87 情報の価値
ユドミラがラミアの眼球を噛まずに飲み込む。
「ええーっ!」
「なんでお前が驚いてんだよ。もっといろいろ食ってんだろ」
「だって生で食べるなんて! それに私が聖遺物を食べたと思われているなんて、心外です」
「そこにこだわりがあるんだ……」
レオンハルトが乾いた声で呟く。
「うっ……」
リゼットたちが騒いでいる間に、ユドミラの顔色が変わった。青ざめ、喉を押さえて苦しそうに膝をつく。
「ユドミラッ?!」
「食あたりでしょうか……それとも喉に詰まらせて……? 早く吐き出させないと」
ユドミラのいる場所は高く、すぐには駆けつけられない。
壁を登るか階段をつくるか、考えるより早く事態は変わる。ユドミラの下半身の肉が盛り上がり、蛇のものとなる。足場に対して身体が大きくなりすぎて、ユドミラの身体が落ちてくる。
銀髪は薄紫色に変わり。
片方の瞳が、金色に変わっていた。
先ほどユドミラが倒したラミアと同じような姿に、瞬く間に変化した。
「ユドミラッ! なんだよこれ、聖遺物じゃなかったってことか?!」
「ギャアアアアァア!!」
甲高い咆哮が洞窟を揺らす。
その声に応えるかのように、洞窟内の温度が一気に下がり、氷が壊れる音がした。
「おい、上――!」
ディーが叫ぶ。
いつの間にか天井が氷の刃で覆われていて、それが一斉に落ちてくる。
レオンハルトが【聖盾】で氷の刃を弾く。ケヴィンも、ユドミラをもその盾で守る。
「うおおおおおお! おれは! 伝説を! 作る男だあああ!」
ケヴィンの風魔法が続いて振ってきた氷の刃を纏めて吹き飛ばす。
その間に、ユドミラは洞窟の更に奥へと消えていった。地に落ちた氷の刃を砕きながら、その場から逃げるように。
第四層のボスだったラミアが死に、ユドミラがラミアになって姿を消し、洞窟に静寂が戻ってくる。
「……モンスターを食べてモンスターになるだなんて、そんな馬鹿な……」
ラミアの死体を眺めながら、レオンハルトがショックを受けたように呟く。
「それならオレたちとっくにモンスターだろ」
「やっぱり生だったのがいけなかったのでしょうか」
「消化できないとダメなのかもしれない」
レオンハルトの推測には説得力があった。
消化して自分のものにできなければ、モンスターに乗っ取られるのかもしれない。
「とりあえず、これからもすべて火を通しましょう」
固く誓うリゼットの前に、ケヴィンが焦った顔でやってくる。
「いまはモンスター食談義は置いとけ! 早くユドミラを助けに行こう!」
「は? どんだけ面の皮厚いの?」
ディーが呆れ顔で言う。
「なんで仲間ヅラしてんだよ。お前らみたいな信用ならねーやつと同行できるかよ。あのハーフエルフを助ける義理もねえし。やっと帰還ゲートも出たんだ。お前らとはここでおさらばだよ」
いつも以上に辛辣で、取り付く島もない。
ディーは怒っていた。大声で怒りをまき散らすことはないが、深く怒っていた。ユドミラもケヴィンも自分たちに危害を加えてきた上に、幼いラミアを弓で殺したのだ。
ディーは何も言わないが、幼いラミアが着ていたあのキリングベアーの毛皮を見れば、ディーがあのラミアに情を傾けていたのはわかる。
帰還ゲートへ向かおうとするディーの前に、ケヴィンが立つ。手に握っていた槍を捨てて。
「――おれとユドミラは、教会の審問官だ」
「やめろそれ以上言うな」
ディーは顔を引きつらせ、面倒ごとに巻き込まれたくないとばかりに耳を塞ぐ。
「女神教会の方々だったのですね」
二人の雰囲気はとてもそれらしくはないが、カモフラージュのためだろう。教会関係者であることが一目でわかる方がいい役があれば、そうでない役もある。
陰で動く役割ならそう察せられない人物の方がいいだろう。
