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よっつめ

 朝、タンスの角に小指をぶつけた時は、何とも思わなかった。

 綾子は、これからの計画で頭が一杯だった。

 痛みも感じないほどに。


 二階から降りる時は一段踏み外した。危うく階段から落ちるところだった。

 ポストから郵便物を取り出す時には、チラシで指を切った。


 今、自転車に乗るため鍵を外そうとしているが、鍵が回らない。

 鍵をガチャガチャいわせながら綾子は、とうとう不安になってきた。


 ——あの家には近づくな——。


 何かが自分を守っていて、警告してくれているのではないか……。




 あの家に霊媒師が呼ばれて除霊が行われると聞いた時、やっとあの少女の霊が慰められるのかと、綾子は安堵した。

 そして自分も立ち会い、少女の霊に手を合わせたいと、強く思うようになった。


 三十年前、確かに自分はバスであの少女を見た。

 少女はバスを降りて、あの家に向かって行った。

 だがそれを証言したのは、五歳だった綾子だけ。

 乗客の誰も少女を見ていない。

 運転手でさえもだ。


 捜索願が出された女子中学生の写真を交番前で見た時、綾子はバスで見かけたと親に話し、両親と一緒に警察に行った。

 だが少女を目撃した者は、綾子以外誰もおらず、綾子の証言は一笑に付された。


『目立ちたい年頃なのよ。大人の注目を浴びたがるのは、家で構ってもらってないからじゃない?』


 近所の人にそう言われて悔しかったと、母が言っているのをこっそり聞いてしまい、綾子はもう少女の話をするのをやめることにした。


 あれから三十年。

 綾子は結婚して実家を出たが、里帰りするたびに町は廃れていった。

 商店街はシャッターが下りた店ばかりになり、あの家の近くまで行く路線バスも廃止になった。


 あの家は、まだ空き家のまま放っておかれている。

 解体しようとすると、作業員が不慮の事故で亡くなったとか、無人の家から赤ん坊の泣き声が聞こえるとか、親からそんな話を聞かされた。




 自転車の鍵と格闘していた綾子は、一瞬迷う。


 自分に守護霊がついていて、今からする行動を止めてくれているのだったら、それに従うべきなのでは——。


 そう考えた途端に自転車の鍵が開いた。


 綾子は自転車に跨る。

 無意識だった。

 あとは迷いを振り払うように、ひたすら自転車をこいだ。


 途中、下着姿でふらふら歩く老人にぶつかりそうになり、綾子は自転車を止めた。


 老人だと思ったが、男は近所に住む笠原だった。

 笠原は町でも評判の美男だったが、今は五十代半ばだというのに、髪も歯もなく、骨が浮き出るほどに痩せてしまった。

 大声で「すいません! すいません!」と甲高い奇声を発しながら、おぼつかない足取りで車道を歩く。


 三十年前、笠原はバスの運転手だった。

 綾子が少女を見たあのバスだ。


 いつから笠原が心を病んでしまったのかは分からないが、笠原の家はみな短命で、面倒を見る者もいないようだ。


 気の毒にと思いながら自転車を走らせようとした綾子は突然、当時のことを思い出した。

 まるでたった今、見ているかのように鮮明に目に浮かぶ。


 三十年前、あの少女は、お腹を庇うように手を添えて、ゆっくりとバスを下りていった——。


 ——もしかしたらあの時、少女はもう亡くなっていたのかもしれない。自分が見たのは、幽霊だったのではないか……。


 綾子は思い出したのだ。

 あの少女が、料金を払わずにバスを下りたのを。


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