89 ラミアの卵のオムレツ
魔法で焚き火をつけて服を乾かす。
幸いほとんどの水は染み込んでいないため、脱がずに乾かせそうだった。
「そういえば、いつの間にか止んでいますね。あの白い葉っぱ」
「階層ボスのラミアが倒れたからかもしれない」
レオンハルトがそう言いながらナイフを取り、まるで上質な枕のようなラミアの卵の殻にナイフを立てる。
すっとナイフを引くと、中から黄色い塊が現れた。
「黄身……ですね。すごい。ラミアの卵は、白身がないのですね」
匂いは普通の卵と変わらない。
卵黄を覆っている薄い膜を破り、中身を両手鍋の中に注いでいく。
リゼットはそれに塩と香辛料を混ぜて軽く混ぜてほぐし、空気を含ませていこうとしたが、卵白がないからかうまく行かない。
魔法で火を起こし、フライパンを温めて、残っていたバターをたっぷり引く。
良く熱されたところに卵黄液を入れるとじゅわっといい音がする。すぐに固まり始めるそれをヘラで混ぜ、焼きながら空気を含ませていく。
「ラミアの、卵が……おれの中の常識が音を立てて崩れていく……!」
何故か悲壮な顔でケヴィンが声を振り絞るが、気にせず続ける。
半熟状の卵を包んでいき、形を整え、念のためよく火を通す。食感が失われないくらいに。
「できました! ラミアの黄金オムレツです!」
バターの芳醇な香りが漂う、黄色の濃いオムレツができあがる。
火を囲んで座り、早速食べていく。
「……うん、すごく濃厚なオムレツだ……」
「割とうまいなこれ」
「はい。口あたりがなめらかですし、コクがあっておいしいです」
ケヴィンだけはオムレツに手をつけず、それをじっと見つめていた。
「強いな」
感心したように呟く。
「こんなものまで食べてるなんて、おれたちとは覚悟が違う」
「お前も食うんだよ」
「うぐ……」
ディーに促され、渋々と食べる。スプーンが震えていた。
決死の表情で黄金のオムレツを口に入れ、飲み込む。
「……うまい。ああ、これが空腹は最大のスパイスってやつか……」
ケヴィンはどこかほっとしたようにしていた。
食べると、身体の内側からあたたまる。
あたたまると元気が出てくる。
「ケヴィンさんたちは、上の階層では何を食べていたんですか?」
リゼットが問うと、ケヴィンは遠い目をして口を閉ざす。
「正直に言えよ」
「食料が尽きたから……おたくらが倒したキリングベアーの肉を……」
「お前らもモンスター食ってんじゃねーか! 自分は違うみたいな顔しやがって! この同類!!」
「待て待て! キリングベアーはモンスターじゃないからな?」
慌てたように否定するケヴィンに、レオンハルトが冷静な表情で言う。
「キリングベアー類はモンスターと地上の熊の交雑したものだ。モンスターとも言えるし、違うとも言える」
「おれは純粋なモンスター以外モンスターと認めない!」
「詭弁だ詭弁」
ディーは呆れている。
地上モンスターをどこまでモンスターと認めるべきかはリゼットも多少は気にかかったが、もっと気になることがあった。
「キリングベアー肉って、ヒュドラ毒は大丈夫だったんですか?」
「おたくら知らないんだな。ヒュドラ毒は熱すれば無毒化するんだよ」
「なるほど。やっぱり生はダメなんですね」
モンスター料理は必ず加熱するべし。
リゼットは固く心に誓う。
「普通知らねえだろそんなこと。レオンだって知らなかっただろ」
「ああ……」
「ユドミラは毒に長けてるからな」
ケヴィンは少し誇らしげだったが、知識が深いと言っても限度がある。
「ヒュドラ毒を熱すれば無毒化できるだなんて、実際に試してみないとわからないのではないでしょうか。それとも、エルフの知識でしょうか」
エルフは長命種だ。
長い歴史を重ねる中で蓄えられた知識の内になら、ヒュドラ毒の取り扱い方が記されていてもおかしくはない。
「一つ忠告しておく。あいつの前ではエルフだのハーフエルフだのは禁句だ」
「どうしてですか?」
「……どストレートに聞いてくるな。混血種族にとってこの辺はまあまあ生きにくいんだが、ハーフエルフは別格だ。いろいろ苦労してんだよ」
――それは、リゼットの知らない世界だ。
確かにリゼットの国はヒューマンがほとんどで、他種族はあまりいなかった。冒険者身分になるまでは、混血種にも会ったことはない。遠くから見かけるくらいで。
各種族に対する知識はあるが、現実は知らないことばかりだ。自分の世界の狭さを思い知る。
「わかりました。口にはしません。それでは今度はケヴィンさんのことを教えてください。審問官というのは普段どんなお仕事をしているのですか?」
「……やっぱ言わなきゃだめだよな」
リゼットが頷くと、ケヴィンは渋々話し始めた。
「黒魔術の気配を感じたら東へ西へ。聖遺物の話が出たら北へ南へ。で、成果があることは滅多にない。報われない仕事だよ」
「見つかったときは?」
「……聞かない方がいいんじゃないかな」
じっとケヴィンを見つめると、ケヴィンは困ったように頭を掻く。
「まあ、場合によりけりだが。黒魔術を使うやつは本山に連行だ」
「わざわざ本山にまで?」
「ちゃんと調べなくちゃならないしな。その後のことはおれの管轄じゃない」
「…………」
「聖遺物を回収するのはまた別のやつらがいる。危険なものも多いしな」
「なら今回のことは独断か?」
レオンハルトが険しい声で問う。
ケヴィンは口元を引きつらせ、ため息交じりに笑う。
「そうだな。聖遺物って思い込んで飲み込んじまったのはあいつの独断。でもだからって切り捨てられるほど、血も涙もないわけじゃない。あいつとはそれなりに付き合いも長いしな」
そこまでして手に入れたかったのだろうか。
女神の聖遺物を。
飲み込むときのあの表情――決死の覚悟を決めていた。
(本物だとしても、面倒ごとに巻き込まれるだけだと思うのですが……)
人の価値基準はそれぞれとはいえ。
「――ではもうひとつ。女神教会はダンジョンのことをどこまで知っているのですか」
ダンジョン探索は教会騎士の聖務のひとつだと、ノルンで出会った教会騎士ダグラスは言っていた。
ダンジョンの謎は女神教会でも解き明かせていないと。
「ダンジョンの中心には聖遺物があり、ダンジョンの王がそれを守っていること。王に選ばれたダンジョンマスターが、ダンジョンを管理していること。おれが知っているのはそれくらいだ」
ディーはつまらなさそうな顔をする。
「ダンジョンマスターってのは冒険者の噂でも流れてくるぜ。ダンジョンの底には宝があって、ダンジョンマスターがそれを守ってるってな。審問官の持ってるネタってそれくらいなのかよ」
「噂と事実じゃ、価値は違うだろ?」
「――わかりました。ケヴィンさん、ありがとうございます」
リゼットは礼を言い、力強く立ち上がった。
「さあ、ユドミラさんを探しに行きましょう。きっと、お腹を空かせて私たちを待っています!」
リゼットは残ったラミアの卵をケヴィンに渡す。
「……え? これをあいつに食わせる気?」