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序章 刑事、獣と出会う 3

 品川駅の新幹線乗り換え口は、今日も乗降客で(あふ)れかえっている。


 午前十時五十分。そそくさと通り過ぎるビジネスマンや、大きなキャリーを引いた観光客らから少し離れた待合コーナーに、制服姿の少女たちの小さな集団があった。

 

 よほど慎み深く(しつ)けられたのだろう。

 そこかしこで会話を交わすものはあったが、総じて、この年頃の少女たちとしては驚くほど静かで、他の客の邪魔にならぬようこぢんまりと固まって、列車の到着に備えていた。

 

 まだ少し汗ばんでいる。山手線というのは、どうしてあんなにも連結が長いのだろう。

 

 うっかり端の車両に乗ってしまった少女は、クラスメイトとの約束の時間に間に合わせるため、三泊分の重い荷物と土産を抱えて、ホームを全力疾走するはめになったのだ。

 

 手元のスマートフォンには、先程出会った男の画像が表示されていた。

 

 警視庁の今年度の人事記録データから引っ張ってきた男の写真は、三十一歳という年齢より若い印象を受ける。

 整った顔立ちと言えなくもないが、まずは親しみやすさ、素朴な人の良さを感じさせる容貌である。

 

 書店で目の当たりにした、無精(ひげ)に覆われ憔悴(しょうすい)しきった顔貌(がんぼう)は、年齢より何歳も彼を老けさせ、陰鬱な人物に見せていた。

 

 スクロールすると、彼の警察官としての詳細な経歴が流れていく。

 もっとも彼は、()()では()()()であったので、少女は調べるまでもなく、すでに彼についてのほとんどのデータを把握していた。


 そんな彼と、まさかあのようなシチュエーションで出会うとは思わなかった。


 と同時に、妙に合点がいった。


(ヴァルナシア旅行団のガチな信者でしたかあ……それはそれは。あんな事件を引き起こしても当然ですよねえ……)


 まるで粕漬けを相手に話しているようだった。

 口惜しさともどかしさに(もだ)えながら自棄(やけ)酒をあおった様子が、手に取るように判る。


 少女はつい吹き出しそうになるのを必死で(こら)えた。


 己のことをおじさんと呼びながら、たぶん一番根元の部分は、ヴァルナシア旅行団とはじめて出会った少年の頃のままなのだろう。


 おもしろい人間だと思った。


 自分と同じもので出来た、自分ではない他人。


(危なかったです……うっかり『契約(ちぎり)』を結んでしまうところでした)

 

 あと少し言葉を交わしていたら、彼に『名前』を預けていたかもしれない。

 

 自分がこの世界にとって危険な存在であることを、彼女は十分に理解していた。

 

 自身はいたって温厚な平和主義者で、時間が許せばいつまでも図書館に引きこもり、本屋に居座る、読書オタクの十四歳でしかないと思っている。

 

 だが同時に、『主人(あるじ)』が使い方を誤れば、自分は世界にとって忌むべきものでしかなくなる。

 

 主人は慎重に選ぶべきだ。

 主人の命令が、主人自身をも滅ぼすかもしれないのだから。

 

 一人のクラスメイトが少女に近寄ってきた。

 耳元に口を寄せ、声を潜める。


「森戸さん、おうちの用事は無事済んだの?」


 少女は画面から視線を上げ、微笑んでみせた。


「うん、ありがとう。みんなが協力してくれたおかげだよ」


 さすがに小説家のサイン本が欲しかったからとは言えず、急な家の用事と誤魔化したのだが、純朴なクラスメイトたちは、全く疑うこともなく送り出してくれたのだ。


「よかった。ごめんね、体、大丈夫? 荷物持って走るの大変だったでしょう……やっぱり預かってあげればよかったねって、みんなで言ってたの」

「ううん、間に合うかどうかわからなかったから……こっちこそ心配かけて本当にごめんね」


 突然切り出した内緒の企みに、皆進んで協力し、『普段から病弱で学校を休みがち』という設定にしてある少女の体を気(づか)ってくれる。


 いい友人たちだ。彼女たちとの約束を破りたくなかった。

 電車の運行時間を考えたら、あの瞬間、(いとま)()うしかなかった。

 

 彼と『契約(ちぎり)』を結ぶことなく分かたれたのは、必然だったのだ。


 そう自分に言い聞かせ、元いたあたりへと去っていくクラスメイトに、笑顔で手を振ってみせた。


 彼との別れをこんなにも残念と感じている自分に、少女は正直驚いていた。


 改札上の運行表示に目を()る。そろそろホームへと移動する時間だった。

 見るともなく、在来線乗り換え通路の方に顔を向けた少女の瞳に、ありえない人物の姿が飛び込んできた。


「……お兄さん……!」


 (つぶや)くと同時に駆け出す。


 那臣(ともおみ)は少女の姿を認めると、その場でがっくりと崩れ前屈みになった。

 激しく肩で息をしながら、膝に手を突っ張らせ、ようやく立っている。

 駆けつけた少女は、那臣を支えるようにしゃがみ、顔を(のぞ)き込んだ。


「大丈夫ですか?」


 心配そうに揺れる少女のまなざしに、那臣は荒い息の混じった苦笑で応えた。


「……心配無用、ただの重度の二日酔いだ……」

「それはとっても心配です。それよりどうしてここへ?」

「おう……これをな」


 ぐいと、紙の包みを少女に向けて差し出す。


 あの書店のロゴが入った淡く優しい色使いの包装紙に、鮮やかな紅薔薇色のリボンが結ばれていた。


 あまりの展開に混乱し、少女は手渡されたものと那臣の顔へ、交互にせわしなく視線をうろつかせる。


「え? まさか……あの本ですか?……え? わたしのためにわざわざここまで……え?」

「仲間に一人だけカッコよく決められちゃ、団員の名折れだからな。俺にも言わせろよ」


 那臣は親指を立て、にやりと笑ってみせた。


「『我らの旅路に幸多からんことを!』」


(どうしよう)


 少女は破顔した。


(これはもう、運命でしょう!)


 抱きしめた包みの中には、なにより確かな彼とのつながりが記されている。


「ありがとう! すっごくすっごくすっご~く嬉しいです! ありがとうございます!」


 少女の満面の笑みを受け取って、那臣も満足そうに微笑んだ。


「わたし、森戸みはやといいます」


 俺は、と那臣が名乗ろうとしたその時、少女みはやの声が重なる。

(たち)那臣(ともおみ)さん」

「え?」


 先程自分は、無意識に少女に名乗っていただろうか。何故俺の名前を、と、尋ねようとした声も、みはやの謎の台詞に掻き消された。


「わたしは今から、あなたの『守護獣(まもりのけもの)』です。末永くよろしくお願いしますね」


「…………はあ?」


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