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94 名もなきダンジョンのマスター




「――まったく。ヒューマンというのはなんと貪欲か。それでこそあれだけ増えたのか」


 聞き覚えのある呆れ声が、痛む頭に響く。

 リゼットが目を開くと、薄暗い部屋の中だった。暗さでよく見えないが、音の響きから天井が高く、広い部屋だとわかる。

 そして、足が地面に着いていない。

 両腕を一纏めにされて吊るされている。


「どうだ? ミスリルゴーレムのドレインの味は。くくく……」

「フォンキンさん……」


 リゼットの前にいたのは、ノーム。このダンジョンで何度も出会ったフォンキンだった。

 大きな机の前に立ち、手に持ったランプでリゼットの顔を照らす。


 眩しさに目を細めつつも、上を見る。

 リゼットを吊るしているのはミスリルゴーレムの太い腕だった。

 近くにレオンハルトとディーの気配はない。どうやらリゼットひとりだけ連れ攫われたらしい。


「落ち着き払ったものだな。つまらん」


 リゼットは、取り乱すのはみっともないことだと教育されている。その成果は充分に出ているらしい。


 フォンキンはランプを机の上に置くと、苛立ちを鎮める儀式のように、コーヒーを入れ始めた。

 コーヒー特有のいい香りがリゼットの気持ちも落ち着かせる。


(これは、かなりの上物ね)


 コーヒーに拘るタイプらしい。


「……ここが、フォンキンさんの拠点ですか」


 ランプの光に照らされた部屋は、雑然とした部屋だった。物の量は少ないが、あの日記があった部屋に雰囲気が似ている。


「拠点ではない。ここがホームだ」


 背を向けたまま言う。


「では、ここを起点にダンジョンで生活されているのですか? すごいですね……」

「わからんやつだな。小生がこのダンジョンのマスターだ」


 振り返り、コーヒーを飲みながら眉間のシワを深くした。


「小生がこのダンジョンをつくった。貴様らはそこに入り込んできた害獣だ」

「まあ。ひどいおっしゃりようですね」

「しかも我が書斎まで荒らしおって……」

「それは申し訳ありません。知らなかったものでして」

「知らない相手の書斎なら荒らしていいと? まこと、冒険者というのは意地汚い」


 頭痛は徐々に治まってきているが、魔力が回復している気配はない。回復する端からミスリルゴーレムに吸われているようだ。


 こうなればリゼットには何もできない。

 できるのは時間稼ぎと会話ぐらいだ。


「フォンキンさんは、このダンジョンを自由に操れるのですよね? 外からの干渉をよく思っていないのなら、どうして入れないようにしないのですか」

「無知なやつめ。ダンジョンは、外と繋がっている必要があるのだ。もし入口を塞いでしまっても、自然と穴が開くようになっておる」

「なるほど、そうなのですね。では、どうして出られないような結界を張っているのですか?」


 異物を嫌っているのに中にそれを閉じ込めようとすることに矛盾を感じて聞いてみた。


「それこそ害獣を増やさぬためよ。ダンジョンがあると言えば冒険者が群がる。女神教会がやってくる。小生のダンジョンを荒らされたくはない。ゆえに、足を踏み入れたものは帰さぬ。絶対にな」


 このダンジョンはフォンキンの理想郷なのだ。この原初的な美しいダンジョンが、フォンキンの心象風景であり、彼の見てきた、彼の再現したかった世界なのだろう。

 そしてこの階層は、フォンキンの個人的な研究や生活の場なのだろう。


 手塩にかけて育てた箱庭であり、絶対に干渉されたくない個人的な家。それがフォンキンにとってのダンジョン。


 ――ダンジョンマスターとはなんて自分本位なのか。

 ダンジョンに挑もうとする冒険者だけを閉じ込めるのならまだしも、彼は無関係な人も巻き込んでしまっている。


「特にヒューマンは本当に野蛮で度し難い。それゆえに単純で操りやすいが」


 フォンキンの愚痴を聞いているうちに、もうひとつ疑問が浮かぶ。

 どうして幼体ラミアの確保などという依頼を、ヒューマンの自分たちに出したのか。

 ダンジョンマスターといえども、ダンジョンを自由自在に操ることはできないのかもしれない。


 コーヒーカップを机に置く。


「困っておったのだ。我が妻の大切にしているものを持って逃げ出したあやつには」


 フォンキンはリゼットの心を読んだように言う。

 幼いラミアの中には、水の女神フレーノの魂の一部と、聖遺物『水の女神の涙』が入っていた。

 フォンキンの言う大切なものとは、聖遺物のことなのだろうか。そして――


(我が妻……?)


