88 水の女神の涙
沈黙。
レオンハルトもディーもケヴィンも顔が引きつっている。
口火を切ったのはディーだった。
「ここまでの流れでよくアレを食おうと思えるな!」
「大丈夫です。無精卵ですし。ちゃんと鑑定しました」
「そういう問題じゃねーよ!」
「相棒……すまん。おれはここまでかもしれん……」
ケヴィンが遠い目をして祈りのポーズを取っている。
「大丈夫です、ちゃんと火を通しますから。それにしても大きいですね。それになんだか、ぷにぷにしています」
ラミアの卵の殻は鳥のものとはまったく違っていてやわらかい。そして形は細長い。まるで革の水袋のようだ。
「――そうだ。料理の前に、この子を葬ってあげてもいいですか」
リゼットは中身がなくなって皮だけになった幼いラミアを見る。心の整理をつけるためにも、きちんと葬ってあげたかった。
部屋の隅に土魔法で穴を開けて、水魔法で水で満たして池をつくる。
「きれいな水を欲しがっていましたから」
リゼットはユニコーンの角杖の先を水に浸し、石で軽く削り取った。
ユニコーンの角には水質浄化作用がある。
これでずっと水はきれいなままだろう。
幼いラミアの身体を持ち上げる。軽かった。中身が抜けてほとんど抜け殻だった。
それをゆっくりと水に浸す。抜けていた水分が戻ったかのように、身体がふっくらとした――その時だった。
水に触れていた手から、何かがリゼットの中に入ってくる。
【聖遺物の使い手】【水女神の涙】
スキルが発動し、涙が一筋頬を伝う。
それと同時に水魔法のスキルが強化されて【水魔法(超級)】を得る。
(聖遺物……? どうして――?)
驚くリゼットだが、一連の変化はとても穏やかだたため、他の誰にも気づかれていない。
「……なんつーか、ホント皮だけだな。子どものラミアってこんななのか?」
透明な水にたゆたう幼いラミアを見ながら、ディーが不思議そうに言う。
「いや……これは、ラミアの脱皮した皮だろう」
静かな水面を見つめレオンハルトが言う。
「脱皮ぃ?」
「蛇だからな」
「それじゃあの上半身も、人間じゃなくて蛇なのかよ?!」
レオンハルトはこくりと頷く。
「これを見るとそうとしか思えない。人間にとても似た蛇だ。成長途中で脱皮した抜け殻に、何か別のものが入って動かしていたんだろう。憑依型のレイス系……いや、あの感じだとおそらく――」
レオンハルトはしばし考えて。
「スライムだ」
確信を得た顔で言う。
「なるほどスライムですか」
「なーんだぁスライムかぁ。喋るスライムなんてすげーなおい」
スライムは粘菌の塊だ。形は不定形で、柔軟に動く。
リゼットはほっとした。ディーも安堵していた。
『――誰がスライムですのおおおお!』
水が爆発したかのような激しい水柱が上がり、あたり一面に水が撒き散らされる。
そして水の中から少女が現れる。半透明の少女が。
その少女は空中をふわふわ漂いながら、流れる水を纏い、水の飛沫を身体の周囲に踊らせていた。
『ダンジョン内を移動するのにこの皮を借りていただけなのです。それを、それを、スライムだなんて!』
幼い顔立ちを怒りでいっぱいにして叫ぶ。
その時、リゼットの髪が一房赤く燃え上がった。
『あーっはははは! スライム! なるほどスライム! 貴様にぴったりだなフレーノ!』
「――ルルドゥ?」
取り込んでからいままで一切気配を感じさせることのなかった火の女神が、リゼットの頭上で腹を抱えて大笑いしている。
『ルルドゥお姉様……』
『ふん、ようやく姿を見せたか。貴様どういうつもりだ。モンスターの皮に入ってこそこそこそこそ動き回って。そんなに我に会いたかったのか? かわいい妹よ』
フレーノと呼ばれた半透明の少女は頬を大きく膨らませて、そのまま水となって池に溶けた。
池に残るのはラミアの皮のみであった。
『逃げたか……。だが、逃がさん。使い手よ。聖遺物を回収しろ』
「どうしてですか?」
素朴な疑問が口から出る。
『それが貴様の使命だからだ』
「命令しないでください。私のするべきことは、私が決めます」
それが必要なことなら言われずともするが。
理由も言われず上から命令されても恭順する気はない。
事態にはついていけないが、状況に流されるつもりはない。
『貴様……我にだけ冷たくないか』
ルルドゥが寂しげに呟く。
心なしか身にまとっている炎にも勢いがない。
「まあ……そんな顔をしないでください。私は命令されるのが嫌なだけで、ルルドゥのことは嫌いではありませんわ」
『……なんという傲慢』
「あら? そういうところを気に入っていただけたのでは?」
『ふん。まったく貴様といいフレーノといい』
ルルドゥはぷいっと顔を背け、炎とともに消えた。
リゼットは小さく笑う。女神というものは、案外気難しくて可愛らしい。
「なんなんだよいまの……あのラミアに入っていたのはあの女神ってことか?」
「そうらしいな。そして聖遺物がまだこのダンジョンの中にある……もう少しこのダンジョンを探った方がいいかもしれない」
「スライムじゃねーじゃねーか」
「女神だなんてわかるわけないだろ」
リゼットはずぶ濡れになって言い合う二人を見て微笑んだ。自分もずぶ濡れだ。
ケヴィンもきっとずぶ濡れだろうと後ろを振り返ってみると、彼は地面にはいつくばるようにリゼットに頭を下げていた。
「度重なる無礼、お許しください」
「ケヴィンさん。いきなり態度を変えられると困ります」
何があったとしても、身体の中に何かがいるとしても、リゼットはリゼットだ。
「さあ、服を乾かして、ご飯を食べましょう」