ホテル王の宝石が消えた
「真面目巡査部長、元気ですか?」
給料据え置き警部ではなく、先に真面目巡査部長に挨拶をした。理由は多々あるので、いちいち説明しない。いや、一つだけ。名ばかりの警部よりも、真面目巡査部長の方が圧倒的に役に立つからだ。なんと、真面目巡査部長は実はエリートで、若くして警視にまで昇進していたのだけれど、不運があって、今の立場にいるのだ。
「はいっ! なので、何でも言ってください。喜んで協力させていただきます」
それに、このように気持ちよく接してくれる。元警視のプライドがあるだろうに。その上、前回の事件でうっかり明智君の命を奪いそうになったり、阿部君の温情もあったりで、一生かけても返せないほどの借りがある。なので、私たちに心から協力してくれるだろう。
給料据え置き警部が、奇跡の出世をできたのも、私たちのおかげだ。しかし、全く私たちに感謝していない。そういう奴なのだ。だから、ささやかな抵抗として、巡査部長の時からの給料を据え置きにしてくれるように、私は警視長にお願いした。警視長は即答だった。言うまでもなく、定年までだ。警察官としての能力は皆無なので、当然の結果だろう。
ただ、こいつがこの現場の責任者なので、一応挨拶はしておく。
「給料据え置き警部、警視長に言われてやってきました。微力ながら、協力させてください」
私は控えめな人間なので、謙遜で入る。心とは裏腹だけど、大人だからな。
「いいですよ。私は他の警察官と違って、下らないプライドなんてないので。そうは言っても、本官だけでも解決はできますけどね。だけど、皆さんに解決してもらわないと、警視長が悲しむと思うんです。本官がいつでも的確なアドバイスをするので……」
私は立場上何も言えないし、阿部君は相手にして時間を無駄にするのを嫌ったので、明智君が「ワンッ!」と一喝した。すると、給料据え置きは口をつぐんでくれた。ありがとう、明智君。
私が立場上と言ったのは、捜査を潤滑にしたいとかそういうものではない。先ほども言ったが、再度言っておくか。給料据え置き警部は、私が交番勤務の警察官だった当時の、直属の上司だったのだ。私よりも年下だけど。ただ先に警察官になっただけが理由だな。
まあそういうのは、どこの世界でもあるので、別段気にならなかった。だけど、こいつが出世しないので、私が割りを食って私まで出世できなかったのだ。別に恨んではいないが。出世したらしたで、面倒な仕事も増えたかもしれないし、怪盗になる勇気も湧かなかったかもしれない。
私が言いたいのは、こいつに事件を解決するのは不可能だ、ということだけだ。
これ以上、こいつの事や私との関係性を話して、時間を無駄にしていられない。阿部君に説教されるからだ。なので進めよう。
「給料据え置き警部(あえてフルネームで呼んで、ささやかな憂さ晴らしをしているだなんて、誰も気づかないでおくれ)、さっそく事件の内容を聞かせてもらえますか?」
「はいっ! 事件といっても、ごくごくありきたりの小さな事件なんです。なので、本官でも……」
「ワンッ!」ナイス、明智君。
「失礼しました。昨日のことなんですけど、この屋敷から、たいそう高価な宝石が盗まれたんです。ひとの物を盗むなんて、人でなしもいいところですよ。バカですよ、バカっ。イテッ」
明智君がとうとう給料据え置き警部の足を噛んだ。いいぞ、明智君。ちなみに、無駄話に逸れたからではなく、怪盗をバカと言ったからだ。給料据え置き警部は話を逸らせてしまったから、噛まれたと認識しているだろうが。なので、促されずとも、すぐさま話を続ける。
「たびたび失礼しました。この屋敷の主は、日本のホテル王と呼ばれている、あの田中太郎氏なんです。知ってますよね? 知らなくてもいいので、続けますね。その田中太郎氏が所有している世界的にも有名で『神のゲンコツ』と名付けられているダイヤモンドが盗まれたんですよ。なんと、100万カラットもあるるんですよ」
明智君は睨むだけだった。この御に及んでも、くだらない関西風ジョークをかましてくるなんて、こいつはなかなかの太い神経の持ち主だな。警察官時代に、勤務と称して、一緒に堂々とサボっていた事を思い出してしまったじゃないか。何度か管轄の署長に怒られたが、一切反省してなかったもんな。始末書だって、私に書かせて自分は一服していたし。だけどあんまり嫌な感じはないんだよな。むしろ、楽しい思い出になっているから、不思議なもんだ。
私が懐かしんでいるのに、こいつは知らぬ顔で続けようとしている。思い出を口に出していたわけではないから、当たり前か。逆にこいつの方からあの頃の話を、阿部君の前でされると、私の立場がますます危うくなるから、それでいいがな。まあ、思い出話をしたくても、明智君に睨まれているから難しいだろう。
