90 身食いの蛇
ユドミラを追って洞窟の奥に続く道を進む。道は一本道で、緩やかに下へ傾斜していた。
灯火に照らされる岩肌はわずかに濡れて光っている。湧水が溢れ出しているのだろうか。
「ケヴィン」
先頭を歩いているケヴィンに、その後ろを歩くレオンハルトが言う。
「ラミアは常に飢えている。俺たちを見れば食べようとしてくるかもしれない」
「ああ」
「それに、モンスターとなった人間を元に戻す方法は、この場にいる誰も知らない」
厳しい現実をありのままに伝える。
手のひらを剣の柄に置いて。
「俺は、仲間を守るためならなんだってする」
レオンハルトはケヴィンの覚悟を問うている。
「ああ、覚悟はしてるさ。こんなダンジョンの奥底で、あんな姿にさせておくわけにはいかないからな」
ケヴィンは背を向けたまま答える。表情は見えず、喋り方は飄々としているが、真剣さは伝わってくる。
彼はとっくに覚悟を決めている。
――その時。
地鳴りのような音が背後から響いてくる。
振り返って灯火の魔法を通ってきた道に投げてみる。何もない。しかし音は少しずつ大きくなり、近づいてくる。
ゴゴゴゴ……
「なんか嫌な音が……」
全員息を飲んで迫りくるものを待つ。
坂の上から、玉のような丸い岩が下り坂で勢いをつけて転がってきた。
どうしてだとかどこからだとか、そんなことを考える余裕もない。走る。ひたすら前に走る。
【土魔法(初級)】
「ストーンピラー!」
背後に石の柱をつくって岩を止めようとする。
だが柱は大岩に当たると呆気なく砕けた。
「穴開けろ穴! 壁!!」
【土魔法(初級)】
「あなぁー!!」
訳が分からなくなりながらディーに言われるままに斜め前の壁に穴を開ける。
ぐいっと引っ張られて穴に飛び込むと、暴れ馬車のような音を立てながら大岩が前を横切っていく。
リゼットは壁に背をつき、レオンハルトに庇われながらそれを見送った。
隣にはディーとケヴィンがなんとか穴の中に入り込んでいた。
「はあ……はあ……ありがとうございます……なんですかこの罠……」
「そりゃ、間抜けな冒険者を引きつぶす仕掛けだろ……」
ディーが言った直後、坂の下の方で大きな地響きがする。
大岩がどこかの壁にまともにぶつかり、止まった――あるいは砕けたような音だった。
そして、上の方から先ほどと同じような地鳴りが聞こえてくる。
「第二弾かよ……もうちょっとここで待とうぜ」
リゼットはディーの提案に頷きかけて、ふと気づいた。
レオンハルトとの距離が近すぎることに。レオンハルトは両手をリゼットの耳の横についている。そうやって、先ほどの大岩からも守ってくれた。
いまも、わずかにでも動けば触れそうなくらい、近くにいる。
【無詠唱(視線発動)】【土魔法(初級)】
無意識で穴を後ろに広げ、スペースを確保して後ろに下がって距離を取る。
「い、いまのうちに方針を決めておきましょう。ユドミラさんとどう戦うか――まずはあの眼を吐き出させるべきだと思います。あの眼を飲んだのが変化のきっかけですから」
「とっくに消化されてるんじゃね?」
ディーが言う。
「実は私もそう思います」
「夢も希望もありゃしねえ……」
ケヴィンが呻く。
「――彼女は、眼の色が片方だけ変わっていた。その眼の方にラミアの力が寄生して、置き換わっているのかもしれない」
レオンハルトの声がすぐ上から響く。
リゼットは視線を下に向けたまま小さく頷く。
「つまり、そちらの眼を取り出せば、力の源がなくなるかもしれない……ということですね」
「でもどうやって取るんだよ?」
地響きが大きくなってくる。大岩が近づいてきている。
「ラミアの眼は簡単に取り外せるようになっている。後頭部に重い衝撃を与えれば……」
「飛び出すってわけか……解決方法が力づくすぎるが、それしかねえよな……」
ケヴィンが物憂げなため息をつく。その前を大岩が物凄い速さで転がっていった。
少し時間を置いて、大きな地響きと共に洞窟が揺れる。
「では行きましょう!」
前も後ろも警戒しながら、大岩が通っていった通路を進む。
終着点である下り坂の終わり――広い部屋で待っていたのは、ラミアの姿となったユドミラだった。
ただし意識は失っていて、その周囲には半分砕けた大岩がふたつ分転がっていた。
二回とも大当たりしてしまったらしい。
ユドミラの下半身には噛み跡が――おそらく自分で自分を食べたのだろう痕跡が残っていた。
――ラミアは常に飢えている。
満たされない飢餓に苦しむ姿にぞっとした。
「ユドミラ!」
ケヴィンが警戒したままユドミラに近づこうとする。
ユドミラはその声が聞こえたかのようにぴくりと身体を震わせ、両手を地面に着き、伏せていた身体を持ち上げた。
薄紫の髪の間から、赤い隻眼が輝く。
金色の瞳を宿す左目は、岩とぶつかった衝撃でなのか、下に落ちていた。それは半分に割れていて、中には琥珀色の石――魔石が入っていた。
――あの眼が外れているのならば、正気に戻っているかもしれない。そんな淡い期待は大きく開かれた口によって打ち砕かれる。
顎の骨を外してまで開かれた口は、ケヴィンを丸呑みにしようと上から襲い掛かる。
「これでも食ってろ!」
ケヴィンは背負っていたラミアの卵を手に取り、ユドミラの口に突っ込んだ。強く押し、卵を丸呑みさせる。
ユドミラはそれをごくりと呑み込み、喉を膨らませる。
苦しそうだが窒息には至っていない。
ユドミラは赤い瞳を強く輝かせ、両手を天に向けて大きく開いた。
その瞬間、急激に空気が冷えていく。
息が詰まり、身体が凍てつき、砕けるのではないかと思うほどに、冷たく――
【火魔法(神級)】【敵味方識別】
「――ブレイズランス!」
煌々と爆ぜる白炎がユドミラの身体を貫いた。
その身体を燃やし、白い灰と化させる。
敵を燃やし尽くして炎が消えた時、そこに残っていたのは、人の姿だった。
ハーフエルフの姿に戻ったユドミラが、ひとり静かに倒れていた。