96 女神姉妹
漆黒の世界に光が灯る。
夏空の青や薔薇の赤、南国の緑にレモンの黄色。
極彩色の光が飛び交う世界で、リゼットは女性が言い争う声を聞く。
『フレーノ。このままでは使い手が死んでしまう。お前の力を貸せ』
『いやです。ルルドゥお姉様は本当に偉そうで真面目でいやです』
『我がどうとかはいまは関係なかろう!』
『関係あります』
火の女神ルルドゥと水の女神フレーノの姿が見える。
二人は向き合い、お互いに怒っていた。
ルルドゥはとにかく焦っていてフレーノに掴みかからんばかりで、フレーノは腕組みをしてそっぽを向いている。
『ルルドゥお姉様は本当に卑怯。使い手の知らない間に、一体化しようだなんて』
『こやつにいま死なれると困るのだ! しかもこんな、ダンジョンの奥で!』
先ほどは仲良く並んで日記を読んでいたのに、いまは喧嘩している。
(普通の姉妹とはこんな感じなのかしら)
リゼットにも腹違いの妹がいるが、こんな関係性ではなかった。少し羨ましく思った。
それにしても二人はよく似ていた。火と水という正反対の属性だが、その雰囲気はよく似ている。これが神族というものなのだろうか。
『母神の世界が壊れてもいいのか』
『焦りすぎです。これはそこまで急を要する事案ではないのです』
ルルドゥの剣幕にもフレーノは一歩も引く気配はない。冷静に言い返す。
『――人の子よ。母の子よ。あなたの意志はどうなのです』
水の瞳がまっすぐにリゼットを見つめる。
それはリゼットの心の中を映す鏡のようだった。
『人が神の力を得る。これはとても恐ろしいことですよ。あなたが支配できなければ、力があなたを支配する。それに抵抗し続けるのは生半可なことではありません』
フレーノはリゼットの覚悟を聞いている。
『この先あなたを待っているのは、ここで死んでいた方が良かったと思える苦難ばかりでしょう……ここで終わっていたほうが、あなたにとっても幸せです』
「そうは思いません」
リゼットははっきりと自分の意志を口にした。
何より、リゼットがここで諦めてしまえば、レオンハルトとディーも道連れにしてしまうかもしれない。それだけは受け入れられない。
「例えどんな困難な道だとしても、私は前に進みます。だって、進んでみないとわかりませんから」
そこに何が待っているのか。どんな出会いがあるのか。どんなモンスターがいるのか。
もっと見たい。
もっと知りたい。
この世界をもっと。
そして――あのドラゴンの。
「とにかくいまは――リヴァイアサンを食べるまで死ねません!!」
落ちるときに見た巨大で美しい海のドラゴン――リヴァイアサン。
海の竜。そう海の。リゼットは海産物が大好きだ。
いったいどんな味がするだろう。どんな調理法がいいだろう。
海産物なのだから、煮ても焼いても揚げてもおいしいはず。
『こ、これが、ヒューマン……なんて強いの……さすが母神がつくられた人……』
フレーノは雷が落ちたかのような衝撃を受けていた。両手の拳をぎゅっと胸に当ててたじろいでいる。
『この者が特別、特別だがな』
ルルドゥが呆れたように肩を竦めていた。
◆ ◆ ◆
コポコポと空気の弾ける音が全身を包み、生ぬるい水がうねりながら肌と髪を撫でていく。
リゼットは何も見えない暗闇の中で、上も下もわからない水の中で、誰かに守られていた。
包み込まれて、引っ張られていた。
上に――水面に向かって。
「――ぷはぁっ」
――海面。
水の圧迫感から解放されたリゼットは、口の中の塩水を吐き出して新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
水の中から引き上げてくれたのはレオンハルトだった。
彼はリゼットとディーを後ろから抱きかかえながら、水の中を移動する。
「ふたりとも、これに」
近くを浮いていた金属の筒につかまる。中が空洞の金属の筒は、リゼットたちが摑まっても沈むことはなかった。
「レオンって泳ぎもできるんですね」
リゼットは尊敬の眼差しでレオンハルトを見つめる。
「クッソなんだよあれ。ダンジョン全部水没させる気かよ」
ディーは周囲に漂う金属の筒を寄せてきてはロープでくくり、イカダを作っている。
その間にも水量はどんどん増していき、水面は波打つ。しかもあちこちから物が流れてきてぶつかりそうになる。
「まったく。小生のかわいいかわいいダンジョンを荒らしおって……ここまで来た冒険者は初めてだぞ。度し難い」
リヴァイアサンの頭の隣に、フォンキンが浮かんでいた。
宙に浮かび、はるかな高みから海面のリゼットたちを見下ろしていた。
「荒らしてるのはお前だろーが!」
ディーが力の限り叫ぶがフォンキンの耳には届いていない。
にやにやと笑いながらリゼットを見ている。リゼットだけを。
「ほれほれ、見せてみなさい。聖遺物の使い手よ。火の女神ルルドゥの髪を持つ者よ。水の女神フレーノの涙を持つ者よ。それだけあっても無力な者よ。――髪、所詮は髪。涙、ただの涙。神体といえども切れ端よ。我が妻の敵ではない」
興奮した早口で楽しげに語り、誇らしげに胸を張る。
「妻って……あのドラゴンかよ」
ディーが乾いた声で呟く。リヴァイアサンは嬉しそうにフォンキンに頭を撫でられていた。
「マジかよ……世界は広いな」
水面がうねり、イカダが揺れる。
次の瞬間、リヴァイアサンのいる場所から水が盛り上がっていき、それは瞬く間に大きく高い白浪になってリゼットたちに押し寄せた。
【聖盾】
魔力防壁が圧し掛かってくる大波を防ぐ。イカダは守られたが、波が落ちてきた影響で周囲の水面が大きく揺れた。
そしてその波の余韻が消えないうちに、また大波が押し寄せる。
「シルフィード!!」
上方から風を呼ぶ、精悍な声が響き。
竜巻のような風が大波をリヴァイアサンの頭上にまで跳ね返した。
「ケヴィンさん――?」
「言っただろ? おれは伝説をつくる男だって。リヴァイアサン退治、結構じゃねえか!」
リヴァイアサンは鼻から白い煙を吹き出しながら、太陽のように輝く目をケヴィンに向ける。
大きな口を開くと、炎のブレスを吐き出した。
「うわっとぉ?!」
ケヴィンは風魔法で空を飛ぶように移動する。それまでいた場所がブレスの高熱で溶けた。
リヴァイアサンはブレスを吐き続けながら逃げるケヴィンを追って頭を横へ向けていく。その時、一本の矢がリヴァイアサンの太陽に輝く右目を射た。
悲鳴が上がり、ブレスが止まる。
「――ふん。魔眼を失ったくらいで、モンスターに後れは取らない」
上にいた、左目を包帯で覆ったユドミラが、次の矢を弓に番えた。