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八、推しの頭の中はピンク色

「ねえ君って家で一体何してるの?」


 朝一もはや定番となりつつあるが、推桐葵が教室に入り自分の席へ荷物を置くや否やこちらに来て話しかけてくる。

 いや全く定番ではないし、俺にとっては至極幸運なことがここ最近毎日続いているだけでこれを当たり前だなんて思うことは絶対にないのだが。

 そういう彼女の一言目は大体がこういった質問だ。


 家で何をしているか……。

 今までしっかりと考えたことがなかったが、家に帰ったらまず今日の一日の行動を振り返る。最近は推しと絡む機会も増えたがためにそれだけで優に3時間は過ぎている。

 そして風呂や食事などの必要な行動を終えた後は、推しのことを考える時間だ。

 ああ最近ではネットでデートについての情報を調べることも欠かせない日課になっている。


「特に何もしてないな」


「そうよね」


「突然どうしてそんなことを?」


「あまりにも返信が早いんだもの」


 返信、おそらくメッセージアプリのことについてだろう。

 彼女に連絡先を教えてもらった当日にデートの予習する日程や集合場所は決まった。


 連絡先を交換した用途は済んだのだからそれ以降話すことはないのかと思っていたが、意外なことに彼女との連絡はいまだに続いている。


 学校であった些細なことや帰りに何があったなどの些細な出来事。

 彼女を中心に話題が広がり、そして思いのほか長く会話が続いているのだ。


「迷惑だっただろうか」


「別に。単純にいつも送ったらすぐ返ってくるから何してるのかと思っただけ。私がふざけて一分おきに送った時も全部に返信してたし。暇なの?」


 確かにそんなこともあったな。たいていは一言二言で送られてくるのに、一文字二文字でメッセージが連投されて、何かあったのかと不安になったものだ。


「まあ暇ではないが、メッセージを返すくらいの時間は優にある」


 推しからメッセージが来るのだ。何事においても即座に反応するべきだろう。

 優先度は必然的に一番高い。当然だ。


「そういう君もすぐに返してくれているように思えるが」


「送った直後に悠くんから返事が来るから目に入るだけよ。私は別に暇人じゃないしね」


「そうだろうとも」


 優等生である彼女の一日はさぞ忙しいものだろう。

 それは想像に難くない。


 そんな中俺にメッセージを送ってきてくれているのだろうから、返事を待たすなどといった負担をかけるわけにはいかない。


「その私に対する全幅の信頼というか……何? うまく言えないけど、私だって完璧超人なわけじゃないんだからね」


「そんなことはわかっている。君もミスはするだろうさ」


「本当にわかってるんだか……」


 呆れたようにこちらを見る彼女だが、推桐葵が完ぺきではないことを俺は知っている。

 もちろん完ぺきに近いのだが、先ほど本人にも伝えたように彼女だってミスはするのだ。


「そうだな、例えば小学四年生の時の学芸会の時だったか。君は主役であるシンデレラの座をほかの人に渡して誰もやりたがらない木の役をやりこなしていたが」


「ちょっといつの話をしてるのよ」


「確かリハーサルの時に思い切りステージ上で転んでしまっていたな。あの時の君の悔しそうな顔が印象的だった」


「よく覚えてるわね……。自分自身ですら忘れてたわよそんなこと」


 そもそも木の役を選んだことにも驚きだったが、だれもやりたがらない、やったとしても適当にこなしている木の役でなぜあんな悔しそうにするのか気になった。


「だから俺は当時君に尋ねたんだ。どうして誰も見ていない木の役をそんなに本気で演じるのかと」


「ああ、なんかちょっと思い出してきたかも……」


「君はこういった。主役よりも目立つモブ役なんてありえない。主役はもちろん脇役よりも目立ってはいけないと。小学生ながらに感動した。他愛無い一つの役でそこまで考えられるものなのかと。同時に適当に犬の役をこなそうとしていた自分のことを恥じたよ」


「もうやめなさい」


「そして本番では見事に木の役をやりこなした。恐らく観客誰も君には目が行っていなかっただろう。君の前で演技をする主役や脇役にちゃんと焦点が当たっていた。でも俺だけは君から目を離せなかった。」


「…………」


「君も当然ミスをする。それは人間なのだから当然だ。しかし君はそれだけでは終わらないのだよ。そのあと何に重きを置いて事をなすべきか把握して、本番ではしっかりとそれをやりこなすんだ。そういうところがまた惹かれる部分でもある」


