遅くはなったが、五十嵐を取り調べてやる
小林が警視長に電話してから、私たちが田中太郎の屋敷の庭に出てすぐに、ヘリの音が聞こえてきた。と思ったら、まるで音速で飛ばしてきたかのように、上空に現れる。幸い屋敷の庭は広いので、警視長は迷わず急降下で着陸した。なんと、私が手を伸ばせば届くほどの至近距離に。阿部君と明智君が私を盾にしていなかったとしても、私は動かなかったに違いない。警視長を信頼しているからな。
だけど、警視長、そういうぎりぎりを攻める悪い癖は改めた方がいいぞ。警視長は自信があってやっていることでも、やられる方にしたら……。まあ、私はチビり慣れているとだけ言っておくか。ヘリの音がうるさいので、警視長を叱り飛ばせないのが残念だ。
私を先頭に、阿部君、明智君、五十嵐さんがヘリの後部座席に乗り込むと、なぜか副操縦士らしき人も後部座席に乗ってきた。手には小さめのヘルメットを持っている。言うまでもなく、明智君用だ。副操縦士は明智君に何か言ってヘルメットを被せる。明智君は私に一瞥をくれた後、一旦降りて、副操縦士席に陣取った。
明智君の一瞥の意味は、どうだ羨ましいだろーではなく、ただの念押しだ。五十嵐さんに特注のドッグフードを作ってもらうか、田中太郎の高級ホテルでしか味わえないドッグフードを特別に提供してもらえるようにしろと。本当はヘリを待っている間にゆっくり口説き落としたかったのに、警視長が早すぎたのだ。きっとヘリに乗って待機していたに違いない。仕事をサボって。どうせサボるなら、この事件の捜査段階から一緒にいればいいのに。忙しいアピールをしたかったのだろうか。したかったのだ。
警視長のことはいいとして、私は何が何でもドッグフードを提供してもらわなければならない。なので、さっそく説得を試みる。不思議なことに、扉が閉まったヘリの中は普通に会話ができるくらいに静かだった。わざわざ無線付きのヘルメットを装着する煩わしさがなくて、本当に良かったと思う。五十嵐さんにはできるだけ快適な気分でいて欲しいからな。でないと、上手くいくことでもいかなくなりかねない。
さあ、焦らず丁寧にお願いするとしよう。明智君のためにも私自身のためにも。ヘリが病院まで直行するなら、私に用意された時間は少ない。だけど、警視長が明智君のために遊覧飛行をするのが確実なので、時間は十分にあるのだ。うん? 私は閃いてしまった。それは、上手なお願い方法ではない。全く別の事だ。我々怪盗団に、ヘリコプターを導入すれば、さらに怪盗団らしくなるのでは、だ。
作戦に幅ができ神出鬼没を絵に描いたような怪盗生活は楽しいだろうな。最新のテクノロジーを総動員された、すごく静かなヘリがあればいいが。うるさいヘリしかないなら、適材適所で使えばいいか。購入資金は、田中太郎のへそくりで間に合うだろう。操縦は、阿部君パパだな。喜んでやるはず。お金を出してでもやりたい……とは言わないが、無償でやってくれるかもしれないな。
気分が高揚してきたところで、五十嵐さんにドッグフードをお願いしてみよう。上手くいく自信しかないな。私の役に立てて嬉しいと、涙を流してドッグフードを味見している五十嵐さんが目に浮かんだ。
「五十嵐さん、しばし事件の事は忘れてくださいね。どうせ五十嵐さんには関係がないかなー、へへ。ところで、田中太郎氏のホテルでは、セレブが連れてくるセレブ犬のためのドッグフードってあるのですか?」
「はあ? そういう物はありません。基本的には、ペットの同伴は禁止されているので」
「そ、そうですよねー。とはいえ、セレブってわがままでしょ?」
「はい。なので、ペットを同伴できる、料金が特別高い部屋はないこともないです」
「そう、それです。そこで提供される幻のドッグフードを……」
「そんなものはありません。ペットも人間も同じ食べ物を用意するので」
「そうですか……。でも、そのわがままセレブが、どうしてもドッグフードを提供して欲しいと言った場合はどうするのですか?」
「どうすると言われても。過去になかったので、検討する価値もないですね。でも、まあ、しいて答えを出すなら、市販のそこそこ高いいくつかのドッグフードを適当にブレンドしますかね。仕上げに金箔でもまぶしておけば、完璧でしょ」
「うーん……。でも、でもですよ、愛犬想いの素敵なセレブさんが涙ながらに、特別のドッグフードを作って欲しいと懇願されているなら、さすがに作っていただけますよね?」
「えっ! 私がですか? 料理長で天才料理人の、この私が、犬のためにドッグフードを?」
なんだかワンちゃんを見下しているように感じたのは、私だけなのだろうか。こんな奴は、美味しいドッグフードはおろか、まともな料理すらできるはずがない。
「今のは忘れてください。ただの冗談です……」
私は握りこぶしを作ったが、こみ上げてくる怒りのやり場がないことくらいは分かっていた。だけど……。向かい合わせで私の正面に座っていた阿部君を、なんとはなしに見ると目が合う。阿部君は気持ちは分かるとばかりに、真顔で頷いてくれた。私の握りこぶしは、ゆっくりとほぐれていった。
明智君には、言いそびれたと言い訳しよう。すごく落ち込むか、私をボコボコにするのだろう。ヘリの遊覧飛行で、かつてないご機嫌さんになっていると期待するか。頼んだぞ、警視長。
