85 文字と手紙【side ディー】
階段を下りる前の最後の休憩は、魔法でつくった洞窟で過ごす。
浅い穴に寝袋を並べてアーヴァンクの毛皮三枚とキリングベアーの毛皮二枚を上からかけて、三人で身を寄せ合って眠る。
「暑い……」
あまりの暑さに耐えきれず毛皮の隙間から這い出す。
隣にはリゼットがいて、気持ちよさそうにすやすやと眠っていた。
反対側を見るとレオンハルトが起きていて、魔法の明かりで書き物をしていた。
「どうしたんだ」
「暑いんだよ。なんだこの待遇。過保護すぎだろ」
「寒風に吹き付け続けられて風邪を引きかけているんだ。これぐらいあたたかくしておいた方がいい」
「過保護すぎだろ……」
汲んでおいた水を飲み、喉の渇きを潤す。
「何書いてんだ?」
「いつもと同じ。ダンジョンとモンスターの記録だ」
「マメだよなぁ。ちょっと見せてくれよ」
言ってみるとあっさりと渡される。
もっと渋ると思っていたのだが、見られて恥ずかしいものではないとばかりの堂々としたものだ。
「なんだこりゃ」
描かれているのはモンスターの絵。これはわかる。描き慣れている絵は味もあってなかなかうまい。
「絵うまいな」
「ありがとう」
「けどなんだよこれ。読めねえ」
文章を読むのはあまり得意ではないディーだが、これは物が違う。上手い下手でもない。まったく読めない。
文字は似ている。だが微妙に並び方が違う気がする。
「俺の国の言葉だ」
してやったりと言いたげな顔で笑う。
何か落書きでもしていないかとページをめくっていってみるが、やはり読めそうなところはない。
「リゼットも書いてるよな。なんか、モンスター料理の記録?」
「ああ。時々見せてもらってる」
どうしてそこで幸せそうな顔をするのか。
「なあ、場所代わってやろうか」
隣のリゼットを親指で差すと、レオンハルトは視線を逸らした。
「馬鹿言うな」
「あんまり優等生だと損するぜ」
「安心してくれ。俺は別に優等生じゃない」
「へーえ?」
これ以上からかうと怒らせそうなのでこの辺りでやめておく。
それにしても、王族とこんな風に軽口を飛ばし合えているのは不思議な感じだった。
レオンハルトはディーが知らない国の王族だ。どうやら海を渡っていくような場所らしい。
本人はもう国に帰るつもりはなく、王位を継ぐ気もないようだが。
「オレはさー、案外悪くないと思うんだよな」
「何が」
「お前が王様になるの。割と本気で」
レオンハルトは黙る。
本人は兄が王になるものと言い続けているが、レオンハルトにも充分可能性はあるはずだ。
王の適性や資質なんてスラムで生まれ育ったディーにはわからないが、レオンハルトが王になった国は、なんとなく面白い国になるのではないかという予感がある。
レオンハルトは黙ったまま、しばらく考え込んでいた。そして。
「じゃあもし俺が王になって、道を踏み外しそうになったら、ディーが殴って止めてくれ」
「はあっ?」
「それなら少し考えてもいい」
緑の目を輝かせて、面白がるように言ってくる。
(こいつ……)
考えなくてもわかる。
王を殴って諌める役目なんてヤバすぎる。
とはいえこれで引き下がるのも腹立たしい。
「――ハッ、もしお前が王様になったらな」
言って肩をすくめた時、持っていたレオンハルトの手帳が滑って後ろに落ちる。
「おっと――」
手を伸ばしたが間に合わない。それはリゼットの頭の上にポコンと落ちた。そしてそのままリゼットの顔の前に落ちる。
「むぅ……?」
「悪い悪い」
「ディー……」
レオンハルトの非難めいた声を聞きながら手帳を回収しようとすると、起きたリゼットが先にそれに手を伸ばした。
「……私の、名前……?」
リゼットは落ちた拍子に開いたページをぼんやりと眺めながら、ぼんやりと呟く。
その瞬間、レオンハルトの全身が一瞬固まった。後ろを見なくてもそれくらいはわかる。
「お前、読めんの?」
「いえ……綴りが微妙に似て……」
言いながら、また目を閉じる。
呼吸はすぐに寝息に変わった。
ディーはリゼットを起こさないように慎重に手帳を回収し、レオンハルトに返す。顔を見上げ、声を潜めて。
「なあレオン。今度、お前の国の言葉で好きとかかわいいとかどう書くか教えてくれよ」
「断る!!」
顔を真っ赤にして、声を殺して叫ぶ。
「……恋文を書くのですか?」
リゼットが寝ころんだまま、半分以上眠っている顔で聞いてくる。
声は殺していたが聞こえていたらしい。
「いやオレはそんな面倒くせーことしねーけど、なんつーか教養? 高めたくて?」
「……もったいないです。恋文を貰ったら、きっと喜ぶと思いますよ……?」
ふにゃりと笑う。いつもよりもずっと幼い笑い方だった。やはりまだ寝ぼけているらしい。
「ふふ……私もアドリアンに手紙、書かないと……」
笑顔のままそう言って、再び眠りにつく。今度は熟睡だった。
(アドリアン? 誰だ?)
リゼットの口からは初めて聞く名前だ。男の名前。それも寝ぼけながら、あんな緩んだ顔で、親しげに。それも恋文の話のときに。
リゼットはすやすやと幸せそうに眠っている。自分がどんな超級爆弾を落としていったのか、想像もしていないだろう。
(故郷の恋人とかか? そんなもんいる雰囲気なかったけど)
リゼットは恋愛に疎いタイプだ。元からなのか、あえて距離を置いているのかはわからないが。
「まあ、その、がんばれ」
暗い顔をして手帳を握りしめているレオンハルトの肩を、ぽんぽんと叩いた。
(ダメだったら骨拾ってやるからさ)
無責任な呟きは、さすがに声にはしなかった。