「そうだ。ノルンへは聖遺物回収と黒魔術師の抹殺のために赴いた。だが到着したときにはあんたたちのおかげですべてが終わっていた」
「…………」
ノルンダンジョン領域でリゼットたちは深層のドラゴンを倒し、その中に眠っていた火の女神ルルドゥの聖遺物を地上に戻した。それはいまリゼットの中にある。
ノルンダンジョン領域に現れたダークエルフの黒魔術師は、最後はダンジョンと共に滅びた。
黒魔術に関わったものは教会に拘束されるという話を聞いたことがあるが、どうやら本当のことらしい。
「俺たちはあんたらのことが気になって、ノルンからずっと後を追っていた。だがお嬢様の聖遺物を横取りするつもりはないし、あの地で黒魔術師が何かをしていたとしても、本人がもう死んでしまっているからどうでもいい」
「――あなた方は、このダンジョンに水の女神の眼球があると思って行動しているのですよね? それはどなたから聞いたのですか?」
「情報提供者のことだけは言えない。たとえ殺されてもな」
審問官の人間ならばそれも当然だろう。
ダンジョンは女神の聖遺物が地中に沈み、始祖の巨人がそれをモンスターに与えることでダンジョンの王とダンジョンマスターが生まれ、ダンジョンができるという話だが――
(どの聖遺物がどのダンジョンにあるのかなんて、知りようがない気がするのですが……)
何せ深い地面の下のことだ。
古代種であるエルフにはそれがわかるのだろうか。
「こんなこと頼める筋合いじゃないのはわかっている……だが、頼む! おれには対価として払えるものもないが……腕でも足でも目でも持っていってくれればいい」
「貰っても困ります。それよりも、ケヴィンさんの持つ『情報』の方に興味があります」
リゼットはにこやかに微笑む。
純粋な好奇心が胸を熱くする。
「いやその、おれの持つのは大したものじゃないけどな?」
「価値を判断するのはケヴィンさんではありません。ケヴィンさんにとってはほとんど意味のないものでも、私にとってはとても楽しめるものかもしれませんわよ?」
微笑むと、ケヴィンは口元を引きつらせる。
「そうですね。まずは二度と私たちの邪魔はしないでください」
「……約束する」
「ダンジョンの中でも、ここを出てからも」
「はい……」
しゅんとうなだれ、聞き分けの良い返事をする。
「さあ、前に進みましょう!」
「本気で言ってんのか? こいつらに付き合う必要なんて微塵もねーじゃねえか! あのハーフエルフだって自業自得だろ!」
「私は知りたいんです」
リゼットはディーの顔を見る。
「人がどうしてモンスターになるのか。このダンジョンの底に何があるのか……女神教会の審問官は、どんなことを知っているのか……知りたくて、知りたくて、たまらないのです!」
「ダンジョンジャンキーだと思ったら知識ジャンキーかよ……」
リゼットはディーの顔を見て、レオンハルトの顔を見る。
「ごめんなさい。もう少し付き合っていただけませんか」
「…………」
ディーは長い沈黙のあと、ぽつりと。
「……虫食いのある地図は気持ち悪ぃからな」
「はい?」
「マッピングするからには全部埋めてぇんだよ、オレは!」
初めて聞くこだわりだった。
「それにこの帰還ゲートで外に出られるかも怪しいしな……」
「はい……」
他のダンジョンの帰還ゲートではダンジョンの出口付近には出られたが、それは外ではない。
まだあの結界が作用して外に出られない可能性も充分にある。
「リゼットの思うとおりにすればいい。俺は君と共に行く」
「レオン……」
「それに、『情報』には俺も興味がある」
目を合わせ、笑い合う。
「ではまずは食事にしましょう。腹ごしらえは大切です」
「ああ。何を食べる?」
リゼットはラミアを指差した。
正確にはラミアの背後、部屋の片隅にある細長い繭のようなものを。
「ラミアの卵です」