間が持たないし、ささやかな嫌がらせも兼ねて、五十嵐の取り調べでもするか。さっきは、私のうっかりで取り調べを免除してしまったからな。さらに、ドッグフード欲しさも手伝って、数少ない情報を駆使して容疑者から外してしまった。だけど、田中奈々といい仲なら、やはり話だけでも聞いておかないといけない。
「五十嵐……さんは『神のゲンコツ』がどこに保管されていたか知ってましたか?」
「『神のゲンコツ』? 何ですか、それ?」
えっ! うそ? 嘘だろ。腹黒い奴だからって、決めつけは良くない。捜査も間違った方向に進むかもしれないし。うん、腹黒く最低野郎の腰ぎんちゃくの全ワンちゃんの敵だからって……。こんな奴だからこそ、田中太郎のような嫌な奴は、見せびらかさなかったかもしれないし。
「田中太郎氏所有の宝石で、今回盗まれたのです」
「そうなんですか。それで、こうやって警察沙汰になってたんですね。あいにく私は宝石になんて絶対に全く興味がないので。食べられるなら別ですねどね。よく言うじゃないですか。海のダイヤモンドとか山の金銀財宝とか。その『神のゲンコツ』やらは、そういうものではないんですよね?」
「そうですね。本物のダイヤモンドで、食べられないです。では、保管場所はおろか、田中太郎氏が所有していたことも知らないのですね?」
「そうなりますね。私が料理以外に興味がないのは、社長も知ってらっしゃるので。それに、わざわざ従業員に見せるようなものではないと思いますよ」
でも、田中太郎がわざわざ容疑者に入れたのは、それなりの理由があるはずだ。まさかたまたま視界に入ったからではない……とは思うのだけれど。もしくは、本当に田中太郎の自作自演だとして、陥れるのに最適なのが五十嵐だからなのだろうか。ということは、田中奈々と五十嵐の仲に気づいていることになる。もう少し情報が必要だな。田中太郎は今夜まで放置だから、今は五十嵐に集中しよう。
「なるほど。そうですか。ということは、物置きと呼ばれている、貴重品がたくさん置いてある部屋の存在も知らないのですね?」
「あなたが言っているのが、ガラスケースに飾られている宝石とかをマッサージチェアーで癒やされながら眺める部屋のことなら、知ってますよ」
「えっ、なぜ?」
「料理長なんて、さほど忙しくないので、よく雑用をやらされて……進んで手伝うのが好きなんです。本当に。それで、債務者からぶんどった借金のかたを、あの物置きに私が運んだんです。進んでですよ。それで、ガラスケースとマッサージチェアーを見た時に、気を利かせてああいう感じにしたんです。私独自のアイデアですけど、なかなか斬新でしょ」
「そうですねえ。では、その部屋の壁に金庫が設置されているのも、もちろんご存知ですよね?」
「いえ、知らないです。見たことも聞いたこともありません」
「そうなんですか……。まあいいでしょう。金庫があるんですけど、その中に、今回盗まれた『神のゲンコツ』が保管されていたんです」
「えっええー。そうなんですかー?」
お、おい……。わざとらしいぞ。太郎丸にしてもそうだったが、素直に知っていたと言った方が疑われないと分からないのだろうか。バカなのか。バカなのだ。しかし、疑問が一つ。どうしたらこんなにバカになるのだろうか。五十嵐の場合は、料理ばかりやってきた料理バカだというので、説明がつくかも。いや、それだと、料理を生業にしている人たちに失礼か。バカバカしいバカ問答をしてないで、五十嵐が嘘をついているのは確実だから、もう少し聞いてみよう。
「物を運んだりする雑用以外は、あの部屋に入ったことはないんですか? 例えば、サボっているのを見られないように、あの部屋に隠れるとか。もしくは、新しい料理を考えために、あの静かな部屋で集中するとか。はたまた、興味はなくとも、マッサージチェアーに座って宝石類を……」
「ありません」
食い気味に即答されてしまった。あえて冗談ぽく言って和ませてやったのに。五十嵐は、人の好意を平気で踏みにじるやつだと、田中奈々に密告確定だな。そうそう、田中奈々に関することも聞いておかないと。
「少しプライベートに関する事を聞かせてください。秘密は絶対に守るので。田中奈々さんとお付き合いされているのですか?」
「……」
いい大人が取り調べを露骨に無視するんじゃねえー。せめて黙秘しますとか言え、バカヤロー。まあいい。「イエス」と言っているようなものだし。田中奈々の離婚が成立するまでは、どうせこの事に関しては何も言わないだろう。下手したら、田中太郎に慰謝料を請求されるからな。
ただ、五十嵐の取り調べをした結果、難しくなってきた。なのに、危うく取り調べを免除しそうになるとは。阿部君と明智君は物忘れが酷いから大丈夫だけど、小林は私のうっかりミスに気づくかもしれない。ああ、大丈夫か。たっぷりと恩を売っておいたからな。しばらくは、情けは人のためではないを、座右の銘にしよう。もう少しで病院に着くようだから、一休みだ。助かったな、五十嵐。あと3分もあれば、犯人かどうかはともかく、自白していただろうから。そういう意味では、私も助かったのだろう。何らかの偶然が重なり五十嵐が無実の確固たる証拠が見つかったら、私が叩かれるからな。




