92 ハーフエルフ
そうしてリゼットは、最後のラミアの卵と、すり下ろしたアイスウゴキヤマイモの根でスープをつくる。
さらに薄切りにしたパイア肉に塩と香辛料を振り、料理用の酒とウォールミミックの土と一緒に焼いた。
食欲を刺激する香ばしい匂いが洞窟の中に満ちる。
出来上がった料理を、全員で火を囲みながら食べる。
「うまいなこれ」
恐る恐る口に入れたケヴィンが、ほっと緊張を緩める。
「うん。肉とソースがよく合っている。普通のイノシシ肉より柔らかくてうまい」
レオンハルトが満足そうに言う。
ユドミラも普通にスープを飲み、普通に肉を食べている。
材料も調理工程も見ているのに動揺するところはなかった。
(ユドミラさんもモンスターを食べ慣れているのかしら)
そう思ったが、よく見ればわずかに手が震えていた。我慢しているのかもしれない。
リゼットはスープを飲む。
ふわふわの卵とヤマイモがやさしく喉から胃へ流れ込み、じんわりと身体をあたためていく。その熱とやさしい風味で少し心が落ち着いた。
「ユドミラさん……モンスターになっている時、どんな感じでしたか?」
「それを聞くのかよ」
ディーがスープを飲みながら呆れ顔で言う。
「分厚い膜に包まれているようでした」
――膜とやらがモンスターの意識と肉体のことを言っているのだとしたら、ユドミラはモンスターに変質したのではなく、身体はそのままでモンスターの皮を纏っているような状態だったのだろうか。
「意識はほとんどなかったと思います……ただ、満たされない飢えと渇きがありました」
パイア肉を見つめながら悲しい顔をする。
ラミアとなったユドミラに大岩が二つも直撃していたのは、もしかしたら自分からそこに身を投げ出したのかもしれない。
何故かそんな風に思えた。
「ですが、光が見えたのです。女神の光――……そう、あなたです。リゼット様」
ユドミラは熱心な表情をリゼットに向ける。
(確かにあの魔法は、ルルドゥの力を使った魔法でしたが――)
リゼットの力ではない、と言っても無駄だろう。
リゼットの中にいる女神と、そして女神の力を使えるリゼット自身に心酔してしまっているのだから。
どうしてこんなことになってしまったのか。なんとか正気に戻ってくれないだろうか。崇拝の目を向けられるより、敵愾心を持たれていたほうがずっと安心する。
人ではないもののように見られるのは、苦しい。
「ユドミラさん、私はそんな立派なものではありません。ただの人間です。わがままですし、自分勝手ですし、後先考えないで行動しますし」
ディーが「自覚あったのか」と小さく呟き、レオンハルトがそれを諫めている気がするが、リゼットは聞こえてなかったことにする。
ユドミラは黙り、下を向く。膝の上に置かれた手は強く握りしめられ、震えていた。
「……私はずっとあの方に認められたかった。そして愚かにも、リゼット様より私の方が器にふさわしいと思い上がってしまった」
「器?」
「もちろん、女神の器です」
――女神の器。
その言葉は聖女にも用いられる。聖女は女神の力を受け取り、大地に広げるための器だと。
しかしリゼットはその言葉は好きではない。そこに注がれる力の方が大事で、本人の中身なんてなくてもいいと言っているようなものだ。
「私は、ただの人間です。そしてユドミラさん、あなたも」
「気分を害されたのなら申し訳ありません」
ユドミラはますます頭を下げる。
「ユドミラさん……。どうして、認められたかったのですか」
問うと、ユドミラは一瞬息を詰まらせる。
「……ハーフエルフはどこにも居場所がありません。エルフの国にもヒューマンの国にも。私は、私を拾ってくださったあの方に、認められたかった。私ごときが……」
「――ユドミラさん。私は聖女ではありませんし、女神の器でもありません」
リゼットはゆっくりと言葉を紡ぎ、ユドミラの瞳を見る。
赤い隻眼を。
「私は私。そして、あなたはあなたです。自分を認められるのは自分だけです。人に認められるために行動しようとすると、ただの都合のいい人になってしまいます」
