97 海のドラゴン、ダンジョンの女王
「害獣どもめ……これだから……」
フォンキンは怒りに震えながらリヴァイアサンの右目側に回り、その矢を引き抜く。しかし目に宿っていた太陽のような輝きが戻ることはなかった。
ただ、静かに、波が引いていく。
水がリヴァイアサンに向かって吸い寄せられていき、渦を巻いていく。
壁の金属の根にロープを括り付けていたので引き寄せられない
とはいえ引く力が強すぎる。このままでは遠からずロープが切れるだろう。
【水魔法(超級)】
「凍れ!」
リゼットはイカダの周囲をがっちりと凍らせて、壁の金属根と氷で一体化させて流れに引き込まれないようにした。
「リゼット、もう大丈夫なのか」
「はい。海水には微量のエーテルが含まれていますから。海水でむしろ助かりました」
「吸い取ったのかよ。ますます人間離れしてきてるなお前」
その間にも渦は勢いを増し、水に浮かんでいるものをすべて吸い寄せてすり潰していく。
唸るような水音と、潰されていく金属管や石の音が何重にも重なって響く。
【水魔法(超級)】
「凍れ!」
氷が削られる前にさらに補強する。
「滅茶苦茶だ……あんなドラゴン、どうやって倒すんだよ」
「リヴァイアサンの鱗はあらゆる武器を弾く。鱗のない場所を狙うしかない」
レオンハルトの視線が遥か上――リヴァイアサンの頭部に向く。
ユドミラの矢はリヴァイアサンの目に刺さった。もうフォンキンによって抜かれて治療されていたが。
「わかりました。道をつくります」
リゼットは微笑み、レオンハルトの顔を見る。
レオンハルトが自信ありげに頷いたのを見て、リゼットも頷きユニコーンの角杖を握る。
「では参りましょう」
再び大波が来る。リゼットたちを飲み込んで沈めるための、いままでで一番大きな波が。
【水魔法(超級)】
「凍れ!!」
リゼットは海水をすべて凍らせた。
海面も、海中も、波も。水をすべて凍らせて一つの塊にする。
渦は渦の、波は波の姿のまま凍りつく。
身体の半分以上を氷で覆われ、さすがのリヴァイアサンも動きが止まる。
【土魔法(中級)】【魔法座標補正】
「ストーンピラー!」
リゼットは壁から石の柱を生やす。
ひとつではなく、少しずつ上と横にずらして何段にも。
それは階段となり、レオンハルトがそれを駆け上がっていく。恐ろしいほどの速さで。
リゼットは最後の一段を長く伸ばす。
リヴァイアサンの頭上近くにまで。
レオンハルトはリヴァイアサンの頭上より高く駆け、跳んだ。
両手で剣を握りしめて。
頭に着地すると同時に、大きな右目に――その奥にまで剣を突き立てる。
レオンハルトが剣を抜くと、赤い血が吹き出した。
【火魔法(神級)】【敵味方識別】【魔法座標補正】
「アルティメットブレイズ!!」
傷を狙ってリゼットは最上級魔法を発動する。
白い光の槍がリゼットの周囲からいくつも生まれ、指し示した先――リヴァイアサンの頭部へと殺到する。
神炎の槍がリヴァイアサンの頭蓋で、口腔で破裂する。炎と共に頭が吹き飛び、巨大な頭が氷の上に落ちた。
リヴァイアサンの首が、ゆっくりと倒れる。
それと同時に部屋を満たしていた海が消えていく。氷の海が。
――このままでは、落ちる。落ちて床に叩きつけられる。
【水魔法(超級)】
「水ー!」
海水の代わりに水を満たす。だが量が到底足りない。このままでは落下の衝撃を受け止めきれない、きっと。それに、先ほどの海を凍らせた魔法のせいで身体は冷え切っている。
【水魔法(超級)】【火魔法(神級)】
「お湯を、くださいー!!」
「シルフィード!!」
ケヴィンの風魔法が落ちるリゼットを包み込む。レオンハルトもディーも魔法の風に包まれて、落下スピードががくんと落ちる。
そしてそのままゆっくりと、湯気の立つ水面に着水する。
――適温だった。
あたたかい。冷たかった身体が一気にあたためられていく。
リゼットは水面に浮かびながら、天井を見つめた。高い高い天井を。
(やっぱり、お風呂ってすてきです……)
その隣ではリヴァイアサンの頭がぷかぷかと浮いていた。
そして湯は土に染み込んでみるみる嵩が減っていく。
リヴァイアサンの海水もきっとこのように地面に染み込んでいっていたのだろう。どれほどの海水を生み出していたのだろうか。
足がつくほどの水位になって、リゼットはレオンハルトの元に向かった。リヴァイアサンの身体の近くにいたレオンハルトは、全貌を現した巨体を静かに見上げていた。
「レオン、血が……」
「――ああ、大丈夫。リヴァイアサンの血だ。怪我も折れた骨ももう治した」
「……私が言えることではありませんが、あまり無茶をしないでください」
頭や身体に着いた血を浄化魔法できれいにする。
道をつくったのはリゼットで、リヴァイアサンの元まで行かせたのはリゼットだ。だが。
――レオンハルトが死ぬところはもう見たくない。
「……ごめん。気をつける」
声は優しいが、すぐにまた無茶をするのだろうと思わせる声音だった。
誰かを守るために、敵に打ち勝つために、困難に飛び込んでいくのがレオンハルトだ。リゼットはそんな姿を何度も何度も見てきた。
「そのままだと風邪ひくぞっと――《シルフィード》」
柔らかい風がリゼットたちを包み込む。
繊細な風がやさしくリゼットの周囲を踊り、濡れていた服や髪を乾かした。
上にいたケヴィンとユドミラが下りてきて、ディーもこちらへやってくる。
「ケヴィンさん、ユドミラさん。助けていただいてありがとうございます」
「お役に立てたなら幸いです」
ユドミラが頭を下げる。
「元々戻るつもりはなかったのか」
レオンハルトが言うと、ケヴィンは笑って頭を掻いた。
「足引っ張りたくはなかったからからな。少しでも手助けできたのなら光栄だ」
「律儀なやつらだな」
ディーが呆れたように言う。
「では、皆でリヴァイアサンを食べましょう!」
リヴァイアサンはとにかく大きい。その頭も身体も。何百人分の食料を賄えそうなほどの量だった。
ディーが顔を引きつらせる。
「……マジで食うのかよ」
「ここで食べずしてどうするんです! リヴァイアサンを食べる機会なんて、きっとここだけです!」
「他にあってたまるか!」
「――俺は、興味がある。ドラゴンステーキはうまかった。きっとこのリヴァイアサンも……」
レオンハルトは興味津々といった様子でリヴァイアサンをじっと見上げる。
「……毒されてやがる。もう手遅れか」
「それに、リヴァイアサンは食べられるモンスターだ。伝説にも、リヴァイアサンの肉を食べたという表記がある」
「まあ、それは楽しみです。伝説と同じものが食べられるなんて」
なんてロマンのある話だろう。
うっとりとするリゼットの前で、ケヴィンが颯爽と踵を返す。
「んじゃおれたちはこれで――」
立ち去ろうとするケヴィンの首に、ディーが後ろから腕を回す。
「遠慮すんなって。こいつの鱗とかそういうの、きっといい値がつくだろ? オレたちじゃ回収しきれねえし、無駄にするのももったいねえ。な? 分かち合おうぜ?」
「……こんな伝説つくりたくねえぇ……」