交番には明智君も一緒に連れていっていたから、明智君も一緒に思い出話をしたいだろうけど、明智君も阿部君に聞かれたくないのかもしれない。明智君は、たまにとんでもない失態を犯すからな。なにせ交番に明智君を連れてきているのを知っているのは、私と給料据え置き警部だけだったから。ということは、たまに部外者や上司なんかが突然来たら、明智君は速攻で隠れないといけない。冷蔵庫に隠れた時は……。
私が話を逸らせている場合ではない。明智君ではなく阿部君の鉄拳制裁が飛んできかねない。実際には、明智君のひと睨みで、給料据え置き警部は話を続けた。なので、誰も私に危害を加えることはなかった。それはそうだ。何度も言うが、別に口には出していないからな。
「失礼しました。少し和んでもらおうと……。100万ではなく100カラットです。その『神のゲンコツ』の保管されていた部屋の鍵は一つしか存在せず、そしてそれは田中太郎氏が肌身離さずにずっと持っています。その部屋の中には、たくさんの高価な貴金属や宝石が強化ガラスケースの中に、これでもかと飾られていますが、『神のゲンコツ』だけは厳重な金庫にしまわれていました。その金庫の開け方を知っているのは、もちろん田中氏だけです」
「へえー! その部屋には、そんなにたくさんのお宝があるの?」
「はい。『神のゲンコツ』ほどではないにしても、本官の給料10年分くらいのがザックザクと」
まずい。阿部君の怪盗モードにスイッチが入ってしまった。言うまでもなく、明智君も。
今、田中氏のお宝がなくなったら、簡単に私たちが容疑者になってしまう。さらに、『神のゲンコツ』を盗んだ犯人にもされるのが、必然だ。
いや、その前に、我々怪盗団は善良な人からは盗まないと決めている。気づいておくれ、阿部君。と、私が心の声で訴えかけていると、阿部君が質問を続ける。
「これだけの屋敷に住んでいて、それだけのお宝を持っているホテル王となれば、それなりに敵が多いのでしょうね?」
おおー。私の心の声が届いた……わけがない。我々怪盗団の最低限のポリシーを捨てないでいてくれたようだな。私の教育の賜物だろう。ここは褒めて伸ばしたいところだけど、話の腰を折ってしまうと、私の腰を折られかねないから、静観する。
「そうなんですよ。あんまり大きな声では言えませんが、そうとう悪どい取り引きや商売をしているという……噂ですけどね。だから、警察もこの事件の捜査に後ろ向きなんです」
おいおい。捜査責任者のお前が言っていいのか? こいつらしいか。今はこいつのことなんて、どうでもいい。それよりも、田中太郎は悪人と判定していいのでは。
あ、阿部君、完全にニヤけているぞ。気持ちは分かるが、まずは宝石盗難事件の事だけを考えておくれ。明智君もだからな。私は二人と違って、心でニヤけているだけだ。なので、話を本筋に戻す。
「とりあえず、現場に案内してもらえますか?」
「はい、かしこまりやがります」
敬語を知らないなら、無理に使うな、バカ警部。いちいち言わないが。ただ、私と阿部君と明智君の無言の圧力で、給料据え置き警部は、逃げるように急いで現場に向かってくれた。その逃げ足すら遅いと感じながら、阿部君と明智君は、私を押しのけ給料据え置き警部に追随する。私は、二人に踏まれなくて良かったと、安心するだけだ。間違っても呼び止めない。
阿部君は、少しでも早くお宝を見たくて仕方がないようだ。100となんて無謀なことは言わないので、ほんの1でいいから、宝石盗難事件の事も頭に入れておいてくれたらいいが。まがりなりにも、我々の社名は、阿部君の名前から取った、『ひまわり探偵社』なのだから。
明智君は、その部屋に世にも珍しい世界中の高級ドッグフードがありますようにと、ありえない願望で向かっている。以前に、金持ちの政治家宅から、限定発売の高級ドッグフードを見つけたから、味をしめたのだ。明智君の考えでは、金持ちイコール幻のドッグフードを隠し持っているとなったのだろう。私には、すべてお見通しだ。そして、現場の部屋にドッグフードなんて隠してないのも、お見通しだ。
それでも、明智君以上に、ドッグフードがありますようにと願っている。明智君のためではなく、私自身のためだ。説明はしない。分かる人には分かるだろう。
いや、説明しておくか。私は世界を股にかけるドッグフードハンターに鞍替えなんて嫌だからだ。
私はここに何をしに来たのだろうか。ああ、そうそう、捜査だったな。今回は解決できないかもなと、自信が喪失したところで、現場の部屋に着いてしまった。そこでは、なぜか自慢げな給料据え置き警部と目を爛々と輝かせている阿部君と10歳ほど老けたような明智君が、私を待ってくれていた。一番目を引いたのは、様変わりした明智君だったが。
あ、明智君……。根拠もないのに期待をするからだぞ。仕方がない。明智君も同行するなら、ドッグフードハンターも兼務してやるか。世界に進出する良いきっかけになるかもしれないしな。あくまでも怪盗活動のついでだぞ。
明智君に耳打ちしてあげると、10歳老けた状態から12歳若返ってくれた。
全員がご機嫌さんになったところで、さあ、気持ちよく捜査しよう。