちも逃げるリスクは冒さないか。小林だって計算ずくだろう。それにしても、病院から自宅に寄って……いや、病院で睡眠薬を失敬して……。小林のために考えるのはよそう。睡眠薬が来た、それでいいじゃないか。私は料理を作るだけだ。睡眠薬を飲ませるためとはいえ、適当なのは作りたくない。マリ先生、楽しみにしておいておくれ。