「な……」
ユドミラの表情に、わずかに焦りが浮かぶ。人間らしい感情が。
「どうかあなたはあなたのままで。ユドミラさんにはもう、大切に想ってくださっている人がいるじゃないですか」
ケヴィンに手を向けると、ユドミラはそちらを一瞥し、すぐにリゼットに視線を戻した。
ケヴィンが少し傷ついたような顔をしているのを、リゼットは見てしまった。複雑な胸中になる。
「リゼット様――どうか、お供させてください。片目は失いましたが、利き目ではありません。足手まといにはなりません」
「いいえ。いまのユドミラさんは傷ついたばかりです。ケヴィンさんと戻ってください」
「……わかりました」
ユドミラは素直に頷くが、少しだけ不満そうだった。
それはリゼットに心酔しきっている時よりも、ずっとずっと人間らしい表情だった。
食事を終え、ケヴィンとユドミラは帰還ゲートに向かうため通路に向かう。
ユドミラはもう自分の足で立って歩けるようになっている。ケヴィンに肩は借りていたが。
「リゼット様、お気をつけください。このダンジョンはまるで蟲毒のようなもの」
去り際にユドミラはリゼットを見てそう言った。
「蟲毒?」
「呪術の一種です。壺に毒虫を詰め込んで、共食いさせあって、最後に生き残ったものを呪いに使うため殺すのです」
ぞっとする。
ユドミラは淡々と続けた。
「このようなダンジョンをつくるものは、とっくにまともではないでのしょう。この先に待つのは邪悪な心を持つものです。どうかお気をつけて」
「ありがとうございます。お二人も、お気をつけて」
帰還ゲートに向かう二人を見送ると、ディーが肩を竦めた。
「なんかちょっと怖かったな。最後は割とマシだったけどよ」
「元々信心が深いんだろう。リゼットの中に女神を見て、女神への信心がそのまま向いてしまったんだ」
他者の信仰心に口をはさむつもりはないが、それが自分に向けられるとなると話は別である。
「だからって、こいつは……こいつだぜ? ラミアになったやつにラミアの卵食わせようとするやつだぜ?」
「栄養たっぷりですよ?」
「ほら、こういうやつだ!」
「……それはまあ、見方次第というか」
歯切れが悪い。
「どの角度から見ても私は私です」
少し怒ったように言うと、ディーが慌てて話題を変えようと視線を宙に浮かす。
「そ、そういや、この階層の魔石はどうなったんだ? あれ、結構高値で売れるから回収忘れないほうがいいぜ」
「ラミアになったユドミラさんの目の中にあったような気がしましたが……なくなっていますね。ケヴィンさんたちが持って帰ったのでしょうか」
落ちていた目の中に、琥珀色の輝きを見たような気がしたのだが、それはもうどこにもない。
レオンハルトは難しい顔をして、ケヴィンとユドミラが歩いていった通路を見つめる。
「……彼女がモンスターになった理由――魔石を飲み込んだからかもしれないな」
「琥珀の魔石をですか? ……確かに、ユドミラさんが飲み込んだラミアの目の中に、魔石があった可能性はありますね」
第四層のボスと思わしきラミアを倒したとき、琥珀色の魔石は現れなかった。
ユドミラが飲み込んだ眼の中にそれがあったとしたら、つじつまは合う。
「おいおい、魔石飲んだらモンスターになるってか?」
「そもそも魔石がなんなのか、はっきりとはわかっていない。ダンジョンの魔力の結晶体という話だが……」
「ううーん、モンスターになってしまうのは困りますね」
身体が多少変わるだけでも、ダンジョン内ではともかく外での生活は厳しくなりそうだ。
「困るってレベルの話? 話なのか?」
「そういえば、ボスらしきパイアを食べていたジャイアントキリングベアーも、とってもパワーアップしていましたよね……」
「――ええい! キナ臭い話はなしだ! そういうのは学者や錬金術師とかに任せとけ! 次に行こうぜ、次!」
ディーが辛抱できないとばかりに吠えて、階段の方へ向かっていく。
「そうですね、次に行きましょう」
そしてリゼットたちは階段を下りる。第五層へ向かって。