 それを大切に持っていたというフォンキンの妻とは、いったいどのような存在なのだろう。

 日記に書かれていたジョセフィーヌのことだろうか。


 困惑するリゼットの前で、フォンキンは笑みを深める。


「だが、戻ってきた。いやはや、期待通りだ。依頼を反故にして、宝を掠め取る。まったく期待通りの動きよ」

「…………」

「……うむ、それにしてもなんと膨大な魔力量か。吸っても吸っても湧き出てくるではないか。材料に使ってやろうかと思っていたが、しばらくは動力源として生かしてやってもよいか……」


 考え込むようにぶつぶつと呟く。

 燃料扱いされるのは本望ではないが、それで時間が稼げるのなら歓迎すべきところである。

 フォンキンはリゼットの心を読んだかのように、嘲りの笑みを浮かべた。


「助けがくるとは思うなよ? やつらにはわずかばかりの財宝と、帰還ゲートをくれてやった。まあ、外には繋がらぬゲートだがな」


 自信たっぷりに高笑いする。


「おふたりは必ず来てくれます」

「信じるというのがいかに馬鹿げたことか、そろそろ知るが良い。ヒューマンとはいえもう子どもではないだろうに」


 呆れ顔で机に腰をかけ、眼鏡を外す。

 胸ポケットに入れていた絹布で分厚いレンズを拭きながら。


「小生もかつては冒険者だった」

「まあ」


 意外な共通点に、リゼットは親近感を覚えた。


「だが仲間と信じていたものたちは、小生をモンスターの囮にして逃げた」

「まあ……」

「くく……この力を手に入れてから会いに行ってやったら、やつらは小生を化け物と呼んで命乞いをしてきおったわ」


 その光景を思い出しているのか、にやりと笑う。


「小生は、慈悲深い。野蛮なドワーフやヒューマンとは、違う」


 語尾を強調させ、フォンキンは眼鏡をかけ直す。


「命は助けてやった。研究材料として使ってやったのだ。やつらは大変、役立たずだった! 無力なうえ、研究の役にも立たない愚か者ども――害獣だ!」


 己のしてきたことを誇るように、フォンキンは言う。


 リゼットは考える。フォンキンは何故こんな話を聞かせてくるのかと。未来の姿を想像させて、怯えさせるためだろうか。心を折るためだろうか。

 仲間に見捨てられたことには同情する。復讐を果たしたことにはリゼットは何も言う権利はない。それらはすべて、他人事だ。


 青緑の瞳がリゼットをギラリと見つめる。リゼットはその視線を受け止めて、微笑んだ。


「私は、おふたりを信じています」


 逆の立場なら、何があっても助けにいく。

 実際に来てくれるかどうかはさほど問題ではない。だがリゼットは心の底からそう信じている。信じることができることが、何よりの喜びだった。


「無邪気なものよ。ではお主を異形のものに変えて、そやつらの前に投げ込んでみるのも一興かもしれぬな」


 フォンキンの声は弾んでいて、楽しそうに目を輝かせる。


「殺される直前にはさすがにわかるはずだ。仲間を信じるなどくだらんことだと」

「趣味が悪いです」

「ふん、生意気な。まあそれはあとだ。まずは、妻のものを返してもらうか」


 言って、手を伸ばす。リゼットの左目に向けて。

 やはりこの『水の女神の涙』こそが、彼の妻であるジョセフィーヌという女性が大切にしていたもののようだ。


「…………」


 ――水女神の涙はきっと、この左目に宿っている。火女神ルルドゥの髪が、リゼットの髪に宿っているように。聖遺物は同じ部位に宿るのだろう。


 目を抉られるのはとても痛そうだ。腕のいい回復術士ならば復元できるそうだが、都合よく見つかるだろうか。

 それでもリゼットは瞼を閉じることなく、じっとフォンキンの指を見つめる。


 恐怖し、抵抗すれば、フォンキンを喜ばせるだけだ。彼は人を傷つけることに愉悦を覚えている――そういう人間であることを望み、敢えてそう振る舞っている。


 フォンキンの指がぴくりと震えて、止まる。


「……やめろ。そのような目で見るな」


 彼の中には悪意と同時に、まだ人の心がある。それを狂気で覆い隠している――リゼットにはそう見えた。


「フォンキンさん。あなたは狂っていません。狂っているように振る舞っているだけです」

「黙れ!!」

「化け物でもありません。あなたは繊細で、強がっているだけの、ひとりのノームです」

「黙れと――」


 フォンキンの拳が振り上げられる。


 ――その瞬間、部屋の壁が外から破られる。

 爆発したかのような勢いで穴が開き、外の光が入り込んでくる。


「――リゼット!!」




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