「もうわかったから!! 昔の話でしょ!」


 つい話過ぎてしまい、彼女の大声に遮られ口を閉ざす。

 怒らしてしまったのかと思ったが彼女の表情を見るにそうではないらしい。

 昔の話を掘り出されたから恥ずかしくなったのか、彼女の顔は真っ赤になっていた。


「しかも今の話聞いた記憶があるんだけど……」


「ああ、小学六年生の時にも同じ話をしたな。あれは確か」


「わかったわかった。過去の話はもういいから。君が私のことをよく見ているということはよく伝わったから、今すぐそのおしゃべりな口を閉じて!」


「むぐ」


 気づけば俺は彼女の両手で口を押えられており続く言葉を吐き出せないようになっていた。

 さすがに驚いて目を向けると、手を伸ばしている先の彼女の顔は真っ赤を通り過ぎてもはや涙目になっていた。


「いったいいつまでそんなこと覚えてるのよ。というか自分のこととかほかのことはほとんどしゃべらないのに、私のことになると饒舌すぎるのよ」


「む……すまない。これで手をふくといい。あ、洗っているからきれいだ」


「別にそこまで気にしないわよ」


 推桐葵の手が俺の唾液などで汚れてしまうのはもってのほか。

 手を離されてすぐに彼女にハンカチを渡す。


 彼女はそれを素直に受け取ると、なぜか自分の手を拭くのではなくそのままハンカチを自分のポケットに入れた。


「拭かなくていいのか?」


「別に汚れてないから。後で返すわ」


「別に気にしないが」


「なんかこのまま返したらこのハンカチを家宝にされそうだからやだ」


「それは心外だな。確かにそうしたい気持ちはやまやまだが君が許可してくれないなら、俺は毛頭そんなことをするつもりはない」


「心外って許可取れたらやるつもりだったんじゃない。そもそも、今の話も誰彼構わず話してるんじゃないでしょうね?」


「それこそ心外だ。俺だって分別くらいわきまえる」


「本当かしら?」


 本人を目の前にして本人に問いかけられたから事細かく説明したが、別にこういったことを他人や同胞にすら簡単には話さないような内容である。


「俺にとって大事な思い出だからな。俺にだって独占したい思い出の一つや二つはある」


「……そ。まあ君のことだから本気で疑ったりはしてないけど」


「信じてくれてうれしいよ」


「すぐ暴走するのはどうかと思うけど!」


「そこは……気を付けよう」


 本人に言われてしまったら仕方がない。

 これからは彼女を前にしたとしても自制心をもって接することにしよう。


 果たして己の理性がどこまで持つかはいささか不安が残る部分だが、彼女にとっての負担になるのは一番避けたいことだからな。


「そこまで固い顔して気を付けなくてもいいわよ。まあ……私の前だったら別に構わない」


「君の前にいる時が一番暴走しやすいんだがな」


「それでも理性がどっか行っちゃって急に襲ってくるなんてことはしないでしょ?」


「君はそればっかりだな。もちろんいくら理性が外れたとして自分の推しにそんなことするもんか」


「私がそういうことばっかり考えてるみたいな言い方やめてくれる?」


 割かしその部分は誤ってないような気もするが……。


「まあ最近一つ分かったことがあるとすれば、君の頭の中は意外とピンク色だったってことだ」


「何? ファンとしてはそういうことを何も知らない清廉潔白な乙女であってほしかった?」


「いや、新しい一面を知ったとしても君が魅力的なことには変わりない」


「ぐっ……」


「どうかしたか?」


「別に。高校生なんてみんなこんなものよ!」


 彼女は徐々に引いていた頬の赤みをまたさっと赤くすると、なぜかポケットに入れていた俺のハンカチを突き返してきて、そのまま自分の席へと戻っていこうとした。

 しかし何かを思い出したかのように、振り返るとまた口を開く。


「明日、忘れずに来てよね」


「もちろん」


 明日はデートの予習当日だ。忘れるはずもない。

 俺の返事を聞いた推桐葵は満足げにうなずくと、今度こそ自分の席に戻っていった。


 そこからはもう俺のことを見ることはなく、教室に入ってきた友達との談笑にいそしんでいた。

 これもいつものことである。


 朝の幸せなひと時が終わってしまった。

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